世界コンバージョン建築巡り第25回
オスロとベルゲン──北欧情緒が漂う都市での着実なコンバージョン
小林 克弘(東京都立大学(旧首都大学東京)名誉教授)
はじめに
 ノルウェーと聞くと、フィヨルドやサーモンなどの海産物が思い出されるが、都市や建築については、すぐに思い出されるものが少ないかもしれない。ノルウェー王国の首都オスロや第2の都市ベルゲンなどの都市の建設の始まりは11世紀といわれるが、長い間、デンマークやスウェーデンの支配を受けて、国家としての独立は20世紀初頭であり、北欧の中でも新しい国に属する。しかし、このノルウェーにおいても、建築コンバージョンは、着実な役割を果たしつつある。本稿では、オスロとベルゲンの代表的なコンバージョン建築を巡ろう。
オスロ市略地図
図1 オスロ市庁舎外観。双塔を備えた対称形が印象的。
1931年に着工されたが第二次世界大戦で工事は一時中断され、1950年に竣工。設計は、アーンスタイン・アーネバーグとマグナス・ポールソン。
図2 オスロ市庁舎。1階の大ホール。ノーベル平和賞の授賞式が行われる。
図3 オスロ・オペラハウス外観。湾に面した斜面に埋め込まれたガラスの箱というデザイン。
「オスロ中央駅」に近接した湾に面した敷地に、2008年に整備された。
図4 オスロ・オペラハウス。ホワイエ。
図5 ノーベル平和センター外観。
ノルウェーの独立100年を記念し、2005年6月に、旧オスロ西駅を転用してオープンした。
図6 ノーベル平和センター。エントランス・ホール。
図7 ノーベル平和センター。展示室。
図8 アーケル・ブリッゲ外観。右が湾の水面。
造船所や巨大倉庫群が建ち並んでいた地区。建物間に屋根やブリッジをかけることで、複数の建物を一体的に転用している。
図9 アーケル・ブリッゲ内部。白い壁やガラスを基調としたデザイン。
図10 建築博物館外観。旧銀行(右)と増築部(左)。
19世紀前半に建てられたオスロ市街地の銀行を、2008年に博物館へ転用。展示空間を増築している。ノルウェーを代表する建築家スヴェレ•フェーンの設計。
図11 建築博物館。既存部のエントランス・ホール。
図12 建築博物館。増築部の展示空間。
図13 イプセン博物館。集合住宅の外観。
ヘンリク・イプセンが晩年に住んだ集合住宅内の住居を博物館に転用。
図14 イプセン博物館。2階展示室。イプセンの居室を保存展示。
図15 イプセン博物館。1階展示室。
オスロの中心部に見られるコンバージョン
 オスロは、国の南端にあるオスロ・フィヨルドの北の最奥にある港湾都市として発展し、現在人口約65万人強であり、港湾地区に市庁舎や中央駅が立地する。1950年に竣工した「オスロ市庁舎」(図1、2)は、1階の大ホールにて、ノーベル平和賞の授賞式が行われることでも知られる。ちなみに、通常のノーベル賞の表彰式は、スウェーデンの「ストックホルム市庁舎」で行われるが、ノーベルが、スウェーデンとノルウェーの平和な関係を願って、平和賞のみは、オスロで行うことを決め、それが今日まで受け継がれている。「オスロ中央駅」に近接した湾に面した敷地に、2008年には、「オスロ・オペラハウス」(図3、4)が整備され、独特の港湾地区の景観を生み出した。港湾地区および周辺の市街地では、公共施設や港湾倉庫を活かしたコンバージョンが多く見られる。
 中でも、「ノーベル平和センター」(図5 – 7)は、ノルウェーの独立100年を記念し、2005年6月に、旧オスロ西駅を転用してオープンした施設であり、ノーベル平和賞の歴史や歴代受賞者の功績を、映像などを駆使した展示で、楽しく学習できるようになっている。ノーベル平和賞の授賞地オスロらしいコンバージョン事例ということもできよう。
