■都市の歴史
シンガポール(写真❶)は、マレー半島の突端にあり、インド洋と太平洋というふたつの大海を結ぶマラッカ海峡の玄関口に位置する(図①)都市国家である。その場所柄から、これまでアジアとヨーロッパを結ぶ海上交通の要衝、交易船の停泊地として利用されてきた。国土面積は718km2で、その規模は1967年から続く、海面埋立(国土の約2割を占める)により順次広がり、現在では琵琶湖(670k㎡)や東京23区(623k㎡)より、少し広くなっている。マレー半島は、アジア大陸の南に位置し、大海に突き出た立地のよさから、近世以降、幾度となく植民地を求める欧州各国の標的となってきた。そして18世紀、イギリスの東インド会社(香辛料などアジア貿易における独占権、各国との条約締結権そして軍事権を有する)が、インドから中国に至る通商ルートとして、この地に貿易船の寄港地を求めてきた。
都市づくりの沿革
【植民都市の時代】こうしてシンガポールは、19世紀中頃(1821~1860年)まで植民都市として時を過ごす。シンガポール建設の父ともいわれる、イギリス東インド会社の書記官ラッフルズは、地元ジョホール王国の相続争いに介入、1819年に王国の承認を得て商館を建設、翌1820年には王国と条約を結び、この地を「無関税の自由貿易港(あらゆる物産の持ち込みを許す)」として、アジア貿易の拠点とする。この時期、欧州からは綿や羊毛、武器や弾薬、またインドからはアヘンなどが持ち込まれた。他方、この地からは香料やオイル(パーム、ココナッツ)などが持ち出される。
貿易が活発化する1824年、この地の人口は1万人を超える。ラッフルズは、港湾都市としてのこの地の発展の兆しを見て取ると、1828年に都市計画「タウンプラン」をまとめる。ラッフルズは、この中で土地利用を、まず都市用途に応じ区分、このうち居住区については、さらに民族の別に住み分けを図った。それは文化の異なる民族間の紛争を抑制するためだった。
イギリスは、このマレー半島でインド人を雇い、天然ゴムのプランテーション施設を建設するが、その一方で中国人を用い錫の鉱山開発も進めた。こうしてシンガポールは、この時期、天然ゴムや錫の積出港として機能する。また、中国やインドなどとの間で、三角貿易が活発化、さらに香辛料貿易の中継基地としての機能を高めると、この地には各国から港湾労働者として多くの移民が流入、自由貿易の拠点港となっていく(写真❷)。
【自治都市の時代】
第2次世界大戦が終わりイギリスの植民地支配が解かれる1957年、この地は独立しマラヤ連邦(1963年にはマレーシア連邦となる)を構成する。その翌年、土地利用面において混乱が深まる市街の状況をみかね、政府は不法居住者が密集する都心地区の改善を企図、近代的な都市計画マスタープランを策定する。
1959年、この地に州政府が置かれ、自治権が付与されるが、政府のマレー人優遇策や民族間の所得格差拡大に対し、地元民の不満が高まると、シンガポールは1965年、連邦から追い出されるようにして、都市国家として独立を余儀なくされる。しかし、この地の農業・漁業は生産性に乏しく、島内に限れば天然鉱物資源もほとんどない。そこで政府は、国家の存続に向け交易を前提に経済発展を図るべく、産業立国を掲げ近代的な市街の整備に入る。まずは、都心のスラム街を除去し再開発、これに続いて海岸の地先水面を埋立造成するなどして、大規模な開発が可能な土地の確保へと進む。そうした努力もあり、現在では国土の約8割が国有地となっている。
■都市国家「シンガポール」
イギリスと中国シンガポールの文化風土は、その歴史的経緯から、マレー的土壌の上にイギリス的要素と中国的要素がのり、そして融けあい、独特の雰囲気を醸している。この地は、イギリスの植民地であったことから、イギリス流の「土地は究極には国家に帰属する」という考え方が受け入れられ、開発にあたり国有地を民間に譲渡する場合も、借地権(原則99年の定期借地)のみが取り引きされる。また、使用言語も英語を国語として活用。さらにイギリスを真似、優遇措置を設け海外企業の誘致に努め、外国人労働者も含め彼らに活躍の舞台を提供している。そんなこともあり、この地はロンドン同様に、多民族多宗教多文化のモザイク都市となっている。
一方、政治は中国流で、一党独裁的な統治形態をとる。また、学業の優秀な者を指導者として養成するため、人材を早期に選抜し、特別の教育プログラムを施しエリート層を育成、彼らを国家機関等に配し育てる登用方式をとっている。
