建築と私 第2回
建築を好きになったのは
田中 道子(俳優、モデル、オスカープロモーション所属)
 エッセイ1回目の前回は建築との出会いをお話ししましたが、第2回目となる今回は建築の好き嫌いについて話したいと思います。
 前回お話しした通り、ゲームの世界からインスピレーションを受け、大学から建築の世界に足を踏み込んだ私にとって、建築の世界は想像以上に敷居が高いものでした。難しいというよりシンドイ。大学の同期とはまるで話が合わず置いてきぼり。それもそのはず。建築が好きという気持ちで入学したわけではなかったので、周りの建築マニアたちに気圧されるのは当たり前です。あらゆる建築家を知ってて当然のように話してくるから、それはもう困ったものでした。まあ知らない私が悪いんですが……。
アール・デコ? ボジョレー・ヌーヴォー?
 当時はル・コルビュジエの名前すら初見。突然RCって単語が出てきても、コンクリートの中に鉄骨が入ってるなんて当時の私には衝撃の事実でした。私は建築の「見た目」の表のデザインがしたかっただけのに……。建築の九割九分が中身の話。辛い授業がほとんどでした。
 中でも苦手な授業は建築史でした。設計の授業ももちろん辛かったと思いますが、あまりにも辛過ぎたのか、当時の記憶が欠けており曖昧です。ただ、迷走に迷走を重ね、集客のための店舗設計にて女体をイメージしたデザイン案を提出した黒歴史だけは、忘れたいのに忘れられません。先生のみならず生徒からも酷評を浴びる中、前の席の男子が小さい声で「俺はいいと思うよ」って言ってくれたことだけ覚えています。彼は立派な建築士になったでしょうか……。
 話が逸れましたが、設計は建築に必要不可欠だと理解していたので、私なりに必死に課題に取り組む日々でした。しかし、建築史はそう簡単にはいきません。アール・デコ? ボジョレー・ヌーヴォー? 正直未だに理解できていません。技術は明らかに進化して人の要求も遥かに発達しているのに、なぜいまさら学ぶ必要があるのか。「歴史は繰り返す」という有名な言葉がありますよね。あれは建築に限っては当てはまらない、そう思いませんか。いまどき機械も使わず木を伐採して川下りしませんもんね。
正解のない設計に答えを導き出すロマン
 正直、大学入ってしばらくは建築を好きになれず、騙されたと嘆く日々でした。建築を好きになり始めたのはだいぶ後の話。都市設計を学び始めた頃です。この広い地球であらゆる災害に耐え続け、吹けば飛ぶようなちっちゃい人間の命と生活を守るのが建築、なんですよね。生半可な設計デザインでは成り立たないし世に出せない。しかも、設計に正解はない。正解のない設計に答えを導き出す建築士。私はその責任の重さに凄くロマンを感じました。この世界に存在するすべての建築物は、誰かの叩き出した答え。そう気付いたころから建築への見方が随分変わりました。
 自分の中で何より変わったのは歴史的建築物が大好きになったこと。昔は森で木を伐採して手作業で運んで、地盤調査もまともにできないでしょうから、経験と肌で感じる感覚頼みで設計していたんだと思います。日本には災害の多さにも負けずに残っている建築が残ってますし、災害に耐え続ける建築を残した建築士に尊敬の念を抱きます。
 だからこそ建築士の方には、これが答えだ!と胸を張れる作品を世に出し続けてほしいです。建築は良くも悪くも後世に残り続ける作品なのに、この世界で、好きなようにデザインすることが許される建築士の方は一握りだと思います。やりたくないデザインや仕事も多いと思いますが、その中でも最適解を見つけ出してほしい。そしていつか、私の考えた女体建築を設計してくれる奇才が現れないかと待ち望むばかりです。
田中 道子(たなか・みちこ)
俳優、モデル、オスカープロモーション所属、二級建築士
1989年 静岡県生まれ/静岡文化芸術大学卒業/ミス・ワールド2013日本代表、世界大会ベスト30/テレビドラマ、情報・バラエティ等に出演、最近では2021年「君と世界が終わる日に」ハル役(NTV)/2019年 第104回二科展 絵画部 初出展で初入選
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タグ:建築と私