 ノーベル平和センターに近接した湾に面する地区は、「アーケル・ブリッゲ」(図8、9)と呼ばれる。この一角には、造船所や巨大倉庫群が建ち並ぶが、1982年に閉鎖された後に、地区全体が商業施設に転用されつつある。既存建築を単体としてコンバージョン活用するだけではなく、新築建築もつくられているが、建物間に屋根やブリッジをかけることで、複数の建物を一体的に転用している点が特徴的である。既存外壁を保存して、街に当時の景観を残しながら、内部では白い壁やガラスを基調とし、新しさを強調することで対比的な効果を生んでいる。
 「建築博物館」(図10 – 12)は、19世紀前半に建てられたオスロ市街地の銀行が、2008年に博物館へとコンバージョンされた事例である。付属する展示空間の増築を含め、ノルウェーを代表する建築家スヴェレ•フェーン(1924 – 2009)が設計を行った。既存部分は細部まで保存•修復が行われ、増築部分は既存外壁を隠さないように高さが抑えられた。ガラス、コンクリート、集成材で構成された開放的な新展示室は、既存棟とは対比的であるが、両者で魅力的な建築博物館を構成している。既存棟には、ノルウェー生まれの著名な建築評論家クリスチャン・ノルべルグ・シュルツ(1926 – 2000)の名を掲げた部屋もつくられている。
 同じく、市街地に立地する「イプセン博物館」(図13 – 15)は、ノルウェーが誇る劇作家ヘンリク・イプセン(1826 – 1906)が晩年に住んだ集合住宅内の住居を博物館に転用したハウス・ミュージアムである。イプセンの住居は2階にあり、住居内では家具や調度品も含めて元のままの保存がなされ、1階部分にイプセンに関する展示を行うスペースを新設している。集合住宅全体の転用ではなく、一部の内部空間転用の部類である。
図16 オスロ単科大学。キャンパスのゲート。上部には、ビール製造に用いる機器が象徴的に飾られている。1859年に建てられたビール醸造所一帯を大学キャンパスに転用。
図17 オスロ単科大学。既存棟(左)と増築棟(右)の狭間を内部空間化している。
図18 オスロ単科大学。既存棟の1階のカフェテリア。
図19 rom外観。
1861年に建てられたジャム工場の一部の棟をギャラリーと、建築家のアトリエに転用。
図20 rom。内部展示室。
図21 オスロ市古文書館外観。romと同じジャム工場の工場棟を転用。既存部と同様の煉瓦壁を用いた増築がなされ、かつての工場の外観を損なわないように配慮されている。奥が増築棟。
図22 DogA。外観。1900年と1912年に建てられた工場と変電所を統合し、デザインセンターに転用。内部空間は、隣接する建物同士をつなぎ合わせることで一体的な空間としている。
図23 DogA。展示室。
図24 DogA。レクチャー・スペース。
図25 ヘドマルク博物館。
オスロ市から離れた郊外都市のハーマルに立地。12世紀に建てられた要塞と18世紀の納屋跡を保護しつつ、関連資料を展示する博物館とした。スヴェレ•フェーンの設計。
図26 ヘドマルク博物館。内部空間。ブリッジが遺跡を巡る。
図27 ヘドマルク博物館。展示されている再現模型。右が納屋棟、左が教会。
図28 ヘドマルク博物館。ガラスの教会。教会の遺跡がガラス屋根で保護されている。
オスロ郊外に見られるコンバージョン
 オスロ郊外では、産業施設から文化施設や教育施設へのコンバージョンが多く見られる。
 「オスロ単科大学」(図16 – 18)は、1859年に建てられたビール醸造所一帯を大学キャンパスに転用した事例である。正門の上部には、ビール製造に用いる機器が象徴的に飾られている点が面白い。既存建築のファサードを保存しながらも、適度に増築を行いつつ、中庭の内部化を行っている。既存外壁を内部空間に取り込まれた個所では、新旧が入り混じった変化に富んだ空間が生み出されている。
