東京建築賞の審査を振り返って
栗生 明(建築家、栗生総合計画事務所代表、千葉大学名誉教授)
岡本 賢(建築家、一般社団法人日本建築美術協会 AACA建築賞選考委員)
金田 勝徳(構造家、株式会社構造計画プラス・ワン会長)
車戸 城二(建築家、(株)竹中工務店 常務執行役員)
 昭和50(1975)年に会員作品表彰として始まった東京建築賞は、現在、東京都知事登録の建築士事務所(約15,000事務所)が応募できる重要な建築賞のひとつとなっている。その審査員として長年にわたりご協力いただいた4先生が第47回をもって退任されることとなった。真摯に審査に取り組まれてきた先生方に、退任にあたり、東京建築賞への思いを語っていただいた。
東京建築賞の審査員を務めて
栗生 明

 新世紀が始まった2000年から、22年間の長きにわたって東京建築賞の審査員を務めさせていただきました。鈴木博之審査委員長の後を引き継いで、委員長を引き受けてからも8年になります。この間、応募作品から実に多くの刺激を受けてきました。
 審査をする立場とは別に、「建築とはなにか」を自らに問い続けた期間でもありました。審査会での議論そのものが、新しい建築の表現を通して、時代の流れを敏感に察知する羅針盤のようにも思えました。バウハウスの思潮を源流としたモダニズムデザインは、21世紀に至って、大きく変容してきました。というのは、バウハウスが見落としていた、あるいは重要視していなかった分野をテーマにした応募作品が増えてきたからです。

 その傾向をあげると、3つほど数えられます。
 まずひとつ目は、リノベーション、コンバージョンをテーマにした作品の増加です。
これらは、既存の建築を改修、あるいは増築、減築して、場合によっては機能変更、用途変更までも加えて、建築の価値を高める試みだと思います。この傾向は、建築保存の問題と連動し、大きな流れになってきました。これを受けて、東京建築賞では第43回から「リノベーション賞」という新しい賞を創設するに至りました。

 ふたつ目は、自然や、建築を取り巻く屋外空間を重視する傾向です。
 建築デザインとランドスケープデザインの協同作業によって、作品の質を向上させているものが多く見られるようになりました。オブジェクトとしての「建築」を越えて「環境」そのものに目が向けられてきた証左でもあります。考えてみれば、屋内と屋外を等価で、一体的なものとしてとらえる「庭屋一如」の考え方は、日本の伝統的空間認識だとも言えます。

 3つ目は、「まちづくりのデザイン」とも呼べる作品群の増加です。
 単体の建築を扱うだけでなく、道や広場を含んだ、まちの建築群として表現されたものです。これらは多くの場合、時間のファクターが大きな役割を担っています。完成形として表現されるというよりも、未来に向かって継続する運動体の、現時点での経過形態として示されます。そして、それらは、作者も加わってのDIYや、イベントや儀礼や祭といった出来事も包摂された、「コミュニティづくり」の実践でもあります。

 イスラエルの歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリは、世界的ベストセラー『サピエンス全史』の中で、サピエンスが現代にまで生き延びてこられたのは「フィクション(物語)」の働きだと喝破しています。確かに、政治も経済も宗教も国家も法体系も……。つまり、あらゆる人間文化は、「物語」によって駆動され、世界中に広まってきました。バウハウスも、およそ1世紀前、「芸術と技術の統合」、「産業との連携」といった「物語」を紡ぎ出し、運動を始めました。当然のことながら、東京建築賞に応募された建築作品も、それぞれの豊かな「物語」を発信していました。
 私にとっての東京建築賞審査とは、それぞれの「固有の物語」をしっかりと読み取り、咀嚼し、「自分の物語」として共感できるかどうかを、問い続ける作業でした。おおげさに言えば、常に自分の物語だけに安住しようとする自己を解体し、新たに再構築を試みる作業だったように思います。
 東京建築賞のさらなる発展を祈っています。
東京建築賞との20年
岡本 賢

