世界コンバージョン建築巡り 第15回
リガとヴィリニュス──建築ストックの特性を尊重したコンバージョン
小林 克弘(首都大学東京教授)
バルト三国略地図
リガ略地図
はじめに
 前回のエストニア共和国首都タリンに引き続き、バルト三国を巡ろう。ラトビア共和国の首都リガは、人口約70万人のバルト三国で最大の港湾都市であり、13世紀末にハンザ同盟に加盟して発展を遂げた。リトアニア共和国の首都ヴィリニュスは、国の南東部内陸に位置する、人口約55万人の同国最大の都市であり、バルト三国の首都の中では唯一バルト海に面していないが、14世紀中世からリトアニア大公国の首都となり、発展を遂げた。
 両国は、長い間、スウェーデンやポーランド、帝政ロシアの支配を受けた。第1次世界大戦後に独立を宣言するものの、すぐさまドイツなどの支配下に置かれ、第2次世界大戦後はソ連に吸収されて、ソ連崩壊後の1991年に独立を果たした。両国とも、2004年にEUとNATOに加盟し、リガとヴィリニュスの旧市街は、それぞれ1997年と1994年に世界遺産に登録されている。
 共通点が多く見られる両都市であるが、建築的特色は異なる。リガ旧市街は、都市建設当初は、ドイツ人商人が大きな役割を果たしたことで、ドイツ建築の影響を受けた教会や商館が旧市街に数多く残っている。また、19世紀末以降には、旧市街の東側に新市街が形成され、そこではアール・ヌーヴォーの影響を受けた建築が数多く見られる。一方、宗教心が強いヴィリニュスには、多くの教会が存在し、バルトの他の2国は見られない貴族の大邸宅も残る。両都市では、こうした建築ストックの特性を活かした転用が見られる。
1. リガの旧市街・歴史地区の光景。旧市街内の聖ペテロ聖堂の塔から見下ろす。
2. リガ旧市街の聖ペテロ聖堂の塔から、旧市街南側の「科学アカデミー」方向を見る。
3. 「工芸とデザインの博物館」外観。左の棟がエントランスで、右の棟の中に展示空間。
4. 「工芸とデザインの博物館」1階展示室。
5. 「工芸とデザインの博物館」上階展示室から、かつての祭壇回りの空間を見下ろす。
6. 「リガ・ブルス」外観全景。リガ大聖堂前の広場に面する好立地である。
7. 「リガ・ブルス」内部のガラス天井のアトリウム。
8. 「リガ・ブルス」展示室内にも既存建築の内部の様子が残る。
9. 「軍事博物館」旧火薬庫部分の外観。奥に増築棟があり、主たる展示に用いられる。
10. 「軍事博物館」裏側に残る城壁。
11.「軍事博物館」の展示物のひとつ。日の丸に寄せ書きを行った旗で、ラトビア兵がサハリンから持ち帰ったようだ。
12. 「リガ中央市場」鳥瞰。「科学アカデミー」の展望台から見渡す。
13. 「リガ中央市場」川沿いの全景。
14. 「リガ中央市場」内部の市場の風景。5つの棟では、売られている物品が異なる。
15. 「スピケリ地区倉庫群」外観。12棟の倉庫群が残る。
16. 「スピケリ地区倉庫群」倉庫の正面見上げ。
17. 「ホテル・ベルクス」外観。
18. 「ホテル・ベルクス」。2棟の間の細長いアトリウム。
19. 「ホテル・ベルクス」周辺のベルクス・バザール内の光景。正面の赤い外壁の棟も、コンバージョンによって整備された。
20. 「アール・ヌーヴォー・センター」外観全景。
21. 「アール・ヌーヴォー・センター」内部の螺旋階段。
リガ旧市街のコンバージョン
 リガは、タリンと異なり、過去の他国支配の過程で城壁の大半が撤去され、旧市街の境界が明確ではない。高所からとった2点の写真を見てみよう。旧市街の「聖ペテロ聖堂」の塔から「リガ大聖堂」方向を見た写真(1)では、旧市街の美しい街並みが足元に広がり、中央にリガ大聖堂が見える。南を見た写真では(2)、屋根を見ると旧市街の範囲が何となくわかるが、新市街との境界線は明確ではなく、中心遠方には、ソ連支配の象徴ともいえるスターリン様式高層建築の「科学アカデミー」が見える。
 まず旧市街の転用事例を巡ろう。「工芸とデザインの博物館」(3 - 5)は、元々の「聖ジョージ教会」が、住居や倉庫への転用を経て、現在は博物館になるという複数回の転用が行われた事例である。外観は保存修復が主体だが、内部空間では、増床や減床によって、変化のある展示空間が生み出されている。祭壇回りの大空間を生かしつつ、木造の構造を見せる空間演出は迫力がある。