このようにシンガポールは、建国の父リー・クワンユーの考えもあり、イギリス的なもの(英語、産業都市、外資に活躍の舞台、法制度による統制、結局、土地の国所有、都市計画「ガーデンシティ」、移民重視)と、中国的なもの(一党独裁的、権威主義的、商業・ビジネスや人的ネットワークの重視)とが融合する形で、小さな都市国家を形成している。
シンガポールは、多民族(華人(75%)、マレー、インドなど)、多宗教(仏教、ヒンズー教、イスラム教など)、多言語(中国語、英語、マレー語、タミール語)社会という特性を有する。また、ライフラインともいえる水資源(飲料水はマレーシアから)、土地資源(埋立造成用の砂はインドネシアやマレーシアから)は、近隣の国々に依存しており、近隣との友好関係の維持なしに国家の存続はない。
そんなことから多民族からなる国内政治の安定とともに、近隣の国々との友好関係の確立の下に自国経済の発展を図っていくことが、国家の安泰・持続のための必須条件となっている。そこで政府は、一党独裁的な政治運営の下、経済発展を効率的に達成するため、国家機関の経営にマネジメント・システムを導入、エリート層が主導し計画統制する形で運営している。
戦略的な都市国家運営
【経済の段階的発展と経営管理手法の導入】シンガポールでは、リー・クアンユーの強いリーダーシップの下、海外企業の力を借り国内の雇用を創出し、これまでの通商に偏った状況から脱し、段階的な経済発展に向け成長状況に応じ産業構造の転換を進めてきた。すなわち、まず、労働集約型産業(衣料品、造船、貿易関連サービス)の育成から始め、資本集約型産業(石油精製、ゴム製品製造)へとシフト、現在では知識活用型産業(エレクトロニクス、金融・保険)へと、産業構造を転換させてきている。また、これとあわせ社会ニーズに沿った形で、国民の育成やエリート層の養成、行政組織体制の整備を図っている。さらに、企業活動の効率化に向け、都市インフラ(道路、鉄道、公園・緑地、空港・港湾等)や、労働者のための公共住宅の供給、市街地環境の整備を進めている。
段階的発展ということではplan-do-check-actということで、目標の実現に向け実施した施策の結果を評価し、次なる段階へと進むべく、都市計画コンセプトプランは10年ごと、マスタープランは5年ごとに見直し、フィードバックさせている。また、施設整備にあたっては、建設後もしっかり維持管理、運営管理しており、状況の変化にあわせて罰則を適用したり、規制的手法を用いコントロールするなどして、好ましくない状況を回避。一度建設したものでも土地の有効・高度利用のため必要とあれば、再開発して対応している。すべての計画や施策は、人口や産業・経済、国民意識の変化など、都市国家の発展状況に応じ適宜、見直して対応している。
【海外企業の誘致による経済の発展】
産業を興したり転換させるといっても、天然資源も金融資本もない小さな都市国家では、海外の国や企業の力を借りなければならない。そこでまずは国家の舵取りを担うエリート層の養成と、彼ら指導者層が十分活躍できるよう組織や運営体制の整備を図った。これとあわせ海外企業進出の環境を整える必要から、①立地企業の労働者に相応しい人材の育成を図るべく、英語を国語に位置づけ、国民の英語力を高めていった。また、②経済成長の進展に対応、不足する労働力は国外から移入し、不足する企業用地も埋立造成により広げた。さらに、世界的な企業(資本)を呼び込むべく、税制(法人税率を最大期間15年間免税するなど)や財政上の優遇措置も講じている。また、立地する企業が効率的に活動展開できるよう、道路・鉄道、港湾・空港、情報・通信等々の、都市インフラを体系的に整備するとともに、あわせて緑あふれる職住遊近接型の、便利で快適な都市環境の整備を進めている。
このようにシンガポールでは、教育制度(雇用、所得の確保へとつながる)と、産業政策(国富の拡大に貢献する)、それに都市計画(効率的な都市活動と安定した暮らし、魅力的な環境・景観の形成)の3本の矢が連携し一体的に運営されるとともに、資本主義経済の3大要素である、土地(有効高度利用、埋立造成)、労働(英語教育、移民)、資本(税財政金融上の優遇措置等)をしっかり計画統制することで、経済が段階的に発展、国家の安泰と市民生活の持続的繁栄が実現している。
