福島全国大会と会津若松見学
港支部|令和元(2019)年10月4日(金)〜5日(土)@福島県
中村 鈴子(東京都建築士事務所協会港支部)
鶴ヶ城で武将とともに。
建築士事務所全国大会会場前で。
会津飯盛山「さざえ堂」。
宮泉銘醸。
 福島で行われた第43回建築士事務所全国大会のテーマは「七転び・八起き」。大会のスローガンを「震災から再生、そして飛躍へ」とし、パネル展などで震災からの8年間の歩み、そして今後の課題など展示していた。会場である「とうほう・みんなの文化センター」には、全国から1,500人強の建築事務所協会の会員の方々が集まり、第1部のテーマ「震災からの復興・創生」、第2部のテーマ「ふくしまの未来」の座談会に耳を傾けた。
 次の日、港支部は別途にエクスカーションを企画し、レンタカーを借り9名で会津若松方面を見学した。
 初めに、「会津若松城(鶴ヶ城)」と「茶室麟閣」に向かった。鶴ヶ城は、会津盆地の五街道が集まる地にある。会津盆地は南北約34km、東西約13kmの広さで、南東に東山温泉の上流を水源とする湯川があり、その扇状地にある小田垣の丘に鶴ヶ城が築かれ、城下町が形成された。現在見られる城とその城下町は、蒲生氏郷の時代にその基礎が造られ、加藤嘉明、明成により現在の姿となったそうだ。
 天正19(1591)年、茶道の大成者である千利休が、豊臣秀吉の怒りに触れ死を命じられた際、利休の茶道が途絶えるのを惜しんだ当時の会津領主蒲生氏郷が利休の子、少庵を会津にかくまい、徳川家康とともに千家復興を秀吉に願い出た。その結果、秀吉の怒りが解け、少庵は京都に帰って千家を再興した。少庵がかくまわれている間、氏郷のためにつくったとされているのが茶室麟閣である。戊辰戦争後、城下に移築され保存されていたものが、平成2(1990)年に移築復元された。少庵が削ったという「赤松の床柱」も見ることができる。
 麟閣とつながるかたちで「蒲鶴亭」が建っている。無駄を省いた茶室麟閣とは異なり、蒲鶴亭は座敷飾りを可能にした書院風の座敷である。
 その後「渋川問屋」という長い間未公開だった大正浪漫の雰囲気が素敵な老舗の大店を開放した、郷土料理を振る舞うお店で昼食をとった。
 宮泉と言う酒蔵に寄り、国重要文化財である会津飯盛山「さざえ堂」を見学した。さざえ堂は寛政8(1796)年、郁堂和尚が考案建立したもので昇降別々の螺旋型の通路により階段がなく一方通行で上下するという日本唯一世界にも例のない名建築とされている。天気にも恵まれ、楽しいエクスカーションであった。
 最後に、福島大会の後、台風19号20号で被災された方々に心よりお見舞い申しあげます。全力をあげて復旧に努められていると思います。一日も早い再建を願っております。
中村 鈴子(なかむら・すずこ)
東京都建築士事務所協会港支部、株式会社マックスプラン
2000年 世田谷区用賀にてリフォーム業「マックスプラン」として創業/2002年 株式会社マックスプラン設立