古民家から学ぶエコハウスの知恵 ⑧
ケーススタディ「木曽谷の民家」その2
丸谷 博男(一級建築士事務所(株)エーアンドエーセントラル代表、(一社)エコハウス研究会代表理事)
図❶ 旧・三岳村の集落配置
 三岳村の実測調査では、住居の立地と集落形態について注目して見ました。それは実測していると、集落形態と住居形式がその立地に密接に関わっていることが理解できるからです。
 旧長野県木曽郡三岳村(現・長野県木曽郡木曽町三岳)は、長野県の南西部を占める木曽郡のほぼ中央西寄りに位置しています。長野・岐阜両県にまたがる霊峰御嶽山の山懐に擁かれ、木曽川によって開析された木曽谷を挟んで東に中央アルプスを望む山村です。御嶽山麓には同山に源を発し、南北約10kmにわたって細長く延びる木曽谷の中央付近で、木曽川に合流する王滝川やその支流群による浸食作用でいく筋もの谷が形成され、複雑に入り組んだ襞状の地形が発達しています。三岳村全体を大きく見ると御嶽山の山頂からその東側山麓にかけて広がる一体を占めていますが、地形的には険しい岩場が連続する急峻な山岳部(標高1,600m付近から上部)と、森林と原野が続くなだらかな傾斜地形を見せる山地部(標高1,200〜1,600m)、中・古生層の岩石を主とする基盤が長い年月の風化作用や浸食作用によって谷状の起伏を発達させた山麓部(標高1,200m以下)に大別することができます。
 『三岳村誌下巻』歴史編の記述に「狭い段丘ではあるが、生活・生産の場として、まさにしがみつくようにして利用されていたことを分布状況から知ることができる」とあるように、決して住みにくいところではなく、現在でも問題なく生活できる地域ということができます。(図❶)
図❸ A type:河岸段丘にある集落、B type:3河川の合流点にできた比較的広い平地にある集落、C type:平地がほとんどなく、斜面にわずかな平地を切り拓いた集落
図❷ 地形環境と集落配置
図❹ C typeの集落景観
地形環境と集落景観
 古代より人びとは、洪水や土石流に見舞われる河岸を避け、地味の肥えた河岸段丘にその暮らしの場を求めてきました。平成13(2001)年に埋蔵文化財調査が行われた三岳村小島遺跡は、王滝川流域に形成された河岸段丘上に立地しています。王滝川が蛇行して急に向きを変える地点の右岸、東に向かって突き出すように形成された舌状の段丘地形を呈する部分に遺跡が形成されています。
この地域の地形は大きく上位・中位・下位と3段の段丘面を有し、遺跡の広がりは中位段丘から上位段丘にかけて認められます。特に中位段丘は20,000m2を超える平坦地をもち、縄文時代から平安時代を主とする遺跡が広がっています。
三岳村には王滝川、西野川、本洞川の三河川が流れ、木曽本谷と同じように谷深いところもあれば、小川のせせらぎを聞けるような渓流を望める穏やかな勾配の地形もあります。基本的には河川の氾濫から一定の距離を保ったところに集落が発生し定住しています。
 三河川の合流している黒沢・下殿は、旧役場(現支所)、公民館、郵便局、小中学校、旅館などがあり平坦地が広がっています。
 王滝川、西野川沿岸は、50〜100mほどの谷が切り立ち、集落は小規模に分散し、それらの多くは河岸段丘状に配置されていますが、満足な段丘もなく、山の斜面を切り拓き石垣を積み、ようやく確保した平地に家屋を建てているところもあります。
 本洞川沿岸は、水源地の上垂を除けば谷も浅く、割合平坦な地域に集落をつくっています。牧、西洞、東又などの集落があります。河岸段丘上にある集落は、比較的広い平坦地にあり耕作面積も広く取れています。中切、野口などがそうです。(図❷、❸、❹)
図❺ 中切集落の配置図
中切集落
 中切集落は、三岳村中心街の黒沢・下殿から車で15分くらいの距離にある集落で、河岸段丘上に位置しています。図❺(中切集落の配置図)は、中切集落の中心部に当たります。農作可能な所は隅々まで田畑に利用され、実測当時は養蚕用の桑は畑だけではなく山の斜面地やあぜ道にも植えていました。斜面地に立つ母屋は、刈り取った桑を背中に背負いながら、そのまま2階の蚕室に橋を架けて運び込めるようになっていました。