緑・輝くガーデンシティ
それでは、この地の都市づくりを紹介しよう。小都市国家シンガポールは、独立間もない1971年、「国家の生存と繁栄」、そして国民に所得と住宅を保障するべく、その第一歩として労働集約型での産業都市づくりを目指し、都市国家100年の長期構想「コンセプトプラン(土地利用+交通計画、現在は目標年次2030、図④)」を策定した。政府は、この中で限りある土地資源の有効・高度活用を図ろうと、ル・コルビュジエの「輝く都市」論をふまえ、ハワードの「田園都市」論も加味し、この地の密集市街を、「明日に向け、緑・輝くガーデンシティ」へと、改造するべく都市計画を立案した。
【都市計画】
この地の都市計画は、都市づくりビジョンとしての「コンセプトプラン(40~50年後を展望、人口や経済の動きに対応した土地資源の戦略的利用計画と交通計画とを統合した総合構想)」を受け、法的拘束力を有するマスタープラン(10~15年後を展望、土地利用及び開発の密度を示す)が策定される。これらの計画をうけ土地の開発、建築等の規制、都市基盤施設の整備、住宅の供給、また交通や公共住宅等の管理・運営等々に、罰則の適用も含め、政府の統制が及ぶことで、都市が計画的に経営管理されていく。
都市づくりにあたっては、政府が用地を、また民間が資金を提供し、民間の創造力・知恵が発揮される形で対応している。具体には、島の南側の港湾に臨む都心部などには、金融中枢等の機能集積を進める、その一方、オフィス、店舗、工場など就業の場は島全域へと分散、西側のジュロン地区と北側のセンバワン地区には重工業(大規模工業団地、石油開発と精製の拠点)を配置、また島の中央部に水を集め、この水源涵養地域(貯水池)を囲むようにニュータウン(9~13階建の住棟を主流とした分譲住宅団地で、商店のほか軽工業なども配される)を、都心から順次、同心円(リング)状に配置している。
シンガポールは、公共交通(図⑤)が優先され、バス輸送の割合が高い(340万人/日の人びとを輸送)都市であるが、近年は、道路交通の負担を軽減するべく、地域相互をMRT(地下鉄、写真❸)とLRT(高架鉄道、写真❹)で結んでいる。MRTは1990年7月に全面開業しており、運転間隔も短く便利である。その延長距離は200kmに及び(東京メトロとほぼ同じ)、1日に230万人もの人びとを輸送している。バスも、朝5時から深夜0時まで運行されており、運行間隔が短いだけでなく、住宅地内はバス停から300m(徒歩4分)の範囲に、全住戸がカバーされるなど、使い勝手もよい。
一方、自動車は、すべて外国からの輸入車で、これには関税がかけられ、購入価格が日本の約3倍と高額なため、そう簡単には手が出ない。また、1990年に交通需要を管理する視点も含め車両割当制が導入され、自動車は政府の発行する許可証(車両購入券、入札して取得する)を有していなければ購入できない。この施策は新規登録数を排気量ごとに定め、総量を制限するためのものである。さらに、駐車料金も交通・環境対策の視点からコントロールされており、市民にとって自動車の所有と利用はかなりの高負担となっている。
また、この地では渋滞のない交通環境の実現と、都市活動のモビリティを高めるため、1975年に自動車交通を対象にロードプライシング(需要管理)政策が導入された。近年きめ細かな交通管理に向けALC(監視員)からERP(電子化、写真❺)へと、管理方式の転換が進められている。
これらの都市交通政策により交通需要は管理統制され、交通の渋滞や事故また環境汚染などの現象は顕著にみられない。なお、島の東端にはチャンギ国際空港(写真❻)が配置されている。
政府系企業(住宅開発庁HDB)は、国有地の上に団地住宅等を建設し供給、住宅の適切な管理運営を通じ、多くの民族の間を統制、国民生活を安定させている。すなわち、住宅開発庁の住宅団地は、2018年現在、都心から郊外まで、約105万戸の住宅(高層棟、1DK~4LDKそしてエグゼクティブまで)を供給しているが、その内94%が99年リースの分譲住戸である(賃貸も少しあるが、低所得者用である)。この団地住宅は、全人口の81%の居住をカバーしている。
