平成28年度東京都建築士事務所協会青年部会研修
産業都市・北九州を歩く
脇 宗一郎 東京都建築士事務所協会青年部会、株式会社安井建築設計事務所
北九州の歴史・発展
 明治の産業化が発展してきた地域のひとつに北九州が挙げられる。豊富な石炭を産出した筑豊に八幡製鉄所が建設されると、門司では港湾整備と共に国際貿易港が発達し、日本3大港(横浜、神戸、門司)のひとつとして数えられていた。終戦前までの大陸貿易で賑わった当時の個性ある建築物とまちを、北九州市は「門司港レトロエリア」として蘇らせ、新しい歴史を歩もうとしている。私たちと地元市民との会話の節々にも、その雰囲気が醸し出されていたように感じた。これらの郷土愛に溢れたまちなみに2日間(1日目:小倉、2日目:門司港レトロ)の研修で可能な限り触れたいと考えた。


TOTOミュージアム外観。
日本陶器合名会社 第1号窯模型。
製作過程に必要な小道具など。
歴代の水洗便器。
TOTOミュージアム
 平成28(2016)年12月2日(金)。市内方面に向かうリムジンバスを降りたところで出迎えてくれたのは「話創会」(平成28/2016年10月7日開催)からの繋がりである福岡県建築士事務所協会(福岡会)北九州支部の彩設計工房一級建築士事務所代表の山口伸子さん。工場見学後の勉強会が楽しみだ。
 徒歩5分程度で白く丸みを帯びた建物が視界に入ってきた。これがTOTO創立100周年記念事業で建てられた「TOTOミュージアム」(平成27/2015年、設計:梓設計)である。「水滴のようにみずみずしく、衛生陶器のように白く滑らかな建築」をコンセプトに、建物形状および内部などにそれを表現しているとのこと。国道に面した創業地でダイナミックな生き生きした様子が感じ取られた。
 興味深いのは水回りの変遷で、水回りが住宅の外から中へと組み込まれてきたのは戦後であり、インフラ整備が進んできたころにできた同潤会アパートは当時最先端の集合住宅だったとのこと。生活をよくするための水回りの設備は格段に変化してきている。
 ものづくりのための歴史も変化し、今でこそ機械化することで効率的な生産に進化しているが、ここに至るまでに試行錯誤しながらさまざまな道具を使ってきた苦労や知恵が滲み出ていた。工場内見学でロボットと手作業が融合して製造された良質な陶器を見て、改めて日本の技術に感心させられた。


福岡会との勉強会風景。
福岡会との勉強会
 題材のメインは熊本地震での応急危険度判定員の現地への派遣要領について。高齢の判定士、緊急車両への同乗の拒否、特に行政や団体からの指示が遅いなどに苛立ちを覚えていたようだ。私たちの使命を活かせるようなシステムの構築が急務だと感じた。
北九州市立文学館
 「TOTOミュージアム」を後にした私たちと福岡会は小倉のまちなみを見るために繁華街へと繰り出した。いくつかの施設見学のうち、磯崎新氏の設計による「北九州市立文学館」(北九州市立中央図書館と一体の建物、旧・北九州市立歴史博物館)へも足を運んだが、外観は夕暮れ時ではっきりと見ることができなかったため、施設内で紹介されている北九州ゆかりの文学者の貴重な資料などを堪能した。
 近代で鉄と石炭の重工業都市として発展してきた北九州では文芸も醸成されていたのが分かった。森鴎外、杉田久女、松本清張……。
 日ごろ触れることの少ない文芸の世界の歴史をこの機会に勉強してみたいと感じながら懇親会会場へと向かった。


国指定重要文化財の門司港駅。*
門司港駅
 一行は小倉駅から門司港駅へ移動。目に入ってきたのは近代的な小倉駅と違ったレトロな雰囲気を醸し出した「門司港駅」(大正3/1914年、重要文化財)。かつて門司港(明治22/1889年開港)と対岸の下関駅との間に連絡船が就航したことで、門司駅が九州の表玄関にまで育っていった。そのために駅は手狭になり、連絡船桟橋に近い現在の海岸に移転・新築された。その後、港の隆盛とともに歩んできたが、昭和33(1958)年の関門トンネル(人道付き)開通と、石炭の地位低下が門司港駅と門司港の退潮に拍車をかけた。近代化の波に乗れなかった駅舎は、それゆえにかつてのままに遺され、後に国の重要文化財に指定された。
 それが門司港レトロの町興しの中心となり、周囲のまちなみは大正ロマンを醸し出すデザインで統一されてきている。この時こそ建築専門家の出番ではないだろうか。