 「リガ・ブルス」(6 - 8)は、リガ大聖堂前広場に面する証券取引所を美術館へと転用した事例であり、ソ連時代には用途が変更されていたが、近年の転用で立面も元に戻され、内部空間は美術館へとつくり変えられた。外観は保存修復が主であるが、内部では、中庭にガラスの大屋根を架けるなどの操作も行われている。
 「軍事博物館」(9 - 11)は、14世紀に建てられた旧火薬庫を生かしつつ、増築を行って博物館に転用した事例であり、周囲にはかつての旧市街の城壁の一部も残る。この展示室のひとつに、興味深い展示物があった。日の丸に寄せ書きを行った旗であり、ラトビア兵がサハリンでの戦いの後に持ち帰ったもののようだ。
 「リガ中央市場」(12 - 14)は、科学アカデミーの展望台から撮影した写真(12)でわかるように、旧市街歴史地区の南側を流れるダウガヴァ川支流を渡った地区に建つ、並行する4棟と直行配置の1棟からなる計5棟の蒲鉾型屋根の建物である。これらは、第1次世界大戦中につくられた飛行艇の格納庫が、1930年代に市場へと転用された事例である。歴史地区と同様に世界遺産として登録されており、5つの各格納庫にそれぞれの分野の店舗が並ぶ様は壮観である。
 中央市場の西側の川沿いには、19世紀後半に建設されたスピケリ地区の倉庫群(15、16)がある。全部で12棟の煉瓦造倉庫があり、それらは、近年、展示イベントスペース、アトリエといった文化施設から店舗・飲食などの商業施設に転用されている。どの倉庫も外壁は統一され、内部空間がそれぞれの機能に合わせて、改修されつつある。
リガ新市街のコンバージョン
 リガ旧市街の東側は、19世紀末から開発が進んだ地区であり、新市街と呼ばれる。新市街では、19世紀末にリガで最初の近代的ショッピングセンター「ベルクス・バザール」が建設され、近年修復が進むが、その中に建つ「ホテル・ベルクス」(17 - 19)は、2棟の煉瓦造アパートを、棟間の隙間を内部アトリウムとして一体化しつつ、高級ホテルへと転用した事例である。既存上部に、金属製ルーバーのついたガラスのマンサール屋根を増築し、既存の2棟外壁の色を変えることで、外観で変化と対比に満ちたデザイン効果が生み出された。
新市街の一角には、アール・ヌーヴォーの細部を伴った建築が多く残る。その中で、「アール・ヌーヴォー・センター」(20、21)は、建築家の自邸がアール・ヌーヴォーの美術館とオフィスなどが入る施設に転用された事例である。内部では、天井面にも装飾が施された美しい螺旋階段が保存されている。
22. ヴィリニュス歴史地区の中心部に建つ聖ヨハネ教会の展望塔から見渡す。
23. 「ゲディミナス城」外観。内部は博物館の展示室になっている。
24. 「リトアニア国立博物館」正面外観(元兵舎・倉庫)。
25. 「ヴィリニュス大聖堂鐘楼」外観。大聖堂の前に建ち、内部は博物館である。
26. 「ヴィリニュス大聖堂鐘楼」。木造骨組越しに、最上部の鐘を見上げる。
27. 「工芸・デザイン博物館」外観全景(元武器倉庫)。
28. 「工芸・デザイン博物館」。アーチ状開口からエントランス・ホールに入る。
29. 「工芸・デザイン博物館」1階展示室。
30. 「教会遺産博物館」外観。
31. 「教会遺産博物館」内部展示室。礼拝空間に宝物が展示される。
32. 「ヴィリニュス・ピクチャー・ギャラリー」街路沿いの外観。
33. 「ヴィリニュス・ピクチャー・ギャラリー」内部展示室。
34. 「ラドヴィラ邸博物館」外観。右奥に中央棟が見えるが、その外壁は未修復である。
35. 「ラドヴィラ邸博物館」内部展示室。
36. 「KGB博物館」外観全景。元は、裁判所であり、軍オフィスやKGB施設に使われた。
37. 「KGB博物館」1階展示室。KGBによる支配の実態や民族迫害が展示される。
38. 地下階刑務所の室内が保存されている。
39. 「国立ユダヤ博物館」外観および杉原千畝氏を顕彰した碑が設置された小広場。
40. 内部展示室。正面のパネルには、杉原千畝氏に関する説明がある。
ヴィリニュスに見られるコンバージョン