 山の沢から渓流の水を引いて、生活用水として活用するために、木製の筧が山から谷を渡しながら架けられていた風景をかろうじて見ることができました。
図❻ ムロ
斜面地を活かした「穴蔵」
 小島遺跡では縄文時代前期末葉からの集落形成が発見されていますが、その集落に沿って土坑群が発掘されました。現代の民家でも、ムロとして、室内の土間に掘る穴、外部斜面地の洞穴のかたちで、夏は冷蔵庫、冬は食物を凍害から守る温蔵庫として利用されている状況から、縄文時代から同じような使い方が工夫されていたことが推察されます。(図❻)
図❼多種多彩な木曽の板倉
木曽山村、特に三岳村の板倉は、同じものがひとつもないといってよいくらい、一戸一戸が異なった形をしている。
基本的なディテールや機能には共通したものがあるにもかかわらず、それぞれの建築時におけるさまざまな要因によって結果したことであろうが、とにかく、その自由奔放な造形に驚かずにはいられない。
図❽板倉の詳細
板倉は二階づくりで、下階は農具を置く前室と籾を貯蔵するゾゾウ(籾土蔵)が奥にあり、上階には箪笥や什器、古道具などが置かれる。プランについては下階に前室のあるものとないものがある。上階については適当に間仕切って使用しているものが多いが、完全に間仕切り、もうひとつの倉として外から使えるようにしたものもある。
多様にデザインされていた板倉・物置・小屋
 三岳村の木造建築で驚かされることは、敷地条件や使い勝手により、建築が本当に自由にかたちづくられていることです。材料と構法は同じなのですが結果は多様なのです。実測をしていた学生時代には、「これがデザイン」なんだと納得していました。「原理だけあって、形は自由。それぞれの家の使い勝手や敷地条件によって変幻自在に変化する」というあり方に感動したのです。
角落し(蒸籠組構法/蒸籠造り)
 村全体で4〜5棟しかないと観察していましたが、その中でも図に描いた倉は最も立派なものでした。上村家の板倉でした(図❼下段左からふたつ目)。
通し貫構法+板壁
 伝統的な貫構法でつくっていますが、壁は18mmのマツ板を柱に溝を取って落し込むという構法です。実際には、組み上げながら固めていかないと組めない構法です。この点について恩師の奧村昭雄は解体の時の様子を以下のように記述しています。
 「このとき初めて板倉の組み方がきわめて特殊なものであることを知った。すべての壁面の板が、柱と梁の溝に落とし込まれ、梁や桁が抜きほぞで組み合わせてある『通し貫』の板倉は、石を降ろせば屋根をはずすまではできるが、壁は普通の方法ではどれひとつの材もはずすことはできない。
 まず、すべての柱の足下に2枚の楔を打ち込んで、柱を土台から浮き上がらせる。そして、板倉全体に横にロープをかける。ロープを少しずつ緩めながら、壁一面ずつを外側に傾けていく。梁と桁とを組んでいた四隅のほぞがはずれれば、壁面は上から分解できるようになる。まるで箱根細工のようだ。
 建方の場合もこの逆順になる。『建前』という段階がなく、組み上がったときには板倉はほとんどでき上がりである」。(「町の工務店ネット」ホームページ http://www.bionet.jp/2009/07/okumuraarchive01/ より引用)(図❼、❽)
参考・引用文献:長野県木曽郡三岳村教育委員会『小島遺跡発掘調査報告書』
丸谷 博男(まるや・ひろお)
建築家、 一級建築士事務所(株)エーアンドエーセントラル代表、一般社団法人エコハウス研究会代表理事、東京藝術大学非常勤講師
1948年 山梨県生まれ/1972年 東京藝術大学美術学部建築科卒業/1974年 同大学院修了、奥村昭雄先生の研究室・アトリエにおいて家具と建築の設計を学ぶ/1983年 一級建築士事務所(株)エーアンドエーセントラル arts and architecture 設立/2013年一般社団法人エコハウス研究会設立