VOICE
栗田 幸一(東京都建築士事務所協会常任理事、台東支部)
平成に入って三内丸山遺跡の発掘調査を知り、自分の無知を改めて知った。登呂遺跡、大森貝塚の知識で止まっていた自分がいた。三内丸山遺跡には集会所があり、栗なども栽培されていた。日本国(当時国の概念はないと思うが)中から黒曜石、ヒスイ等が他の地域、新潟県、千葉県、北海道他と交易も盛んで一地域で生活していたのではないこともわかった。土器の底には編んだ敷物の後が残って、動物の皮を着ていたような文化ではないことも解ってきた。土器で食物を煮たりしたことは食事に費やす時間短縮に関係することも理解できた。漆の利用法もわかってきて、当時技術も発達していたことがわかった。1970年の岡本太郎さんによる「太陽の塔」も縄文土器に触発されたものと知った。安保で騒いでいたころの話である。
だんだん面白くなって色々調べてみると、科学の発達が歴史にも多くの変化をもたらしていた。その中で「DNA」鑑定のすばらしさは目を見張るものがある。前述の栗の栽培もその恩恵であるが、父系Y染色体の調査が進み、世界人類のルーツがわかりつつある。九州から沖縄まで「D型」染色体が色濃く残っていることもわかり、今までの認識が変えられた。稲作も半島から入ってきたのではなく、逆に半島へ技術が渡ったのと解ったのも「DNA」鑑定の成果である。縄文時代でなく正に「縄文文明」と呼ぶべきと感じた。
先日群馬県の岩宿遺跡に行ってきた。何と旧石器時代の「磨製石器」が発掘されていた。世界では磨製石器が出土するのは新石器時代に成ってからなのだから。戦後生まれの私にとっては、敗戦後日本は「ダメ」な国と教えられてきたが、事実を積み重ねていくと「どうも違うぞ!」とわかってきた。
話は飛躍するが、自問自答の日々をこれから重ねて、「温かさを感じる建築」(過程は後日に譲るが)を設計し続けていこうと思う。
栗田 幸一(くりた・こういち)
東京都建築士事務所協会常任理事、株式会社栗田建築事務所
1949年 東京浅草生まれ/祖父、父と3代目/1970年 東海大学工学部建築学科卒業/1970〜74年 伊奈建築設計事務所/1975年 父の経営する株式会社栗田建築事務所入社し、現在、同社代表取締役/台東支部
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