はじめに
今回から2回続けて、オセアニアの諸都市におけるコンバージョン建築を巡ろう。具体的には、オーストラリアのシドニーとメルボルンとブリスベン、ニュージーランドのオークランドの4都市を取り上げたい。今回対象とするニューサウスウェールズ州の州都シドニーでは、1770年にジェームズ・クックが現在のシドニー近郊を探索した後、1788年からイギリス人の入植が始まった。最初は流刑地であったため、約1,000人程度の入植者のほとんどが囚人であったが、その後、一般人の入植も進み、19世紀前半には、オーストラリアにおけるイギリス植民地の中心地となっていた。1851年に金が発見され、ゴールドラッシュが生じると、メルボルンが急速な発展を遂げ、1901年に6つの植民州がオーストラリア連邦を形成した際には、最大都市であったメルボルンが首都となる。しかし、その後1927年に新首都キャンベラが建設されて、経済の中心は再びシドニーに戻り、現在では、人口約500万人の大都市に成長している。
シドニーは、オーストラリアの東側に位置するが、市の北側で湾に面しており、突出した岬に建つシドニー・オペラハウスの光景が有名である(1)。市の中心部にハイドパークが広がり、シドニー・タワーの展望台からは、そうした都市構造がよく理解できる(2)。
シドニーにおける歴史的建築の転用
シドニーにおける最も重要な歴史的建築である「ハイドパーク・バラック」(3 - 5)は、ハイドパークに面して建ち、1819年に囚人建築家フランシス・グリーンウェイが設計した。元々、政府関連の仕事をする囚人労働者を収容するための施設であったが、19世紀半ばからは、独身女性移民の宿泊施設となり、19世紀末からは政府関係の施設として使用された。1991年の博物館に転用するためのコンペが催されて、現在では博物館となっている。オーストラリアの歴史にとって、重要な歴史的建築であるため、転用に際しては、外観は修復保存を行い、内部では、既存の空間が感じられるように展示計画がなされている。ハイドパーク・バラックに隣接する「ザ・ミント」(6 - 8)は、病院が造幣工場を経て図書館、展示スペース、オフィスなどの複合施設に転用された事例である。既存の歴史的建築に加え、裏側には、現代建築が増設されている。パブリックスペースとしての機能を持つ室は中庭周辺に集められているが、石材が用いられた既存部分に対し、増設部分はガラスとコンクリートが用いられ、新旧が対比的に共存している。
「シドニー・カスタムズ・ハウス」(9、10)は、湾に面して立地し、歴史的に重要な税関の建物を、2003年に図書スペース、展示スペース、レストランなどの機能を含んだ公共複合文化施設に転用した事例である。エントランスは中庭を内部化した明るいアトリウムであり、ガラス屋根にはコンピューター制御のルーバーが設けられた。建物の内部空間に色彩豊かな家具やガラス床が用いられ、既存の素材と現代的な素材の対比的な融合を図っている。
「ウェスティン・ホテル・シドニー」(11 - 13)は、19世紀に建てられた中央郵便局を、高級ホテルに転用した事例であり、南側には高層棟が増築されている。既存の中庭にアーチ型のガラス屋根を付加し、明るい大空間が生み出され、そこにカフェ、バーなどが配置されている。柱や大階段、開口部など既存の意匠を残しつつ、形態、素材、色彩を操作することで独特な新旧の融合が生まれた。「ポルティコ」(14 - 16)は、1926年に再建された融資あるゴシック様式のスコッツ教会に対して、教会の礼拝空間を残しつつ、上部に集合住宅を増築した興味深い事例である。1階の礼拝室以外は、集合住宅へのエントランスや商業施設に転用されている。上部増築の構造には鉄骨構造が採用され、その荷重を支えるために、低層部の組積造に対して構造補強を行っている。正面は、双塔形式の教会のイメージを見事に残しているが、側面を見上げると、仕上げの変化によって上部増築が明確に表現されている。
港湾地区施設および産業系施設の転用
「フィンガー・ワーフ」(17 - 20)は、オペラハウスの東側に位置するフィンガー・ワーフと呼ばれる埠頭に約100年前に建設された羊毛倉庫を、ホテル、集合住宅、レストランなどに転用した事例である。倉庫として使用されなくなった際に、取り壊して新たな建築を建てるという計画も生じたが、1991年に市民による保存運動の結果、転用活用が決まった。細長い形状の既存建築に対して、主要な外壁を保存修復しつつ、階段、エレベーターなどの縦動線を設置している。ホテルとなった倉庫の大空間には小屋のようなボリュームが挿入されることで、親密な空間が生み出された。湾に近い北側に集合住宅が配置されて、ホテル部分とは、ガラスの扉によって安全に隔離されている。ただし、ガラスの扉であるがゆえに、既存建築の魅力である長大さは、視覚的に感じられる工夫がなされている。「ロックス・センター」(21、22)は、シドニー入植の始発点であるロックス地区に立地する住宅と倉庫が組み合わされて、ショッピング・センターに転用された事例である。レンガ造の外壁はそのまま保存されて、複数の棟の間に、ガラスの屋根やパーゴラを伴った広場を設けることで、建築単体のコンバージョンにはない魅力を生み出すことに成功している。内部では当時使用されていた迫力ある古材が随所に使われ、スロープ、エスカレーター、階段などの縦動線を付加してバリアフリーへの配慮がなされた。