 20年もの長い間東京建築賞の審査に携わらせていただきまして本当にありがとうございました。
 最初は芝大門にある「軍艦ビル」と呼ばれていた建築に東京都建築士事務所協会の事務局があり、その時の審査員長は仙田満先生でした。その後、事務局は新宿の東京ガスの前のビルに移転し、審査委員長は鈴木博之先生が、かなり長い間勤めていらっしゃいました。また、現在の新宿の場所に転居して栗生明先生が委員長となり、事務局の移転と委員長の交代が三代にわたって続き、その間ずっと委員を務めさせていただきました。
 今回の応募総数は78作品でしたが、毎回ほぼ70作品程度の応募作品数がありますので、合計で約1400作品の審査を行い、その中の半数の700作品ほどが現地審査に残り、その中の3分の1作品ぐらいを実際に現地に行く機会をいただきました。遠方では新潟や日光、長野県の妙高や駒ケ根まで行ったこともありました。全て日帰りの強行軍でした。
 現地審査では設計者の丁寧な説明はもちろん、時には建築主や施工者の方々からも説明を受けるなど本当に贅沢な建築視察となります。多くの応募者の熱意が心情に訴えられてついほだされることもままありますが、その後の本審査の厳しい議論の中で残念な結果になることも多く経験しました。
 最初の1次審査の段階では、審査員ひとりひとりが推薦する作品を選定しますが、その時自分の選んだ作品が他の審査委員の多くの人と合致するかが関心ごとでした。自分の建築に対する考え方や眼識が試されるような気がしていました。
 私は久米設計に勤務していて、担当した作品の多くは庁舎や文化会館、大学キャンパス、再開発事業など比較的大規模の案件が多かったため、戸建て住宅や小規模建築の応募作品にたいへん新鮮な感じと興味を抱きました。
 住宅はもともと人間の生活の原点であり、人びとの活動の基点でもあります。そのための住宅建築もまた建築の原点であり、その建築に取り組む姿勢や手法は、建築家にとっての原点ともなりうると考えています。戸建住宅の審査では、提案パネルからそれらを読み取ることが困難でしたが、運よく現地審査に充てられて、設計者の説明を聞き、さまざまな質問をして、たまには議論もさせていただくことが大きな楽しみでした。
 小規模建築は設計者の才能が最もダイレクトに表現できる規模の建築だと思います。設計者個人の個性と手腕が直に感じられてこんなに羨ましいことはありません。いちばん悩むのは共同住宅のマンションでした。最近は大規模高品質のタワーマンションも多く応募されますが、建築作品としての新たな提案などを見つけることが難しいことを実感しました。
 毎回すぐれた作品を見ているうちに回を重ねる毎に私自身の考え方がだんだん厳しくなって、以前なら良い作品と捉えていただろうと思える作品に対して、前に見た作品に似ていると思えるようになって、素直に作品に対応していないなと感じることがありました。
 新しい方々の新鮮な感性に期待いたします。東京建築賞が長く続いて事務所協会の社会的意義と建築賞の存在が増々重要になっていくことを祈念いたします。
東京建築賞に想う
金田 勝徳

 これまで選考委員を経験してきたいくつかの賞は、いずれも応募作品の設計者個人を顕彰する賞であった。それに対して、この東京建築賞は、「建築士事務所の優秀な建築作品を表彰する」としている。したがって他の賞の多くは、原則的に重賞を認めていないが、東京建築賞ではそのことに関する制限は設けていない。また応募作品の授賞対象が、用途と規模ごとに4つの部門に分けられている。こうしたことから応募者の数の多さと応募作品の多様性が、この賞の特徴のひとつと考えられる。
 しかし私の選考委員任期中に限ると、その多様性に少なからずの偏りが見られた。専業設計事務所からの応募をみると、事務所開設者と1~2名のスタッフとで運営されている個人事務所から、社員400人を超える大規模設計事務所に至るまで広範囲に及んでいた。ところが、その中間に位置する中規模設計事務所の応募は極端に少なくなる。また建設会社設計部(一級建築士事務所)も、いわゆるスーパーゼネコンからの応募が多い反面、準大手も含めてそれより小規模な建設会社からの応募はほとんど見られなかった。なぜなのかを、これまで考えることはなかったが、選考委員を退任する今、改めて振り返るとやはり気になる。
 自戒を込めた推測に過ぎないが、このことは現在の社会情勢を表してはいないだろうか。若手建築家が事務所を設立して果敢に応募してくる小規模事務所は、その勢いを建築に見事に表現し、受賞に結び付けているケースが多い。他方、大規模事務所では、長年に渡って培われた感性と技術力を自在に活かした設計がなされ、審査を忘れて敬服させられることも少なくなかった。また大手建設会社設計部には、応募作品の規模の大小にかかわらず、新しい技術に挑戦する一方で、手慣れた破綻のないディティールを駆使しながら、総合的にまとめ上げる組織力の強さを感じさせられていた。
 それに比べて、中規模の設計事務所や建設会社の応募が少ないことには、当事者たちが目まぐるしく移り変わる社会への対応に、くたびれてしまっているような気配を感じる。多くの場合、社会の発展を担っているのはこの層に属している人たちではないだろうか。近年、科学技術立国日本の存在感が薄れ、競争力が衰えたといわれる要因の一端を垣間見るような気がしてならない。そうしたことを想う時、この賞が必ずしも数ある建築賞の中の最高峰でないにしても、健全に受け継がれ発展することで建築設計界の活性化を促す大切な役割を担っているように思われる。
 10年以上に渡ってこの賞の審査を担当している間、多くの応募者と作品に出会うことができた。応募者と選考委員との立場の違いという塀越しとはいえ、こうした出会いがとかく殻に閉じこもりがちな構造設計者である私にとって、貴重な体験であった。さらに選考会での個性あふれる委員皆様のご意見に、多くの刺激を頂いたことにお礼を申し上げたい。ありがとうございました。
東京建築賞審査に参加して
車戸 城二

