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記憶に残る建物 中村彝(つね)旧宅
高橋 政則(東京都建築士事務所協会新宿支部、一級建築士事務所有限会社高橋建築工房)
 目白駅からほどないところ、下落合三丁目の住宅街にひっそりと佇む小さな建物が残っている。忙殺されがちな日常から忘れられた記憶を呼び戻してくれるのがこの建物、中村彝の旧宅である。彝は洋画家で、一七歳で肺結核を病み、療養の傍ら北条湊(安房館山)で風景の写生をするころから洋画家を志し、新宿中村屋の相馬愛蔵・黒光夫妻の厚意で中村屋の裏のアトリエで約三年間暮らして創作活動を行ったのち、大正五(一九一六)年にこの地にアトリエを建て、亡くなるまでここで過ごしている。あまり外出ができなかった彝は、このアトリエをこよなく愛し、画友鶴田吾郎と競作した代表作「エロシェンコ氏の像」(大正五年)は、重要文化財に指定されている。闘病生活をしながら作品を制作し続けるが、三七歳という若さで生涯を閉じる。
 ここにいると大正の息吹きを感じ、アトリエで創作活動を続ける彝の光景が浮び、空間が広がってくる。彝は、ここで過ごした時間にどんな流れを感じながら創作していたのだろう。その歴史を捨て去ることなく、ひっそりと残され往時の文化を伝えている大切さを、この建物から感じとれる。ぜひ足を運びたいところである。捨て去ることは記憶にも残らない、歩んできた文化をも失う、それを教えてくれる記憶の一枚である。
出典:新宿区立中村彝アトリエ記念館、中村屋サロン美術館の各リーフレット
名称:旧中村彝旧宅/所在地:東京都新宿区下落合三丁目/竣工:大正五(一九一六)年/写真撮影:二〇一七年五月三一日/撮影者:高橋政則
高橋 政則(たかはし・まさのり)
東京都建築士事務所協会新宿支部、一級建築士事務所有限会社高橋建築工房
1978年 日本工業大学工学部建築学科卒業/1978年 一級建築士事務所 波多野純建築設計室入社/1991年1月 有限会社高橋建築工房を設立、代表取締役就任、現在に至る