左官の話
その1:左官とは
山口 明 (東京都左官職組合連合会青年部 平成会、二級建築士事務所山口巧芸舎)
図1 日本左官業組合連合会青年部が作成したマスコット「さかん君」。
図2 歌川国輝の浮世絵「衣食住之内職幼解之図」に左官が描かれています。
 平成29(2017)年9月24日に東京都建築士事務所協会が主催された「建築ふれあいフェア」が開催され、漆喰磨きや珪藻土パターンのデモンストレーションの説明をしましたが、その時、左官に関しての原稿依頼を受けました。今の左官の状況から左官を平易に伝えたいことから掲載をお受けしました。私は左官ですが、建築士としても活動しています。米本順平さん(日本左官業組合連合会関東ブロック会副会長)が左官についての記事を、日本建築士会連合会の会誌『建築士』2017年7月号に「知ってほしい建築を支える専門工事業の第5回 左官工事業」として投稿されていますが、それを補完する「左官の話」を用意しました。
左官とは
 左官とは、工業的に見れば壁を塗ることを目的とした職業であり、技術的には可塑性のコロイド物質である漆喰、セメントモルタル、石こうプラスター等を使用し、建物の壁や天井、床などを鏝で塗り上げる仕事、またそれを専門とする職種のことです。
 その名称の起源は、一般には「古代の建築では大工の下に所属しており、それを補佐するのが壁塗りであり、大工を右官と称して、壁塗りを左官と称したとする」といわれていますが、文献ではその記載がなく、これを名称の起源とする確証がありません。現在では、宮廷工事の際、工事の施工順序に従い褒美を賜り、壁塗りは大工、屋根職人、錺職人に次いで4番目であり、律令時代の階級「守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)」の「目」名称を与えたことからという説、あるいは、宮廷工事の際、大工(おおたくみ)が作業場を監督していたが、律令時代の事務官である「属(そうかん)」が大工の横で記録しており、大工の横にいるのが壁塗りだったことから慣例から「サカン」としたという説が、ある程度説得力もあり、今に至っているようです。
 江戸初期はまだ「左官」と旧名称の「壁塗」が混用されていたと思われますが、京都左官協同組合所蔵の元禄年間(1688〜1704年)の古文書では「左官仲ヶ間組」と書かれていることから、江戸時代には左官が一般的に使われるようになったようです。江戸時代の辞典『古今夷曲集』(寛文6 / 1666年)には、「まだうぬの左官がうよめの化粧には唐の土をば壁ぬりにぬる」とあり、壁塗りが左官となったと推察できます。
また、左官が施工する壁の定義は、現存する日本最古の辞書である『倭名類聚抄』(承平年間 / 931〜938年、勤子内親王の求めに応じて源順が編纂)で壁が「室之屏き也(ヘヤノシキリ)」と明記されていました。壁の「か」はスミカ・アリカで「べ」はヘダテルということで、室を仮に隔てるとの意味で、取り外し可能なパーテションであり、単に空間を仕切る非耐力壁の内壁と解釈できます。しかしながら、日本以外の欧州・中国では屋根及び床を支持する構造物、つまり耐力壁の外壁が主体です。これは、日本の気候が冬は寒く、夏は暑いことから取り外しできる仕様となっているもの推定できます。また日本の壁は取り外しが可能とするために、梁、柱等が隠れない真壁となっています。しかし日本以外の西洋・東洋は恒常的な壁で、耐火性や防犯性が高く、日本でもその必要性が高くなると梁、柱等が隠れる大壁となっています。
 戸建て住宅や寺社工事を専門とする「町場左官」と、ビルやマンション工事を得意とする「野丁場左官」に分けられます。後者の中からは床仕上げ専門職(床下地のモルタル仕上げや床コンクリート直仕上げ等を行う)も派生しました。
 国勢調査によると、近年の左官就業者数は昭和60(1985)年の295,430人をピークに年々減少し続け、20年を経た平成22(2010)年には87,400人に70%の減少となりました。他の建築専門工事業、たとえば大工就業者数は昭和60(1985)年の852,745人に対し平成22(2010)年には397,400人と53%の減少で、左官就業者数の減少が顕著であることがうかがえます(図1)。
また、左官業界は建築専門工事業のほぽすべてがそうであるように、職人の高齢化が問題になっています。左官の場合それが極端な状態になっており、今後、非常に問題になることが予想されています。左官の平均年齢が平成22(2010)年には52.4歳で、60歳以上の年齢層が全体の6割を占めています。(図2)
 昭和30〜40年代(1955〜1974年)の高度経済成長期には、鉄筋コンクリート造の建物が大量につくられ、多くの左官職人が必要とされました。戸建住宅においても、当時の内壁は綿壁や繊維壁の塗り壁仕上げが多かったのです。しかし、その後、住宅様式の変化や建設工期の短縮化(左官は、左官材料である土・漆喰・モルタルは、一般的に乾燥・硬化に時間が掛かる湿式工法である)の流れから、壁の仕上げには乾式工法の塗装やクロス等が増え、サイディングパネルや石膏ボードなど、建材の乾式化が進んみました。また、ビル・マンション工事では、コンクリートにモルタルを厚く塗らない工法に変わったことや、プレキャストコンクリート工法の増加等の要因により、塗り壁や左官工事が急速に減少、職人数も減り続けています。今後、左官の減少、技術の継承等が非常に問題になることが于想されています。
 遅ればせながら左官業界も普及活動に乗り出し、各学校に派遣講習にうかがう機会が増えましたが、一番のショックは「左官屋さんを知らない」子どもたちの多いことです。いかに左官仕上げに触れることなく育っているかということがうかがえます。しかしながら、「建築ふれあいフェア」等の左官イベントは盛況で、人気のイベントランキングでは上位を占めています。
 最近では姫路城大改修やカリスマ左官のドキュメンタリー番組、日本の伝統技術の紹介、民家の改築番組などがテレビで放映され、健康・エコロジーの面からも注目を集め、左官とその材料の認知度と評価は確実に高まっています。
 また、左官として一人前になるまで3~5年間の雑用の合間に先輩の手際を見て覚える(技は、目で盗む)見習工と称した経験を経ることとしていたのですが、最近では左官屋や技術訓練校で左官モデリング訓練*を導入して育成のスピードアップ、見習工の手待ちの減少、塗る面白さを知って定着率のアップに寄与することに努めています。わずかながら、左官仕上げの技術に興味を抱いて入職してくる若者(特に女性)が増えてきています。
 現場でも、一級左官技能士の検定試験で伝統技術を身につけた熟練工が、左官仕上げが普及し自分たちで仕上げた壁を胸を張って見せられる日が来るのを信じています。
山口 明(やまぐち・あきら)
東京都左官職組合連合会青年部 平成会、二級建築士事務所山口巧芸舎
1947年 京都生まれ/1970年 日本大学理工学部卒業/石油会社に入社。2000年退社し、埼玉県仕上高等専門校及び東京都立足立専門校を卒業後、有限会社原田左官工業所に入職/2002年 建築工事管理及び左官業である二級建築士事務所山口巧芸舎を設立、現在に至る