バスケットボール部主将として、地区大会に僅差敗退で上位大会への出場を逃し、これから何をしようかと考えていた中学3年の夏休み。その年から始まったNHKテレビの「ギター教室」を何気なく見るようになっていました。ある日、母が1,000円の安いギターを買ってきてくれたので、早速テキストを購入し練習し始めたのがギターとの付き合いの始まりです。
ギターの良さといえばメロディはもとより、ピアノのように和音、分散和音演奏ができ、多彩な奏法や音色によりオーケストラのような多様性を持っていることです。それ故「ギターは小さなオーケストラである」とベートーヴェンは言っています。中学時代は毎週テレビの前で胡坐をかいて練習し、卒業時にはテキストの何曲かを演奏できるようになったので、仲間内で演奏を披露したものです。
工業高校の建築科に進学してからは、自分はクラシックで行こうと決め、高校時代の3年間練習を重ねました。特に「アルハンブラの思い出」や、「モーツァルトの魔笛による主題」は集中して練習し、暗譜して曲のイメージを膨らませることができ、楽しさがいっそう増していきました。
高校卒業後は地元建設会社に東京支店の設計部希望で入社したのですが、当時は景気が良かったのですぐ現場にまわされ、現場宿舎に住み込むようになりました。これで設計もギターもできなくなるかと思いました。
就職した夏には建設会社を辞め、上京し住み込みのアルバイトをしながら設計事務所の職を探しました。秋も深まったころ池袋の設計事務所を訪ねると、その場で運よく勤めさせてもらうことが決まりました。もちろんアルバイト中も近くの喫茶店にギターが置いてあり、マスター相手に練習をしていました。
設計事務所入社後はやはり忙しくて、設計の仕事に追われる毎日でした。4畳半のアパートで夜ギターを練習すると近所から苦情が出るので、新しい曲を覚えることも少なくなりました。そして結婚し子供が生まれると練習どころではなくなり、独立したこともあって、ギターは反り返っていました。
再びギターとの接点ができたのは、子供が中学生になりPTAに参加した時です。よくある話で親父バンドをやろうとの話が出ました。20数年のブランクも気にせず新たにギターを購入。すると以前の1,000円ギターでは出せなかった良い音が響き、わくわくしてきました。今まで良い音が出ないのは私が下手で(実際下手ですが)爪が弱いからかと思っていたのが、ギターによってこんなにも違うのかと、改めてやる気が出てきました。処分したと思っていた楽譜も出てきました。
新曲も覚えようと思うのですが、やってみると近現代の曲はテクニックが難しく、集中して練習しないとレパートリーが増えません。練習していると「お父さん同じ曲ばかりでうるさい」とか、途中で家族のハミングが入り曲を奪われ邪魔されます。
ま、趣味の練習とはそんなもので、自分なりにこれからも、のんびりと練習を重ね、クラシックギターの良さを満喫していきたいと思っています。
山本 誠 (やまもと・まこと)
東京都建築士事務所協会渋谷支部、株式会社アイ・エー・シー
1951年 愛知県生まれ/1970年 県立愛知工業高等学校卒業後、地元建設会社入社/1970年 茜設計入社/1986年 独立、現在に至る
1951年 愛知県生まれ/1970年 県立愛知工業高等学校卒業後、地元建設会社入社/1970年 茜設計入社/1986年 独立、現在に至る