 ヴィリニュスでは、旧市街の中心部に立地する「聖ヨハネ教会」の展望塔に上ると、旧市街の北部、ゲディミナスの丘から南側に旧市街が広がっていることがわかる(22)。この丘を中心とした一帯の宮殿、武器庫、兵舎などを、博物館などの文化施設に転用した事例群が、重要な観光名所になっている。「ゲディミナス城」(現、博物館、23)、「リトアニア国立博物館」(元兵舎・倉庫、24)、「ヴィリニュス大聖堂鐘楼」(現、博物館、25、26)、「工芸・デザイン博物館」(元武器庫、27 - 29)などである。中でも、工芸・デザイン博物館は、アーチ開口を伴うエントランスを入ると、半円ヴォールト天井を伴った細長いエントランス・ホール空間が連なり、美術館として興味深い空間演出が生まれ、1階の主展示空間内の柱と交差ヴォールトによる空間も迫力がある。既存の空間性をうまく生かしつつ、美術館への転用に成功した事例といえるだろう。地区の施設群全体としては、竣工年、転用年ともにばらつきがあり、一部事例は転用に際して内部構造体の刷新などの操作も行われているが、地区レベルでコンバージョン建築の集積を行うことで、文化・観光の拠点の創出に成功した。
 「教会遺産博物館」(30、31)は、既存の「聖ミカエル教会」を宝物博物館に転用した事例である。この教会では、幾何学パターンの装飾的リブ天井を備えた美しい礼拝室を中心に、ソ連時代に「ヴィリニュス大聖堂」の地下に隠されていた多くの宝物が展示されている。美しい内部空間に、宝物の輝きが加わり、独特の展示空間が生まれた。
 ヴィリニュス旧市街には、大邸宅も残っており、いくつかは美術館に転用されている。「ヴィリニュス・ピクチャー・ギャラリー」(32、33)は、旧市街の中心部に1834年に竣工した新古典主義の大邸宅を、リトアニア絵画を展示する絵画館に転用した事例である。通りに面するファサードからは、大規模な邸宅に見えないが、街路からエントランス・パサージュを抜けた奥に、広場をコの字型に取り囲む形に大邸宅が広がる。内部は、当時の邸宅のインテリアも理解できる展示となっている。
 「ラドヴィラ邸博物館」(34、35)は、後期ルネサンス様式の邸宅を保存修復し、1990年に美術館に転用した事例である。既存建築は戦争による破壊などが原因で、北側の棟のみが転用され、中央ウィングは、傷んだままの外観を、あえて修復せずに残している。
 新市街の事例に目を転じよう。「KGB博物館」(36 - 38)は、1890年にヴィリニュスの裁判所として建設されたが、その後、軍のオフィスになり、ソ連侵攻後はKGBのオフィス兼刑務所となるなど、重要な機関が入れ替わり使用した。戦後には地下の刑務所において1万人以上の囚人の処刑が行われ、リトアニア独立後に民族虐殺に関する生々しい博物館として残された。処刑室の床はガラス張りにして、処刑時の痕跡を展示し、血痕や弾痕などもそのまま残された。
 ヴィリニュスの旧市街の北東部は、ユダヤ人居住区があったが、ナチスドイツによるホロコーストで、多くのユダヤ人が犠牲になった。かつてのユダヤ人居住地の北端部に建つ、一部2階建ての緑色に塗られた木造住宅が、小規模ながらも「国立ユダヤ博物館」(39、40)に転用され、主として、ホロコーストやユダヤ人街の展示を行っている。博物館の前には、小公園が整備され、人道的な領事官であった杉原千畝氏を顕彰した碑が1992年につくられた。「月の光が、リトアニア日本領事、杉原千畝という高邁な人間を照らす。彼は、1940年にユダヤ人の避難のために2,139のヴィザを発行し、何千人もの命を救った」という謝辞が刻まれている。
まとめ
 両都市ともに、独立後に多くの転用がなされているが、世界遺産の旧市街では、外観を保存しながら、内部空間で既存構造を活かした空間演出が主となる。リガの「ホテル・ベルクス」のように、既存部に対し現代的なデザインが挿入される事例も見られるが、大半の事例では、大掛かりな建築操作は見られない。コンバージョン・デザインの現代性の追求というよりは、個々の建物の履歴や特性を尊重するという姿勢が強く反映した結果であろう。
小林 克弘(こばやし・かつひろ)
首都大学東京教授
1955年 生まれ/1977年 東京大学工学部建築学科卒業/1985年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了、工学博士/東京都立大学専任講師、助教授を経て、現在、首都大学東京大学院都市環境科学研究科建築学域教授/近著に『建築転生 世界のコンバージョン建築Ⅱ』鹿島出版会、2013年、『スカイスクレイパーズ──世界の高層建築の挑戦』鹿島出版会、2015年など