 私の所属してきた大手ゼネコン設計部は、サイズの大きいプロジェクトを手掛けますので、そうしたプロジェクトが審査員の皆さんにどのように評価されるのかは気に懸けていました。
 結論から言えば、都心の大規模再開発プロジェクトは、東京建築賞審査では、いくつかの例外を除いて常に苦戦してきました。こうしたプロジェクトは、都市機能の世界的先端ともいえる東京の街並みに居住性や機能性の面で構造的進歩をもたらし得る、賞の名に冠する東京にとってたいへん重要であるとともに、地方再生のヒントも胎蔵する提案となり得ます。今も都心には多くの大型プロジェクトが進行中で、巨大な金額と時間と才能が投入されます。したがって建築デザインとして非常に重要なはずですが、応募作品の中から2次審査にほとんど残らない現実を毎回目にしてきました。
 応募資料にあるその多くは、オフィスタワーと低層部分の商業施設という構成、オフィスはユニバーサルスペースと呼ばれる柱のない整形、低層部分はタワーを囲む公開空地と商業店舗です。大庇をかけたりアトリウムを設けたりというバリエーションはあるもの、商業店舗のファサードはおおむね全面ガラススクリーンで、こうした共通する空間言語がどの作品にも既視感を持たせ、共通しています。
 さらにこれらは実は東京だけでなく、大阪でも上海でもジャカルタでも生じているように思われます。外装カーテンウォールや低層部分のインスタレーションの工夫も、少し離れてみると、都市景観のノイズの振れ幅の中に納まる程度に見えてきてしまいます。世界の都市も、その近景を写真で見ただけではどれがどこだか判別できないほど似ています。
 私は決してそうしたプロジェクトに優れたデザインの思考がない、と考えているわけではありません。むしろ、与えられた条件の中で、選び抜かれたデザイナーや技術者たちが知恵を絞っただろうことに疑う余地はありません。しかし開発が巨大になればなるほど、デザインのリスクを取れなくなる市場経済の事情が作用するのかもしれません。
本賞の審査を8年間参加させていただく中で、建築デザインが、都心の再開発ではひとつの壁に突き当たっているようにも感じます。私たちの社会ではカーボンニュートラル、パンデミック、民主主義の危機、格差、世界秩序など、今までの私たちの生き方が通用しなくなってくる事象を目の当たりにしています。
 テレワークが発達した世界といえども、人は生涯の伴侶と遭遇し、友達と汗をかいてスポーツを楽しみ、家族で旅行をするには実際の場所の共有が必要ですし、偶然の遭遇はアレンジされたWebミーティングでは生まれません。こうした状況の中、次の世界に対し、サステナブルで、セレンディピティにあふれた東京の個性をどうつくるか。たとえ1ミリずつの進歩でも、プロジェクトの前提条件を乗り越えて前に進むことができるか、私たち設計者はこれまで以上の大きな推進力を今求められているように感じます。
栗生 明(くりゅう・あきら)
建築家、栗生総合計画事務所代表、千葉大学名誉教授
1947年 千葉県生まれ/1973年 早稲田大学大学院修了後、槇総合計画事務所/1979年 Kアトリエ設立/1987年 栗生総合計画事務所に改称、現在、代表取締役
岡本 賢(おかもと・まさる)
建築家、一般社団法人日本建築美術協会 AACA建築賞選考委員
1939年東京都生まれ/1964年 名古屋工業大学建築学科卒業後、株式会社久米建築事務所(現・株式会社久米設計)/1999年 同代表取締役社長/2006年 社団法人東京都建築士事務所協会副会長/2014年 一般社団法人日本建築美術協会会長
金田 勝徳(かねだ・かつのり)
構造家、株式会社構造計画プラス・ワン会長
1968年 日本大学理工学部建築学科卒業/1968〜86年 石本建築事務所/1986〜88年TIS&Partners/1988年〜現在 構造計画プラス・ワン/2005〜10年 芝浦工業大学工学部特任教授/2010〜14年 日本大学理工学部特任教授、工学博士
車戸 城二(くるまど・じょうじ)
建築家、(株)竹中工務店 常務執行役員
1956年生まれ/1979年 早稲田大学卒業/1981年 同大学院修了後、株式会社竹中工務店/1988年 カリフォルニア大学バークレー校建築学修士課程修了/1989年 コロンビア大学都市デザイン修士課程修了/2011年 株式会社竹中工務店設計部長/現在、同社常務執行役員
カテゴリー:東京建築賞
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