世界コンバージョン建築巡り 第18回
ハンブルクとベルリン──ドイツ最大の商業都市と政治文化都市の再生
小林 克弘(首都大学東京教授)
ハンブルク略地図
はじめに
 ベルリンは、1990年の東西ドイツ統一の翌年にドイツ連邦共和国の首都に復活して以降、再びドイツの政治・芸術文化の中心となり、人口約350万人を誇る大都市である。では「ドイツで人口が第2の都市は?」と聞かれると多くの人は返答に迷うのではないだろうか。答えは、人口約180万人のハンブルクである。この都市は、北海に注ぐエルベ川河口から約100km内陸に位置する河川港湾都市であり、12世紀ころから交易都市として発展し、14世紀にはハンザ同盟の中核商業都市となった。
 このふたつの都市でもコンバージョンが重要な役割を果たしているが、その契機はまったく異なる。ベルリンは、東西に分割されていた都市の統合に伴う、インフラ再編を含む大変化に対処するためにコンバージョンが活用されているし、ハンブルクは、港湾地区の衰退に対処するためのコンバージョンである。このふたつの都市でのコンバージョンの近年の状況を巡ることにしよう。
1.ハンブルク市庁舎
1897年竣工。中央広場に面して建つ。ハンブルクは北海に注ぐエルベ川の河川港湾都市。12世紀ころから交易都市として発展し、14世紀にはハンザ同盟の中核商業都市となった。
2.ハンブルク中央駅
1906年竣工。第二次世界大戦で激しい損傷を受けたが、戦後に復興された。
3.チリハウス
1924年竣工。フリッツ・ヘーガー設計のドイツ表現主義の傑作。正面の鋭利な形態。
4.チリハウス
エントランス回り。ゴシックと表現主義の融合が見られる。
5.運河沿いの倉庫街(シュパイヒャーシュタット)
19世紀後半から20世紀初頭の雰囲気をよく残している。川沿いの港湾地区は、2015年に「ハンブルクの倉庫街とチリハウスを含む商館街」として世界遺産に登録された。
6.エルプ・フィルハーモニー
外観全景。高さ約110m。ヘルツォーク&ド・ムーロン設計で、紆余曲折を経て、2017年に竣工。19世紀末に建設された8階建てのレンガ造の既存倉庫の上に、ガラス張りの帆とも波ともいえる独特の増築形態が載る。倉庫部分は外壁を残して改修された。
7.エルプ・フィルハーモニー
展望デッキ(プラザ)階は、音楽ホールのエントランスや商業施設を含む公共空間。
8.エルプ・フィルハーモニー
既存部と増築部、その間の展望デッキ。
9.エルプ・フィルハーモニー
既存倉庫部内部に設けられた、地上階から展望デッキに通じるエスカレーター。
10.エルプ・フィルハーモニー
歴史的な倉庫街越しに見るエルプ・フィルハーモニー。歴史的な倉庫街との対比的な象徴性を備える。
11.ボイラー・ハウス
外観。1887年に建設された発電・給湯施設が、2000年に倉庫群を紹介する情報センターへと転用された。鉄骨造の塔は元の40mの煙突の名残り。
12.ボイラー・ハウス
中央低層部には、地区の大型模型が展示されている。
13.ボイラー・ハウス
展示模型。手前に、エルプ・フィルハーモニーが見える。
14.シュパイヒャーシュタット博物館
外観。倉庫街の街路に面した倉庫の1階を、地区の歴史を展示する博物館に転用した施設。この地区に多く建てられたスパイス倉庫は主に19世紀末に建設され、コーヒー、紅茶、カカオ、タバコなどさまざまな商品を扱っていた。現在は、事務所、倉庫、店舗、飲食などに使用され続けている。
15.シュパイヒャーシュタット博物館
鉄骨造の柱と梁の露出した展示空間。
16.アルテス・ハーフェンアムト
外観。地区最古の船員施設をホテルに転用。周囲の建物も地区インフォメーションセンターの新築やカフェへの転用などがなされた。中庭を挟んだ手前がインフォメーションセンター。
17.アルテス・ハーフェンアムトに向き合うインフォメーションセンター内部。
18.ハンブルク国際海洋博物館
外観全景。1878年に竣工し2003年まで使用された穀物サイロを、2008年に博物館に転用。ネオ・ゴシックの外観は、規模も大きく、この地区の記念碑的な存在。南北にパサージュを設けて、その東側に博物館のロビー、ホワイエ、受付、吹き抜けを回る展示室が整備されている。
19.ハンブルク国際海洋博物館
博物館へのエントランス階。既存と新設の構造部材が共存する。