プレミアホテル門司港外観。
プレミアホテル門司港レストラン。
プレミアホテル門司港(旧:門司港ホテル)
 今回の私たちの宿泊先は門司港駅から徒歩2分の「プレミアホテル門司港」(旧称:門司港ホテル、平成10/1998年竣工)である。イタリアの建築家アルド・ロッシが設計を手掛けているが、レトロ街の中心に位置し、ランドマークとなっている。レトロな内装(レストラン)は照明デザインひとつをとっても飽きないものだった。私たちは後ろ髪を引かれつつホテルを後にした。


旧大連航路上屋と埋立地に作られた道路。
旧大連航路上屋の1階に展示されている客船模型など。
旧大連航路上屋
 昭和初期には貨物船や客船が大陸と盛んに行き来していた門司港。その門司港と中国の大連は定期航路が開かれており、国際旅客ターミナルとして建てられたのが「旧大連航路上屋」(昭和4/1929年、設計:大熊喜邦)である。外観デザインでは幾何学模様を取り入れたアールデコ調が主であり、当時の世界の流行をいち早く取り込んでいたことが分かる。このモダンな雰囲気が当時の活気ある港町の雰囲気を伝えている。現在は、建物を改修することでイベント交流や資料の展示などに利用されている。
 なかでも、門司港に寄港していた客船の模型や航海の技術資料などは昭和初期のものとは思えないほど緻密なものだ。また、今はコリドー先端が埋め立てられているが、当時の位置に保存されている「ビット」が当時の見送りなどの状況を思い出させる。


国の有形登録文化財である旧大阪商船。
北九州市旧大阪商船
 大正6(1917)年に建てられた「大阪商船門司支店」を修復したもので、当時門司港から中国や欧州への客船が出航していたころにその拠点のひとつとして待合室やオフィスとして利用されていたとのこと。今も展示室などが多くの観客で賑わっていて、当時の出航前のひとときを楽しんでいる旅人や商人の姿を彷彿させた。


国指定重要文化財の旧三井倶楽部。
北九州市旧門司三井倶楽部
 大正10(1921)年に三井物産門司支店の社交倶楽部として建てられ、昭和24(1949)〜62(1987)年までは旧国鉄所有になっていた。その後、北九州に無償譲渡され、平成2(1990)年に国の重要文化財に指定された。アールデコ調の外観デザインで大正ロマンの香りが感じられる建物だった。
 現在はレストランとして利用され雰囲気も抜群のため、評判の「焼きカレー」をいただこうと入店したが、かなりの盛況で座れずほんとうに残念……。


海峡の歴史が一目で分かる関門海峡ミュージアム。
関門海峡ミュージアム(海峡ドラマシップ)
 関門海峡の歴史をさまざまな手法で感じられるようにつくられたミュージアムで、たとえば巌流島の決闘や源平合戦、潮流の知識などがこと細かに説明展示されている(平成15/2003年、設計:仙田満+環境デザイン研究所ほか)。なかでも1863年5月ごろに長州藩が関門海峡を通る外国船を5回にわたって砲撃したことで翌年に四国連合艦隊の報復攻撃を受け、壇之浦砲台は壊滅して長州藩の幕を閉じることになるリアルな映像に見入ってしまった。時代を問わず敵と己を知ることの戦略を感じさせられた。これもまた産業化によって発展・繁栄してきた北九州の原点になっているのではないだろうか。
見学を終えて
 後ろ髪を引かれる思いで北九州を後にし、青年部会として初めての1泊2日の研修を無事に終えることができた。
 最近、個人的に鑑賞した映画『海賊とよばれた男』は、明治44(1911)年に下関市に出光商会を創業し、北九州工業都市、下関市を中心に石油販売を広げて戦後日本経済発展に貢献した出光佐三がモデルになっている。次第に海外までに販路を拡大し、英国による経済封鎖に苦しんでいたイランからの石油輸入を成功させたことで、戦時中にも関わらず事業をまとめ上げた。当時の貿易の法律や国際情勢(欧米やイラン)の限られた情報の中で緻密な戦略とチャレンジ精神で乗り切ったことに感銘を受けた。このような氏の貢献や北九州の長い歴史・伝統は、先人の底知れぬ尽力の賜物だといえる。これらの誇れる日本の伝統文化と建築(まちづくり)、そして歴史的人物の教訓を活かすために地域、そして各地の専門家などと連携していくことが、今と昔の混在した風情あるまちなみを形成していくのではないだろうか。
 各地の青年部会と一緒に次世代に伝えていくことが実現できることを切に願う。
TOTOミュージアムの2階ショールームにて集合写真。*
無印写真撮影:筆者
脇 宗一郎(わき・そういちろう)
東京都建築士事務所協会青年部会、株式会社安井建築設計事務所