 「rom」(図19、20)と「オスロ市古文書館」(図21)は、共に1861年に建てられた複数棟から成るジャム工場の一部を転用した事例である。romは工場敷地の入り口に位置する棟が、診療所に転用された後に、ギャラリーおよび建築家のアトリエとして利用されている。展示空間への転用に際しては、2階の床を抜いて、開放的な展示空間とする建的工夫がなされた。オスロ市古文書館は、既存の工場棟に加えて、既存部と同様の煉瓦壁を用いた増築がなされ、かつての工場の外観を損なわないように配慮した転用が意図されている。
 「DogA」(図22 – 24)は、1900年と1912年に建てられた工場と変電所を統合し、デザインセンターに転用した事例である。内部空間は、隣接する建物同士をつなぎ合わせることで一体的な空間となっているが、年代の異なる既存の壁や装飾が残されており、それらと現代的なデザインで付加された要素が、独特の対比的な効果を生み出している。既存の大空間をうまく活用した転用である。
 オスロ市から離れた郊外都市のハーマルに立地する「ヘドマルク博物館」(図25 – 28)は、12世紀に建てられた要塞と18世紀の納屋跡を保護しつつ、関連資料を展示する博物館とした事例である。遺跡保護と修復転用の両面の性格を持つ計画は、スヴェレ•フェーンによって行われた。全体は、展示空間、講堂、遺跡を辿るルートなどが組み合わされており、単なるコンバージョンというより、遺跡と現代建築が混在する独特な施設である。隣接して、教会の遺跡を保護する目的で作られたガラスの教会と呼ばれる施設がある。
図29 フロイエン山からのベルゲンの光景。
右中央の茶色屋根が連なる一角がブリュッゲン。ドイツ人商人の街であったブリッゲン地区は、良好な保存修復がなされて、1979年に世界遺産に指定されている。
図30 ブリュッゲン。道路沿い全景。ブリュッゲン地区は13~16世紀に、ドイツのハンザ同盟の商人たちが、住居および事務所の建設を認められた場所であり、ベルゲンの貿易の中心地。現存する建物群は1702年の大火後に建設されたもの。
図31 ブリュッゲン。棟の間の路地空間。
図32 ファースト・ホテル・マリン。外観。旧印刷工場部分。1918年建設の印刷製本会社の工場を、1998年にホテルにコンバージョン。2001年には、ホテルはヴォーゲン湾に面する建物(1904年建設)に増殖した。
図33 ファースト・ホテル・マリン。拡張部の外観。ブリュッゲンに揃えた屋根形状が並ぶ。
図34 ファースト・ホテル・マリン。旧印刷工場部分内にあるエントランス・ホール。
図35 クラリオン・コレクション・ホテル・ハブネコントレ。外観。右はブリュッゲンのまちなみ。
1920年建設の良質なオフィス・ビルを、2005年に高級ホテルにコンバージョン。
図36 クラリオン・コレクション・ホテル・ハブネコントレ。湾に面する1階に設けられたグランド・ホール。煉瓦の壁と美しい天井画で飾られている。ここから階段を上り、最上階のホール内のらせん階段を上ると屋上展望台に達する。
図37 USF造船所。外観。
20世紀初頭に建設された造船所と付属するイワシ加工工場を、1990年代に総合的なアートの教育、製作、発表の一大センターにコンバージョン。
図38 USF造船所。既存建築の中庭を内部化したものと思われるアトリウム。
図39 USF造船所。内部のダンス・スタジオ。
ベルゲンに見られるコンバージョン
 ノルウェー第2の都市であるベルゲンは、国内西側に位置し、人口約30万人強であり、13世紀に、ハンザ同盟都市に加わった後に、貿易の拠点として発展した。特に、ドイツ人商人の街であったブリッゲン地区は、良好な保存修復がなされて、1979年に世界遺産に指定されている。ベルゲン市の背後にあるフロイエン山からの光景(図29)は、市を一望する。ベルゲン生まれの作曲家エドヴァルド・グリーク(1843 – 1907)は、ベルゲンのこの光景をこよなく愛したといわれる。
