現代台湾の建築・都市を肌で感じた旅
平成27年度アジア研修旅行「現代の台湾 建築・都市研修視察」
福島 賢哉(東京都建築士事務所協会 研修委員会委員長)
児玉 耕二(東京都建築士事務所協会江東支部)
三代川 俊雄(東京都建築士事務所協会目黒支部)
安藤 暢彦(東京都建築士事務所協会千代田支部)
押川 照三(東京都建築士事務所協会板橋支部)
米田 正彦(東京都建築士事務所協会文京支部)
当会会員、所員33名の大勢の参加により、平成27年度アジア研修旅行「現代の台湾 建築・都市研修視察」が、5月22日(金)〜24(日)の2泊3日で実施された。滞在中はあいにく気温湿度が共に高く、時折雨の降るぐずついた天気が続いた。
初日に台北市の大矩聯合建築師事務所を訪問。所長の楊逸詠さんの案内と説明で事務所内や進行中の再開発プロジェクトを見て回ったほか、台湾の耐震基準、建築師の資格制度についてや、建築師事務所は営利法人化が難しいことなど、興味深い話が聞けた。
2日目では、完成間近の「台中国家歌劇院」を設計者の現地担当者にご案内をいただき、埃が舞う工事現場の中、存在感のある洞窟のような館内を歩いた。設計や施工技術面での困難さや工夫も感じながらの異次元体験となった。
このほか、台中市の「地震教育園」や「東海大学路思義教堂」、「宮原眼科」、宜蘭市の「羅東文化工場」、「蘭陽博物館」など、日本統治時代の改修建物や最近の建築作品も視察でき、現代の台湾の建築・都市を肌で感じるたいへん密度の濃い有意義な研修旅行となった。
特に地震破壊した建築物等を保存している「地震教育園」は、わが国にも必要な施設と映った。
移動手段は、台北、台中間は台湾高速鐵路(新幹線)、市内は専用バスの利用となったが、市内の交通渋滞が激しく一部割愛した箇所もあったものの、多くの予定が果たせた。
今回の見学に先立って、大矩聯合建築師事務所とのコンタクトは台湾日本人会の尽力によって、また見学許可の難しかった台中国家歌劇院は、設計者の伊東豊雄建築設計事務所の特別な計らいで実現したものである。改めて関係者に心より謝意を表します。
また、参加した研修委員6名の献身的なサポートとみなさんの協力によって、病気や事故もなく無事に帰国できたことに感謝します。
(福島 賢哉)
中正紀念堂を背景に記念撮影。撮影:三代川俊雄
大矩聯合建築師事務所
今回の研修会初日に訪問したのは、38名のスタッフ擁する台北の組織事務所、日本留学経験を持つ楊逸詠さんと3人のパートナーが主宰する「大矩聯合建築師事務所」である。オフィスやホテル、商業、公共施設、車や半導体などの工場も多い。伊東豊雄建築設計事務所をはじめ、日建設計、久米設計など日本の設計事務所との協働の経験もある。
規模の大きい事務所であるが、構造や設備のエンジニアはおらず、建築意匠のみであり、設計部、監理部、経理会計部で編成されている。
最近作として案内いただいたのは、敷地3.7haの再開発で民間ディベロッパーによる大規模オフィス計画。広場を囲む楕円形平面の12〜14階のオフィスが5棟。広場には池の周りに2階建ての食堂等の共用施設が並ぶ。平面を楕円形にしたのは棟間の対峙を柔らかくし、心地良い抜けと小径をつくるためだ。また、空港が近く高さ制限を受けることを逆手にとり、2層のセットバックした屋上庭園を設け、地上に整備したランドスケープと相俟って内外の空間が一体となる素晴らしい業務団地をつくり出している。
設計事務所としてのあり様も、そこで創り出されている建築作品も高水準との印象を持った。
パートナーとなっている3人は楊さんの弟子であり、後に続く者の育成も怠りない。台湾の建築界をリードする楊さんの意図とその実践に脱帽である。台湾の建築設計界のますますの活躍と発展を期待したい。
(児玉 耕二)
左上:大聯総合建築師事務所見学風景。
左下:揚逸詠さん(左からふたり目)と3人のパートナ−の方々。