ハンブルク──コンバージョンで港湾地区を再生する
 ハンブルク中心部で、19世紀末から20世紀初頭に整備された「ハンブルク市庁舎」(1897年竣工、❶)や「ハンブルク中央駅」(1906年竣工、❷)を見ると、歴史的な商業都市の威厳が感じられる。川沿いの港湾地区は、2015年に「ハンブルクの倉庫街とチリハウスを含む商館街」として世界遺産登録がなされた。この名称に含まれる「チリハウス」(❸、❹)は、中央駅と港湾地区の間に立地するドイツ表現主義の傑作であり、フリッツ・ヘーガー設計で1924年完成した。正面の鋭利な形態、ややゴシック的な面影を残す細部、変形した敷地形状を活用した中庭など、見応えのある建築である。
 一方、港湾地区の倉庫街(❺)の光景は、運河沿いによく残っているが、場所によっては、再開発によって新しい建築も次々に建てられている。港湾地区全体の再整備は「ハーフェン・シティ」プロジェクトと呼ばれ、新築とコンバージョンを混在させた、ヨーロッパにおける最大規模の港湾地区整備計画となっている。
2017年、港湾地区のエルベ川に突出した埠頭の先端に、ハンブルクの新たなシンボル、「エルプ・フィルハーモニー」(❻–❿)が完成した。この施設は、ヘルツォーク&ド・ムーロン設計で、建設費増加のために工事が大きく遅れ、さまざまな批判もあったが、港湾地区再生の起爆剤でもあった。高さ約110mを誇り、赤レンガの巨大な既存倉庫の上にガラス張りの帆とも波ともいえる独特の増築形態がのるという構成である。既存と増築の間のプラザ(❼)は、音楽ホールのエントランスとして機能するばかりでなく、店舗、飲食、ギャラリーなどもあり、周囲を展望デッキが回るという開放的な公共空間である(❽)。19世紀末に建設された8階建ての倉庫は、今回の改修では、レンガ造の外壁を残して改修され、教育施設、駐車場などに加え、埠頭からプラザ行きの長大なエスカレーター(❾)が整備された。上段増築部には、中央に音楽ホール、外壁に面してホテルや高級集合住宅が入る。歴史的な倉庫街から見るエルプ・フィルハーモニーは、ハンブルクの新旧を対比的に示している(❿)。
 情報センター「ボイラー・ハウス」(⓫)は、赤レンガ倉庫群の中心に位置する発電・給湯施設(1887年建設)が、2000年に倉庫群を紹介する情報センターへと転用された施設である。中央の低層部と両側の中層部から構成され、低層部が情報センターとカフェが併設された開放的な内部空間になり(⓬、⓭)、その中央に「ハーフェン・シティ」を含む地区の大型模型が展示されている。中層棟に付加された鉄骨造の塔が元の40mの煙突を暗示する。
 「シュパイヒャーシュタット博物館」(⓮、⓯)は、赤レンガ倉庫街が残る街路に面した倉庫の1階を、地区の歴史を展示する博物館に転用した施設である。この地区に多く建てられたスパイス倉庫は主に19世紀末に建設され、コーヒー、紅茶、カカオ、タバコなど様々な商品を扱った。現在、第二次世界大戦の戦災箇所を修復して、事務所、倉庫、店舗、飲食などに使用され続けている。鉄骨造の柱と梁の露出した博物館の室内には展示パネルや取引商品が陳列され、往年の繁栄ぶりを伝える。
 ハーフェン・シティのほぼ中央に位置するユーバーゼー地区では、残存する地区最古の船員施設が、近年、「アルテス・ハーフェンアムト」というホテルに転用され、その周囲では地区インフォメーションセンターの新築やカフェへの転用などがなされた(⓰、⓱)。残存する歴史的建築と増築や新築を組み合わせるという手法は、コンバージョンを成功させる一つの有効な手法であり、そうした手法が巧みに活用されている。
 ユーバーゼー地区北端部東側に1878年に竣工した穀物サイロは、2003年まで使用された後に、2008年に「ハンブルク国際海洋博物館」(⓲、⓳)に転用された。ネオ・ゴシックの外観は、規模も大きく、この地区の記念碑的な存在である。博物館は、南北にパサージュを設けて、その東側に博物館のロビー、ホワイエ、受付、吹き抜けを回る展示室が整備されている。既存の構造体と、新たに挿入された構造体や内壁、展示ケースなどが融合した室内が特徴的である。
20.ドイツ国会議事堂
外観全景。1894年に建設され、1933年の不審火および第2次世界大戦末期の戦災で損傷し、半世紀近く使用されていなかったが、1999年に修復されて、再び本来の機能を与えられた。