また、団地住宅の供給にあたっては、目標とする家族像に適合したタイプの住戸を多く供給、核家族世帯の形成などを誘導している。また一方、多民族の融和を目指し、住戸は団地・住棟単位に民族比率の上限が設定され、人種別に割り当てられている。住宅の建設と管理を担うHDBは、共同居住のルールを定め、これに反した者には罰則をもって臨んでいる。また、状況により売買の制限も行われる。このように、この国において団地住宅は、政治的安定に向けた社会統制の重要な手段となっている。
シンガポールの都市づくりは、青い空と海を背景に緑の輝く都市づくり、すなわち「ガーデンシティ」として進められ、建築物の中高層化による土地の有効・高度利用(写真❼、図⑥)と、交通管理がなされた利便性の高い都市として整備されている。また、熱帯下の海上都市として、気温(平均気温は26.8℃、最高気温は30.9℃、最低気温は23.9℃)、湿度(平均湿度は84.3%)の高い都市気候を緩和するべく、都市に広く緑が配置され、アメニティ高い都市となっている。この地では、ソフト面からもしっかり規制され、たとえば、ゴミのぽい捨てが罰せられるだけでなく、ガムの販売も禁止されている。
■熱帯唯一のグローバル・シティ
シンガポールは、民主主義形態をとっているが、政治的には一党独裁的に運営されている。この国は、軍事面ではスイスを手本としており、基地の設置、軍事訓練などはASEAN諸国などと連携を図っている。経済は成長志向で、税・財政・金融上の優遇措置を講じるなどして、海外の世界的企業にビジネスの場を提供するべく、立地誘導に努めている。また、シンガポールは、グローバルシティをめざし、英語と母語の2カ国語を話すバイリンガルを育成する一方、誘致した海外企業が活動しやすく、また就業者が暮らしやすいまちづくりをめざし、青い海に囲まれた、都市は、緑の輝くガーデンシティとしてコンパクトに構成され、活動の効率性と生活の利便性そして快適性を備えた、機能的な都市として整備されている。これまでシンガポールは、海外企業の立地を視野に、教育制度や税財政金融上の誘導策により、国民の雇用や所得確保の機会を高めてきた。そうした努力が実を結び、国民1人当たりGDPは右肩上がりに上昇を続けている。シンガポールの1人当たり国民所得は、2022年時点で82,808ドルと、日本の1.86倍に達している(図⑦)。こうして一定の目標を達成した現在、シンガポールはグローバル化に対応したアジアのハブシティとして、企業が安全で活動しやすいだけでなく、訪問客の視点も取り入れ楽しく快適な都市の形成を目指している。
次世代のハブ・シティへ
この地の都市計画は、目標の実現に向け指導力を発揮し(計画統制し)ており、人口、産業政策とも連携し国民生活の向上に寄与している。すなわち、都市計画に基づく計画的な都市整備(市街地再開発、公共住宅の供給、交通・輸送の都市インフラ整備)や、都市の適切な運営管理(交通や住宅等の管理)により、都市は利便性を増し企業活動は効率性を発揮している。政府は、この都市基盤の下、外貨を持ち込む海外旅行者等を呼び込もうと、緑とオープンスペースの創出にも力を入れており、路上での飲食や喫煙などを厳しく行為規制することで、ガーデンシティとして美しい都市の景観・環境の創出を進めている。都市国家シンガポールにおいて、都市再開発庁(URA)の策定するコンセプトプランは、ハード面での国家ビジョンといえる。この地の豊かな生活を支える、緑あふれる美しいまちなみ(写真❽、❾)は、50年100年先を見越した明確な都市づくりコンセプト、「ガーデンシティ」あってのものである。
コンセプトプラン2030
21世紀に入った、シンガポールの都市計画の方向について紹介しよう。都市国家・シンガポールは、ガーデンシティ構想を進化させ自然の中にある都市とし、各種機能が巧みに構成され、土地は需要をふまえ有効高度利用されている。また、市街を構成する各地区は交通管理政策の下に、モビリティの高い交通で結ばれるとともに、個性を発揮するべく企図されている。そうして今日、この地は世界港湾取り扱い貨物量がベスト1、2位、外国為替市場が第3位、金融取引も第4位というように、世界のビジネス中心のひとつとなっている。シンガポールは、さらにその地位を高めようと、次世代の都市像を描いている。その目標方向は、①暮らしの基本である住宅の質の向上と多様なレクリエーションの提供、また、経済成長を持続するべく、②新たなビジネスを担う付加価値創造型産業のための用地の確保、そして将来への布石として、③個性・独自性の創出である。