右:大矩聯合建築師事務所の最新作。5棟の楕円形平面のオフィスが、池のある中庭を囲む構成。
左上と右撮影:児玉耕二
左下撮影:田口吉則
中正紀念堂
大矩聯合建築師事務所を訪問した後は、時間の関係で総督府等は車窓からの見学となり、「中正紀念堂」が最後の研修地となった。中正紀念堂の中正とは中華民国初代総統、蒋介石の本名である。施設は台北市中正区の市街地にある25万m2の広大な敷地に配置されている。蒋介石が1975年に死去した際、哀悼の意を表するための施設の設計コンペが行われ、楊卓成の設計案が採用されて1980年に竣工した。高さは約70m、屋根は瑠璃瓦、外壁は純白の大理石で圧倒的な存在感を誇っている。堂内には蒋介石のブロンズ像が中国大陸のある方位「西」を眺めるように鎮座し、背面にはその基本政治理念が彫りこまれている。集合写真の後ろの階段は89歳で死去した蒋介石の年齢に合わせて89段。集合写真には堂内の蒋介石像の頭部が写っている。今回は訪れたのが夕方6時近くで、衛兵交代儀式は見学できなかった。次回の楽しみとしたい。
(三代川 俊雄)
中正紀念堂の入口にある大忠門。撮影:三代川俊雄
地震教育園
2日目は台湾高速鐵路(日本の新幹線700系車両をベースに開発された)に台北駅から乗車。シート間距離が広めの座席にゆったりと座っていると、あっという間に台中駅に到着し「地震教育園」へ。
1999年9月に台湾中部でマグニチュード7.3の大地震が発生した当時、この場所は中学校の敷地であった。校地を分断するかのように2.5mもの大きな断層のずれが生じ、校舎も大きく被災した場所である。倒壊した校舎や地殻変動により隆起したグラウンドを見せるために大きな屋根で覆い、さらにできるだけ崩れた当時のまま見せようと透明のアクリル樹脂によって壁や柱で補強を施している。
グラウンドの曲線に沿うような形状の展示館は、片持ちコンクリートや鉄骨フレーム、ワイヤー等とガラスの組み合わせでリズム感を創出しており、展示物だけでなく建築としてのメッセージも感じた。
展示は、地震の起こるメカニズムや断層の構造、揺れの体感、被害状況を伝えるのみではない。建物の耐震・免震・制震の違いの説明などの地震災害に備える対策や技術を、ジオラマ、パネル、映像を活用して展示しており、その展示構成には、次世代の子供たちにもわかりやすく伝えようとする意図がはっきりと感じられた。実際に台湾国内の学校では教育プログラムの一環としてこの地を訪れているそうだ。深夜に被災したため、幸運にもこの学校で死者が出なかったことも保存に大きく寄与したという。
日本でも被災地保存の論議は多々あったようだが、学ぶところの多い施設であった。
(安藤 暢彦)
倒壊した校舎を大屋根で覆って展示している。撮影:三代川俊雄
断層を展示している展示室内部。撮影:福島賢哉
台中国家歌劇院
この旅を通じて感じたことは、新しい建築やまちづくりによって都市を活性化し国のアイデンティティを示そうという、都市や国の強い意志の力だ。これまでも都市や建築の見学だけでなく、現地の建築士事務所や日本人の建築士が活躍する現場を訪れてきた研修は、そのタイトな日程にもかかわらず好評で、今回ついに参加者が30名を超えた。
「台中国家歌劇院」を大人数で見学できるかという心配もあったが、実現したのは行政当局との交渉など、ひとえに設計監理者である伊東豊雄建築設計事務所のご尽力によるものである。
ツアー2日目、雨が降りしきる土曜の午後、台中市の新興街区へと向かった。日本統治時代の都市計画により整備された台中市。当時の中心街はレトロな雰囲気が漂う旧街区になり、郊外に新興街区が造成されている。ガイドの説明によれば、近年は高速鉄道の開通以降、特に発展が著しく、歌劇院周辺の新興街区の地価と住宅価格の上昇が続いているという。