21.ドイツ国会議事堂
頂部のガラスドーム(ノーマン・フォスター設計、1999年)。市内を展望するスロープや議事堂内部を覗き見るガラス床がある。
22.ベルリン中央駅
外観。ゲルカン・マルク・アンド・パートナーズ設計、2006年竣工。
23.ベルリン中央駅
東西南北に走る線路網が再編され、その立体交差が垣間見える。
24.ハンブルク駅現代美術館
外観。簡素な様式建築。1847年に建設されたハンブルク方面への長距離列車駅だったが、戦災と冷戦で機能を停止。1996年に現代美術館に転用された。
25.ハンブルク駅現代美術館
旧プラットホームの大架構空間を利用した展示空間。
26.テンペルホーフ空港
正面広場に面した外観。1923年にベルリン市街地南側に建設された空港で、1948年のソ連によるベルリン閉鎖時には、連合国による空輸の拠点。2008年まで使用され続けた。
27.テンペルホーフ空港
翼部外観。ターミナル・ビルは、部分的に難民収容所、行政機関、オフィスなどに転用されつつある。
28.テンペルホーフ空港
中央棟周りの外観。
29.E-ヴェルク
外観全景。元は、1920年代に表現主義の特徴を有したデザインの2棟の変電所。1970年初頭に稼働を停止。ベルリンの壁の崩壊後、荒廃した変電所の一部はテクノ音楽のメッカとなったが、2005年にオフィスと集合住宅の複合施設に転用された。
30.E-ヴェルク
既存の表現主義的デザインを残した外観部分。
31.E-ヴェルク
1階のイベント・スペース。既存の大空間を活かしている。
32.ベルクハイン
発電所が、2004年に現在では世界的な有名なテクノ・ミュージックのメッカに変貌した。昼間の外観は、普通の建築であり、夜のクラブの賑わいは想像できない。
33.クラフトベルク・ベルリン
内部。1961年に建設された発電所が、1997年に操業停止となり、9年間の放置を経て2006年にイベント・スペースへと転用された。
荒廃した空間の中で、光とオブジェのアートを展示。
34.クラフトベルク・ベルリン
外観。
35.ストーン・ブリューイング
中央の施設の外観。1901年に建設されたガス関連施設が、2016年にアメリカ系のビール会社のビアホールに転用された。ガス関連施設時代の外観を残す。
36.ストーン・ブリューイング
内部。巨大なビアホールに変貌を遂げた。
37.キンドル
外観。東西ベルリン境界近くに立地したビール工場を現代美術のアートセンターに転用。新たに設けられたエントランスと階段室は、レンガ壁と対照的なデザイン。
38.キンドル
カフェには醸造のための銅樽が残された。
39.キンドル
大空間を利用した展示が行われる旧ボイラー室。
40.アグネス教会
外観。1960年代にベルリン中心部の壁の近くに建てられたが、周辺の変化に対応して、現在は美術館やアートスタジオとして利用されている。セメントスプレーによる荒々しい壁面。
41.アグネス教会
展示空間。礼拝室内に増床して、ユニークな展示空間がつくり出されている。
ベルリン──都市構造の大変化に伴うインフラ施設のコンバージョン
 ベルリンは、壁の崩壊及び東西ベルリンの統合に伴い、インフラ再編を含む都市構造の大変化を経験した。1894年に建設され、1933年の不審火および第二次世界大戦末期の戦災で損傷した「国会議事堂」(⓴、㉑)は、半世紀近く使用されていなかったが、1999年に修復されて、再び本来の機能を与えられた。その際に上部に付加されたノーマン・フォスター設計のガラス・ドームの展望室は、床からは議事堂を見渡し、外観上も新たな出発をアピールした。「ベルリン中央駅」(㉒、㉓)は、2006年にゲルカン・マルク・アンド・パートナーズ設計に基づき整備されたが、孤立した西ベルリンを周辺と繋げるという線路網の再整備を伴い、駅内部では、東西南北に走る線路が立体的に交差している様子も見えて、大変楽しい駅舎になった。
 中央駅近くの「ハンブルク駅現代美術館」(㉔、㉕)は、1847年に建設され、ハンブルク方面への長距離列車駅だったが、戦災と冷戦で機能を停止した。この路線は、新たに建設されたベルリン駅内に入ったため、駅としての機能は不要となり1996年に現代美術館に転用された。建物内部では、旧プラットホームの大架構空間がこの美術館の最大のハイライトであり、かつて駅舎の空間特性を感じることが出来る場所である。