改訂版コンセプトプランでは、グローバル社会下で競争の優位性を持続していくためには、この地のアイデンティティの発揮と、生活の質の漸進的な向上(高齢化対応、交流)が戦略的に重要としている。また、施策効果を最大限に引き出すため、総合性を重んじるとともに、マネジメント手法もとり入れ、計画を漸次見直し必要な改善を行うとしている。
そして食糧供給上の弱点(農地は国土の僅か1.7%)に留意し、政府は交易を重視し、グローバルな視点をもって、交易力を高めるべく産業の高度化と、これと密接に関係する、空港・港湾や鉄道・道路、情報・通信等の整備に力を入れている。
クリエイティブ産業の育成
シンガポールは、これまで自由・開放政策を取り、地勢的優位性を活かし、国家の優れた管理運営能力の発揮により、人も資本も土地や水も外部から導入することで、経済発展を遂げてきた。産業発展の段階をふまえると、今後ともシンガポールがアジアのハブとして、グローバル・シティの地位を維持していくためには、この地がもつ固有な価値をアイデンティティにまで高め、その魅力を発揮していくことが欠かせない。
すなわち、シンガポールの課題は、この地のDNAである、「自由貿易港」がもつ海外交易のネットワークに、空港や情報・通信を加え、水辺の緑輝くアイランドとしての魅力を活かし(写真❿)、観光・コンベンション、娯楽・文化など交流型ツーリズムとの連携(写真⓫)や、今進めている保健・医療関係の医薬・バイオなどの、クリエイティブ産業を如何に伸長させていけるかがカギとなる。現在、シンガポールの世界における国・地域別競争力※は第4位、クリエイティブ産業を育てていくには、世界各地の多彩な人びとと交流を図り、知的刺激の機会を増やしていく必要がある。そのため高い競争力を活かし、この地に固有な魅力・価値を磨き上げ、世界に向け訴求していく、その都市戦略が重要となる。
このシンガポールの都市づくりの事例にみるように、国家の主要な都市づくりにおいては、経済戦略構想の下に教育・産業・都市の各分野の相互連携を図り、都市の発展段階をふまえ、都市経営の視点を持つて、包括的一体的に都市づくりを進めていくことが肝要である。
※IMD世界競争力センターの調査(https://www.businessinsider.jp//post-271462)による、世界競争力ランク(経済状況、政府の効率性、ビジネスの効率性、インフラの状況から企業のビジネス環境の整備状況を評価)の上位をみると、第1位デンマーク(583万人)、第2位アイルランド(503万人)、第3位スイス(870万人)、第5位ニュージーランド(512万人)といったように、みな人口規模が都市国家並みで、治安が良く教育水準も高く平等で活動の自由度が高い国々である。ちなみにアメリカは第9位、中国第21位、韓国第28位、イギリス第29位、日本は第35位だが1990年前後は第1位だった。
Column
リー・クアンユーの洞察と戦略
シンガポールは小さな島国。この地をかつて植民地として支配したイギリスも島国。彼らが繁栄を求め東インド会社を設立し、海外進出を始めた1600年の人口は550万人(現在のシンガポール人口563万人とほぼ同じ)。その後、イギリスは産業革命を成し遂げ経済を発展させる。海峡華僑でマレー語・英語・日本語・中国語を話すリー・クアンユーは、イギリス留学を契機に、この地より断然食糧生産規模が大きく、多くの人口を養う中国が、近代化の遅れで欧米諸国等の侵略を許し停滞、20世紀に入っても貧しいままでいることに注目。中国における工業化の遅れの主因を、「政治の安定が第一」とする国家統治の思想と、資本集約や信用創造できない国内経済体制にあると看破する。
リー・クアンユーの洞察と戦略
欧州と中国の違い(表「欧州と中国の比較」参照)
欧州は、地勢や気候の関係から土壌が貧しく、古代ローマ帝国以降、気候変動寒冷化に伴い災害や飢饉に陥ると、紛争が起こり戦争へと拡大。そして疫病に見舞われると、人口が減少。その後、温暖化に転じ食糧生産が拡大すると人口が回復する。これを何度も繰り返してきた。近世、欧州諸国は海外に土地を獲得すると、労働力と市場を得て生産を拡大し、マルサスの罠を抜けて経済の隆盛・発展を導いた。また、労働力が不足し賃金が上昇すると、得た富で技術開発(機械化)を図り、工業社会を形成していった。一方、中国には平原が広がり、気候も水利もよく土壌が豊かなことから農業生産力は高く、気候変動に伴う増減はあっても、多くの人口を養うことができた。中国では近代に至るまで、農業社会下にあって、王朝は変われど政治は儒教と漢字を基盤とし、科挙の制により国家統治の思想(運営理念)を維持してきた。このように欧州と中国は、自然条件の違いなどが、民の意識や行動また政治経済面での国家運営体制に影響、社会進歩の速度に差異をもたらした。