見学では、まず地下の現場監理事務所で、歌劇院の概要と建設工事について監理担当の藤江航さんから説明を受けた。その後、1階のロビー、大ホールの客席と舞台、展示ホール、そして屋上庭園を見学した。現場特有の熱気が漂う内部空間は、天井と壁と床の境界が判別できない三次元曲面で構成されている。今までに見たこともない新しい空間が立ち現れようとしている、としか形容のしようがない。そのなかでも、特に洞窟のような屋内空間から眺める新興街区の風景が印象に残った。歌劇院を取り囲む高層アパートメントからも、歌劇院の内部空間を眺望できるだろう。この新しい風景の交換により、まちの文化的経済的価値が向上しているとすれば、同様の建築やまちが日本のどこにあるだろうか? と思いつつ、台北へ向かう新幹線に乗り込んだ。
(米田 正彦)
台中国家歌劇院。撮影:米田正彦
羅東文化工場、宜蘭酒工場、蘭陽博物館
台湾研修旅行最終日。台北から高速道路で約1時間、台湾島北東に位置する自然豊かな宜蘭市を訪れた。
宜蘭の街は、太平洋に面していることから多くの外国人入植者が足を踏み入れた歴史があり、多様な文化と、それが共存するコミュニティが自然豊かで文化的な街を実現させた。その文化と歴史を垣間見る3箇所の訪問が、研修旅行の最後を飾るものとなった。
羅東文化工場
「工場」という名前の文化交流施設。宜蘭を中心として活躍する台湾人建築家、黃聲遠氏と同氏が主宰する設計集団「フィールドオフィス・アーキテクツ」の設計による。宜蘭市が進めるコミュニティ形成政策の一環として建設された交流の場を提供する施設で、交流広場とそれを覆う工場のような大屋根が特徴である。
大屋根には、日本人建築家の藤森照信氏のデザインによる茶室も吊り下げられている。展示室や展望台が付属し、周囲には運動場、図書館等が配置されている。
宜蘭酒工場
100年の歴史がある紹興酒等の醸造工場。紅麹を使った老酒は台湾全土で有名になった。歴史的建物群は、一部博物館やショッピングモールになっていて歴史を感じる場所だった。
蘭陽博物館
岩盤が隆起したような迫力のある外観の、宜蘭の歴史、文化、自然を紹介する博物館。台湾人建築家、姚仁喜氏による設計。建物の躯体と外装が完成した後に内装設計に着手し、議論を重ねながら長い年月をかけて完成させた建物である。
(押川 照三)
大屋根が特徴の羅東文化工場。
撮影:押川照三
大屋根に吊り下げられた藤森照信氏による茶室。
撮影:田口吉則
宜蘭酒工場の歴史的建造物。
撮影:押川照三
台湾の建築家、姚仁喜による蘭陽博物館。
撮影:押川照三
福島 賢哉(ふくしま・けんや)
1947年生まれ/1971年日本大学大学院理工学研究科建築学専攻修了/1971〜90年株式会社 伊藤喜三郎建築研究所/1990年〜株式会社賢プランズ設計事務所代表取締役/中野支部
https://www.taaf.or.jp/search/20103.html
児玉 耕二(こだま・こうじ)
1951年宮崎県生まれ/東京大学大学院修士課程修了/1976年株式会社久米設計入社/現在、同取締役副社長/江東支部
http://www.kumesekkei.co.jp/
三代川俊雄(みよかわ・としお)
1953年東京雷門生まれ/1977年㈱東京ソリルリサーチ入社、現在構造調査設計事業部長/目黒支部長、法制委員を経て現在理事及び研修委員会委員長
http://www.tokyosoil.co.jp
安藤 暢彦(あんどう・のぶひこ)
1958年生まれ/日本大学大学院理工学研究科修了/1983年株式会社マルタ建築事務所(現:マルタ設計)入社/現在、同常務取締役/千代田支部
http://www.malta.co.jp/
押川 照三(おしかわ・しょうぞう)
+A一級建築士事務所
米田 正彦(よねだ・まさひこ)
1962年生まれ/(株)坂倉建築研究所を経て、現在(株)ATELIERFOLIUM代表取締役/文京支部長
http://www.folium-net.com/
記事カテゴリー:海外情報
タグ:台湾, 研修旅行