木の成分、その知られざる働き──④
快適環境づくりに木の香り
谷田貝 光克(東京大学名誉教授)
木の香りの下でマウスの運動量を測定。
図❶ 木の香りがマウスの運動量に及ぼす影響。
木の香りは気分を快適にし、健康を維持するのに役立つ
 木の香りが生理的にプラスに働くことの実証実験はヒトやマウスなどの実験動物を使っていろいろな方法で調べられています。次の例はマウスを使った例(図❶)です。
 ヒノキやトドマツの匂いの濃度を数段階に分けて設定したブースのそれぞれに回転ケージに入れたマウスを置いて、マウスがどの程度、回転ケージを回転させるか、すなわち回転数を調べてマウスの運動量を測定する実験が行なわれています。濃度は数ppmから1/1000ppmまでの4段階に設定しています。その結果、1ppm以下の濃度では匂いのないコントロールよりも大きい運動量を示したのに対して、1ppm以上の濃度ではコントロールよりも運動量が減少したのです。1ppm以下の濃度では毎日の摂食量が一定で、体重の増加も一定量ずつ増加することも考えあわせて、運動量の増加は快適性を増進させていると考えられます。逆に1ppm以上での運動量の減少は、匂いが強すぎてストレスを感じて動きが鈍ったためなのです。1ppm以上の濃度では摂食量、体重増加量にも規則性は見られませんでした。
 この結果は適度な濃度では快適性を増進させるのに働く木の匂いも、濃度が高くなると逆にストレスの原因となることを示しています。室内芳香剤などが多く出回っている時代ですが、必要以上に高濃度の芳香剤は逆にストレスの原因となりますので適度な濃度の調整が必要です。
 木の香りはメタボリックシンドロームを抑制するのにも役立ちます。メタボリックシンドロームは内臓の周りに脂肪が蓄積されることが大きな原因のひとつですが、高血圧、糖尿病、高脂血症などの生活習慣病にもつながってきます。
 偏った食事、運動不足、ストレス、過度の飲酒など、生活習慣病にはいくつかの原因がありますが、脂肪が蓄積するのを避けるのに食べたいものを我慢するのはきついものです。食べるものを制限せずに肥満を抑えることができればそれに越したことはありません。木の香りには肥満を抑える働きがあるのです。これもマウスを使った実験ですが、高脂肪食のグループ、高脂肪食にヒノキ精油を加えたグループに分けて飼育すると、どちらも同じような量を摂食したのですが、ヒノキ精油を加えたグループの体重は高脂肪食のグループよりも少なかったのです。太る原因になる血清中のトリグリセライド量を測定するとヒノキ精油グループは高脂肪食グループよりも少なかったのです。精油中の成分が脂肪分解を促進してトリグリセライドを減少させたのです。
 ヒノキ精油以外の木の香りでも肥満抑制効果があることが明らかにされています。肥満抑制効果がある精油を付加したボディソープやアロマオイルを1か月ほど使用したら減量効果があったとの報告もあり、この場合にも木の香り成分であるα-ピネンなどに効果があることが分かっています。
 お酒のジンの香りづけに使うジュニパーベリー(杜松実、セイヨウネズの実)の香りでも肥満が抑制されることがラットの実験でわかっています。嗅覚障害のあるラットでは体重抑制効果がないことから、香りが肥満抑制に効果があることも確かめられています。ジンの香りに浸りながら肥満を抑制できるなんてなんと楽しいことでしょう。しかし、芳しい香りに誘われて飲みすぎてしまっては健康を阻害することになりそうです。
木の香りを封入したマイクロカプセル入りの枕。
木の香りは寝つきをよくする
 木の香りが寝つきをよくし、総睡眠時間が長くなり睡眠効率を上げることも知られています。スギ、ヒバ、マツ、コウヤマキなどの木に含まれるセドロールという香り成分にその働きがあるのです。また、米国南東部に生育するエンピツビャクシンという木にも多く含まれています。セドロールには殺虫作用や消臭作用がありますので、ひところこの材の木片が納戸の虫よけ用や靴の消臭用にも売られていましたし、犬や猫のダニなどの虫を防ぐ目的で敷料にも使われています。セドロールの香りは血圧を低下させたり、心拍数を減少させて鎮静的に働くこともわかっています。このようなことが寝つきをよくするのにも関わっているのです。
睡眠時間は8時間が理想的だといわれていますので、人生の3分の1は寝て暮らすことになります。ところが最近の日本人の睡眠時間は短く、平均睡眠時間は7時間15分から7時間前後だそうです。これは欧米諸国に比べると1時間近くも短くなっています。日本人の睡眠時間は他の国に比べて最も短いグループに属しているのです。
 ゆっくりと睡眠をとれるかどうかは健康に大きな影響を与えることになります。仕事に追いやられたり、複雑な社会構造の中で生じるストレスで眠りたくても眠れず、寝不足に悩む人が少なくありません。睡眠不足はからだに変調をきたし、生活習慣病の引き金にもなります。最近では木のチップや葉、あるいは精油を練り込んだマイクロカプセル入りの枕も売り出されています(写真)。3分の1を寝て暮らす私たちにとっては共に寝起きする枕は大事な友なのです。
木材使用率と一桁足し算の回答数。
室内内装に木材を適切に使用することによる作業能率が向上。
平均値±標準偏差、N=8
p=0.08:有意水準8%で有意差あり
実験に用いたモデルルーム。
木質環境は気分をやすらげ、学習効果を向上させる
 複数の小中学校の木造校舎、鉄筋コンクリート造校舎を対象にした調査では、木造校舎は温かい、気持ちがなごむ、落ち着くといったことがわかっています。木造校舎の教室では室内の場所による温度差が小さく部屋全体が安定した環境で、冬期には昼夜の温度差も鉄筋コンクリート造に比べて小さいことがわかりました。木材率を変えたモデルルームでの簡単な計算作業では木材率の高い方が回答率が高い結果となりました。木質環境が気分を落ち着かせ学習効果をあげているのです。木の香りも少なからず関わっていることでしょう。スギ材の香りで脈拍が下がり、リラックス効果があること、ヒバ材を用いた部屋ではヒバの香りが快適で落ち着くと評価され、スギ材の場合と同じように脈拍の低下、ストレスホルモンの唾液アミラーゼが減少することもわかっています。
 また、モミの葉の香りにはパソコンでの長時間作業で緊張し、覚醒した状態を低下させ、やすらげる働きがあります。
 木のにおいは気分を和らげ、ストレスを低減し、快適な環境を創るのに役立っているのです。
谷田貝 光克(やたがい・みつよし)
香りの図書館館長、東京大学名誉教授、秋田県立大学名誉教授
栃木県宇都宮市生まれ/東北大学大学院理学研究科博士課程修了(理学博士)/米国バージニア州立大学化学科およびメイン州立大学化学科博士研究員、農林省林業試験場炭化研究室長、農水省森林総合研究所生物活性物質研究室長、森林化学科長、東京大学大学院農学生命科学研究科教授、秋田県立大学木材高度加工研究所所長を経て、2011(平成23)年4月より現職。専門は天然物有機化学
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