平成28(2016)年10月16日(日)、13:00に成田空港に集合し、それぞれチェックイン。昔は右往左往して添乗員にお任せでしたが、流石に皆慣れています。両替所で5,000円を20万ドンの現地通貨に換えて、出国準備完了。
ベトナム航空の直行便で約5時間半でダナン国際空港に到着。現地添乗員の案内で、北西へ約100kmのフエへ。フエはベトナム最後の王朝、グエン朝(1802–1945年)の首都で、王宮、皇帝廟、仏教寺院などが「フエの建造物群」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。
カイディン帝廟、ティエンムー寺院、グエン朝王宮
最初の訪問はフエの郊外にある1925年没のカイディン帝の墓所「カデイン帝廟」。1993年に登録された世界遺産「フエの建造物群」のひとつで、宗主国フランスの影響が感じられるつくり。モザイクが各所に使われて、日本からも磁器が調達されたとのこと。昼食会場へ移動。アルコールはほどほどにして午後の見学へ。今回の現地ガイドは日本にいたことがあり、前田建設で働いていたので建築に詳しく、下げ振りも使ったことがあるとのこと。
名門「クオックホック学校」を眺め、これも世界遺産の「ティエンムー寺院」へ。ベトナム戦争のときにサイゴンまで抗議に行って焼身自殺した住職が使った車が展示されています。「ベ平連」と共に思い出されます。ここには仏陀が入滅した時にあったという「沙羅双樹」が生えていました。
「グエン朝王宮」、これも世界遺産登録。この一帯は「テト(春節)攻勢」で壊滅的な被害を受けましたが、国の施策により元の姿を戻しつつあります。広大な敷地とはこのことをいうのではないかと思われる場所で、各所で工事が行われています。
その後、活気あふれる市場へ。まるで007に出てくるようなところで場所によっては通路が0.7m程度。食事時間でもないのに各所で食事をしています。
夕食は王宮料理。毎回17名で食前の乾杯です。奥様方ももちろん参戦。私にはベトナムのコーヒーが合いました。美味しい。
古都ホイアン
翌18日はバスでフエからダナンへ。以前トルコへ行ったときは1日500km走ったことがありましたが、今回は少し疲れました。バスがメルセデスとヒュンダイの違いでしょうか?
昼食の乾杯とコーヒーを終えて、これも世界遺産の古都、ホイアンへ。シルク工場へ案内されスーツ1.5万円(シルク)を勧められましたがやめておきました。空調のない大部屋で女工たちが細かい作業をしていました。ホイアンは16〜17世紀にわたって貿易港として栄えた港町。ポルトガル、オランダ、中国、日本と朱印船貿易を行っていましたが、17世紀中、幕府の鎖国令により交易が途絶えました。その後、政変などがありましたが、港の浚渫が上手くいかず貿易港はダナンへと移って繁栄は失われてしまいました。歴史とは面白いもので、反映しなかったが故に、まちなみなどが残って現在に至っているのです。当時日本がつくった橋が現存し、川筋の店や屋台が夜になると美しい。
五行山、ミーソン聖域
10月19日、朝、外が騒がしい。見に行くとサイクリング現地ツアー。ドイツ人はやたらと歩くのが趣味だそうで、ヨーロッパではドイツ国内を巡るサイクリングツアーも流行っています。親戚がそのインストラクターをしているのを思い出しました。大理石の山「五行山」へオプショナルツアー。日本円で5,000円/人を支払いました。為替換算してみると、ビール200円対 500円=5,000対12,500/半日。安くはありません。
往路の周りは田植えをし、水牛が優雅に歩いていました。耕運機は使わないそうです。ベトナム南部は3期作だそうで、こちら中部は2期作。
昼食後、今回最大のイベント、世界遺産の「ミーソン聖域」へ。ヒンドウー教の聖地、7世紀(聖徳太子・法隆寺)〜13世紀(安土桃山〜江戸時代)と700年にも渡った遺構が残されているといいますが、ベトナム戦争当時、米軍によりほとんど破壊されてしまっています。現在の国境でいえばカンボジアの文化の影響を受けていて、戦争をした結果として互いの文化交流があったといいます。煉瓦の積み方(漆喰などを用いない)や、焼き方で時代がわかります。この遺跡は20世紀初頭にフランス人により発見され、フランス領インドシナ連邦時代に盗掘を受けました。当日ミーソンには多くの白人が来ていました。フランス人が発見したため、ヨーロッパには情報が多くもたらされているのかもしれません。
昨年まではバス停から遺跡まで泥道だったそうですが、今年は舗装され、電気自動車が走っていてたいへん楽になったとの話がありました。
栗田 幸一(くりた・こういち)
(一社)東京都建築士事務所協会台東支部支部長、編集専門委員会委員長、株式会社栗田建築事務所
東京浅草生まれ/祖父、父と3代目/1970年 東海大学工学部建築学科卒業/1970〜74年 伊奈建築設計事務所/1975年 父の経営する株式会社栗田建築事務所入社し、現在に至る/(一社)東京都建築士事務所協会台東支部支部長、編集専門委員会委員長
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