 「ブリュッゲン」(図30、31)は、13~16世紀に、ドイツのハンザ同盟の商人たちが、住居および事務所の建設を認められた場所であり、ベルゲンの貿易の中心地であった。地区全体は、木造でつくられ、外観は急勾配の切妻を特徴とし、平面的には、うなぎの寝床型の細長い形状である。1702年に大火があり、現存する建築群は、大火後に建設された。この地区に残る木造建築群は、適宜、店舗やレストランに転用され、現在でも使用され続けている。細長い形状であるため、建物間に路地のような空間ができており、この路地の奥にも店舗・レストランが散在する。建築単体のコンバージョンというより、歴史地区全体に渡って、観光スポットとしての適度な商業化がなされている。コンバージョン・デザインとしてみた場合は、特別な手法は用いられていないが、正面と路地的な空間とをうまく活かしながらの転用が興味深い。
 ブリュッゲン近くに建つ「ファースト・ホテル・マリン」(図32 – 34)は、1918年建設の印刷製本会社の工場を、1998年にホテルにコンバージョンした事例である。外観の保存修復に加え、内部のエントランス周りでも既存建築のインテリアが一部残され、既存建築の沿革を記す文章や写真が展示されている。2001年には、ホテルはヴォーゲン湾に面する建物(1904年建設)に増殖した。この棟は、ベルゲンで多く見られる急勾配の切妻屋根を持ち、パターンのついた帯状の装飾など、ブリュッゲンに隣接して建つ建築の中でも質の高いものである。
 「クラリオン・コレクション・ホテル・ハブネコントレ」(図35、36)は、ブリュッゲン歴史地区の西隣りという重要な場所に位置する1920年建設の良質なオフィス・ビルを、2005年に高級ホテルにコンバージョンした事例である。湾に面する1階に設けられたグランド・ホールは煉瓦の壁と美しい天井画で飾られており、ここから階段を上り、最上階のホール内のらせん階段を上ると屋上展望台に達する。コンバージョンに際して、このグランド・ホールから、屋上までの動線を公共の動線として残して、公開している。
 「USF造船所」と呼ばれる文化施設(図37 – 39)は、20世紀初頭に建設された、ベルゲンの産業建築のイコンともいうべき造船所と付属するイワシ加工工場を、1990年代に総合的なアートの教育、製作、発表の一大センターにコンバージョンした事例である。内部は複雑な形状の平面の中に、いくつもの部門を入れているため、迷路的な空間となっている。随所に設けられたアトリウム空間は、既存建築の中庭を内部化している可能性が高く、迷路的空間の中で、道しるべ的な役割を果たしている。
まとめ
 オスロとベルゲンは、他の国に比べると、都市変化の速度が比較的緩やかであるため、コンバージョンが生じにくいようにも思われるが、コンパクト・シティであるため、コンバージョンが都市内の地区の性格の変化への対応策として極めて有効であり、着実なコンバージョンが進められている。特に、オスロにおける港湾地区や郊外の産業の変化、ベルゲンの観光都市化が、コンバージョンを推進する大きな力となっており、コンバージョンによる都市更新の着実な成果を上げつつある。
小林 克弘(こばやし・かつひろ)
東京都立大学(旧首都大学東京)名誉教授
1955年 生まれ/1977年 東京大学工学部建築学科卒業/1985年 東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了、工学博士/東京都立大学専任講師、助教授、教授を経て、2020年3月首都大学東京大学院都市環境科学研究科建築学域教授を定年退職/近著に『建築転生 世界のコンバージョン建築Ⅱ』鹿島出版会、2013年、『スカイスクレイパーズ──世界の高層建築の挑戦』鹿島出版会、2015年など