「パワーハウス博物館」(23 - 25)は、発電所を科学博物館に転用した事例である。既存建築の外壁を残しつつ、隣接して増築されたエントランス棟は、ガラスの使用によって前面広場と連続的な関係をつくっている。既存の切妻屋根を持つ大空間を生かした展示空間では、保存された外壁や既存の煙突などの既存要素と新たに挿入された展示床が、ダイナミックな空間を生み出しており、迫力に満ちている。
「オールド・クレア・ホテル」(26、27)は、シドニーの中央駅南西部地区における都市再開発事業のひとつとして、ホテルのパブと醸造所の管理ビルを組み合わせて、ブティックホテルに転用した事例である。ふたつの既存建物の間は、4層のガラスのアトリウムで連結され、新たなメインエントランスと連絡通路となっている。客室には露出された壁をそのまま残すことで、既存の建物が活用されている。
隣には、再開発の一環として、ジャン・ヌーヴェル設計の高層集合住宅が新築されており、その上部の光の調整装置は独特の外観を生んでいる(28)。
「オーストラリアン・テクノパーク」(29 - 31)は、シドニーの中央駅から数キロメーターに立地する、1887年から操業を開始した大規模機関車製造工場が、現在、機関車工場博物館、ITオフィス、会議・イベント会場などの複合施設に転用された事例である。16棟が並ぶ旧工場の佇まいは壮観であり、その端部に機関車製造を展示する博物館、中央部は、ITオフィスを中心としたテナントオフィスが入り、さらに奥は、会議場・イベント会場などになっている。オフィス部分では、大空間を残しながら、エレガントなインテリアのオフィスをつくり込むことに成功している。
博物館の脇の中庭を挟んで「国立イノベーションセンター」(32、33)という名称の研究施設があるが、この施設も転用活用されたものである。テクノパーク全体は、コンバージョンによる工場の有効活用に加えて、新築によって必要な施設を増設しつつ、拡張を続けている。
「ニュータウン・サイロス」(34 - 36)は、1930年代に建設された鉄筋コンクリート構造の小麦の穀物サイロが、1984年にサイロとしての使用を停止した後に、2005年に集合住宅の一部に転用された例である。道路沿いには、増築棟が建設されているが、遠景で高層部をみると、元の建築がサイロであったことがわかり、足元の空間でも、サイロとして使用されていた時の雰囲気を十分に残している。
まとめ
オセアニア諸都市におけるコンバージョン事例は、①都市中心部の歴史的建築のコンバージョン、②港湾地区の再整備に伴う施設のコンバージョン、③市の周縁や郊外に立地する産業施設のコンバージョン、という3タイプに分類できる。オセアニアの最初の都市シドニーの歴史は、250年にも満たないがこうした3つのタイプのコンバージョンのすべてが、数多く見られる。歴史が浅い故に、過去の建築を大切に扱うという意識が西欧以上に高いという社会風土に加えて、都市発展のスピードが速く、地区の性格が大きく変わりつつあるという発展過程も、こうした盛んなコンバージョンが生じる背景となっていると言えるだろう。
小林 克弘(こばやし・かつひろ)
首都大学東京教授
1955年 生まれ/1977年 東京大学工学部建築学科卒業/1985年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了、工学博士/東京都立大学専任講師、助教授を経て、現在、首都大学東京大学院都市環境科学研究科建築学域教授/近著に『建築転生 世界のコンバージョン建築Ⅱ』鹿島出版会、2013年、『スカイスクレイパーズ──世界の高層建築の挑戦』鹿島出版会、2015年など
1955年 生まれ/1977年 東京大学工学部建築学科卒業/1985年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了、工学博士/東京都立大学専任講師、助教授を経て、現在、首都大学東京大学院都市環境科学研究科建築学域教授/近著に『建築転生 世界のコンバージョン建築Ⅱ』鹿島出版会、2013年、『スカイスクレイパーズ──世界の高層建築の挑戦』鹿島出版会、2015年など
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