 「テンペルホーフ空港」(㉖ - ㉘)は、1923年にベルリン市街地南側に建設された空港で、1948年のソ連によるベルリン閉鎖時には、連合国による空輸の拠点であった。滑走路の長さが十分でなく、旅客機の大型化に伴い、郊外のテーゲル空港が主たる国際空港になったが、2008年まで使用され続けた。現在は、滑走路は公園として市民に開放され、ターミナル・ビルは、部分的に難民収容所、行政機関、オフィスなどに転用されつつある。
 「E-ヴェルク」(㉙ - ㉛)は、複雑な歴史を持つ。元は、1920年代に表現主義の特徴を有したデザインの2棟の変電所として建てられ、第二次世界大戦後も東ドイツ領土内で使用されたが、ベルリンの壁に隣接しているため当時の東ドイツ政府が危険を感じ1970年初頭に稼働を停止した。ベルリンの壁の崩壊後、荒廃した変電所の一部はテクノ音楽のメッカとなった。そして、2000年にハイテク企業等によるコンバージョンが行われ、2005年に施設全体は、オフィスと集合住宅の複合施設に転用された。1階の変電機器のための大空間はイベント・スペースに甦った。
 E-ヴェルクの転用に伴って、テクノ音楽のメッカは、「ベルクハイン」(㉜)に移った。この施設は、ベルリン・オストバーンホフ(東駅)地区に建つ発電所を2004年にクラブに改修しており、現在では世界的に有名なテクノ・ミュージックのメッカになっている。
 「クラフトベルク・ベルリン」(㉝、㉞)は、1961年に建設された発電所が1997年に操業停止となり、9年間の放置を経て2006年にイベント・スペースへと転用された事例である。発電所時代の機材は撤去されたが、1階の吹き抜け大空間などさまざまな空間を体験することができる。
 ベルリンの壁の近くに立地していた、これらの発電所や変電所は、東西ベルリンの統合という都市構造の変化に伴って不要となったインフラ施設がコンバージョンされた好例であり、ベルリンという特異な歴史の都市でのみ見られる現象である。
 他のインフラ施設では、ガス関連施設(1901年建設)が、2016年にストーン・ブリューイングというアメリカ系のビール会社のビアホールに転用された事例があり(㉟、㊱)、かつての大空間を再活用した3200平米の大ビア・ホールは、壮観である。また、「キンドル」(㊲ - ㊴)は、東西ベルリン境界近くに立地したビール工場を現代美術のアートセンターに転用した施設である。カフェには醸造のための銅樽が残され、旧ボイラー室では、その大空間を利用した展示が行われている。新たに設けられたエントランスと階段室は、レンガ壁と対照的なデザインがなされた。
 旧ベルリンの壁近くのインフラ施設の転用は、他用途施設の転用を引き起こした。一例をあげると、1960年代にベルリン中心部の壁の近くに建てられた「アグネス教会」(㊵、㊶)は、周辺の変化に対応して、現在は、美術館やアートスタジオとして利用されている。元々の礼拝室は、新たなスラブによって2層に分けられ、2階は、巧みな光の操作を備えた、独特の展示空間に転生した。第2次世界大戦中に破壊された建築を再利用したセメントスプレーによる荒々しい壁面も効果的である。
まとめ
 ドイツのふたつの大都市のコンバージョンの現況を巡ったが、コンバージョンの動機や実態がまったく異なることがわかる。ハングルクの歴史的港湾地区の再生は、世界各地に見られる現象であるが、ベルリンは独特である。特に、旧東ベルリンにおけるインフラ施設からクラブ等への転用事例を見ると、既存施設が荒々しい大空間をもち、騒音を気にしなくていい立地にあることが、ベルリンに根付いたクラブ・ミュージック文化の活性化のための施設への転用に好都合であった。発電所・変電所とテクノ・クラブの親和性が、ベルリンの再整備に貢献したといえるかもしれない。
小林 克弘(こばやし・かつひろ)
首都大学東京教授
1955年 生まれ/1977年 東京大学工学部建築学科卒業/1985年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了、工学博士/東京都立大学専任講師、助教授を経て、現在、首都大学東京大学院都市環境科学研究科建築学域教授/近著に『建築転生 世界のコンバージョン建築Ⅱ』鹿島出版会、2013年、『スカイスクレイパーズ──世界の高層建築の挑戦』鹿島出版会、2015年など