シンガポールの国家戦略
リー・クワンユーはイギリス留学から帰国すると、30歳過ぎに仲間と人民行動党を組織し、幾多の政治闘争を経て一党独裁的政治運営を実現。また、経済運営にあたっては、段階的な発展をイメージし、国家運営におけるマネジメント(リーダーシップ、効率的な統治組織、規律の確保)の重要性に留意。エリートを育て、彼らが主導する形で、教育・産業・労働・住宅等々の各政策を包括し、一体的に運営。自由な経済活動の下で国の繁栄と民の公平がなるよう、社会システムを仕組んでいった。
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(各地からの移民がいかに「シンガポール人」になっていったか、経済成長の中で人びとの暮らしはどう変容したか、近隣諸国やアメリカとの国家間関係などを知ることができる)。
菊池努『研究レポート 多民族国家シンガポールの戦略的意義』青山学院大学、2021年
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(シンガポールの成立ちを知ることができる)。
グラハム・アリソン、ロバート・D・ブラックウィル、アリ・ウィン『リー・クアンユー、世界を語る』サンマーク出版、2013年
峯山政宏『なぜ? シンガポールは成功し続けることができるのか』彩図社、2014年
(かつて日本に学んだシンガポール、今は日本がシンガポールに学ばなくてはならない状況に、そんなことが伝わってくる。内容は幅広だが、人材育成など成功の要因を簡潔にまとめている)。
蔦川亜美・岡本哲志・陣内秀信・富永譲「水辺から読むシンガポールの都市形成〜植民都市から港湾都市へ〜」『法政大学大学院デザイン工学研究科紀要』Vol.3、2014年
「シンガポール公共住宅政策の展開:新自由主義経済のもとでの公共住宅政策の果たす役割」名城大学シンガポールの政策から学ぶ快適な都市空間づくり、(財)自治体国際化「海外事務所だより」、2014年、https://www.clair.or.jp/j/forum/forum/pdf_292/05_kaigai01.pdf
Branding News『シンガポールに学ぶ強みの変革と独自ブランドの創造』imajina、2017年、https://www.imajina.com/brand/entry/531
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神野正史『30の都市から読む世界史(日経ビジネス文庫)』日本経済新聞出版社、2019年
田村慶子『シンガポールを知るための65章(第5版)』明石書店、2021年
(各地からの移民がいかに「シンガポール人」になっていったか、経済成長の中で人びとの暮らしはどう変容したか、近隣諸国やアメリカとの国家間関係などを知ることができる)。
菊池努『研究レポート 多民族国家シンガポールの戦略的意義』青山学院大学、2021年
河村 茂(かわむら・しげる)
都市建築研究会代表幹事、博士(工学)
1949年東京都生まれ/1972年 日本大学理工学部建築学科卒業/都・区・都市公団(土地利用、再開発、開発企画、建築指導など)、東京芸術大学非常勤講師(建築社会制度)/現在、(一財)日本建築設備・昇降機センター常務理事など/単著『日本の首都江戸・東京 都市づくり物語』、『建築からのまちづくり』、共著『日本近代建築法制の100年』など
1949年東京都生まれ/1972年 日本大学理工学部建築学科卒業/都・区・都市公団(土地利用、再開発、開発企画、建築指導など)、東京芸術大学非常勤講師(建築社会制度)/現在、(一財)日本建築設備・昇降機センター常務理事など/単著『日本の首都江戸・東京 都市づくり物語』、『建築からのまちづくり』、共著『日本近代建築法制の100年』など
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