木の香り、そして木の働き ⑩
イチイ 薬用成分を多く含む
谷田貝 光克(東京大学名誉教授)
剪定され庭木にされるイチイ。
工芸材としてのイチイ
イチイの名は、仁徳天皇が笏(しゃく)をつくらせたこの木に位階の最上級の正一位を授けたことで知られている。オンコ、アララギとも呼ばれる。北海道ではオンコと呼ぶのが一般的のようだ。剪定されて庭木にされる。材の質が穏やかで木理は通直、ねじれ、狂いが少ない。心材は紅褐色で時間の経過とともに暗褐色になる。辺材は白色ないしは淡黄色で、心材と辺材の色の差がはっきりとしている。心材は重く耐朽性に富むので、門柱に使われたりする。材は弾力性にも富むので、アイヌの人たちは弓をつくっていたし、イギリス、シャーウッドの森のロビンフッドは西洋イチイの弓を持っていた。アメリカインディアンもイチイから弓をつくっていた。イチイ材は今でも洋弓の材として使われている。
材色が美しいため、花台や仏像、置物、寄木細工、お盆、額縁などの工芸品に使われ、飛騨の一刀彫やアイヌの彫刻などに利用されている。建築材としては床柱、床板、天井板として利用される。一時鉛筆材として使われていたこともあったが今では使われていない。
薬用としてのイチイ
イチイの葉は、民間で生薬名を一位葉の名で、薬として使われてきた。夏に採取して日干しして煎じて飲むと、血圧を下げ、心臓の鼓動を緩和する働きがある。薬効成分はタキシン、タキシニンというアルカロイドである。民間では材の切片を煎じて糖尿病、利尿、通経にも使われていた。
初秋に明るい赤色の特徴ある丸い実をつける。実は甘く食用になるが、種子にはタキシンが含まれているので直接食べると毒が強すぎるので食べないほうがよい。
ガンを治すイチイ
イチイで特筆すべきことはガンの治療薬として役立っていることだ。40年ほど前に、米国西部に生育する太平洋イチイの樹皮の抽出物に、ガンを抑える成分が含まれていることが見出された。その後、抗ガン成分のタキソールが採り出され、構造が決定されて、動物実験、ヒトによる臨床実験を経て30年かけて抗ガン剤として利用されるようになった。その間、研究のために多くの太平洋イチイの樹皮が剥がされたり、伐採されたりした。そのため、フクロウが住処を失うような事態も生じ、もともとそれほど蓄積の多くない樹種なので、絶滅の恐れまで懸念されるようになり、環境保護面で問題にされ出した。そのような折、同じイチイ属で欧州に生育するヨーロッパイチイにもタキソールが含まれていることが分かり、さらにヨーロッパイチイにはタキソールの前駆体が多く含まれていることも分かり、それからのタキソールへの合成も可能になるなどして、タキソールの抗ガン剤としての利用が可能になった。
イチイは成長が極端に遅いので、成木の樹皮を採取するには限りがある。複雑な構造を持つタキソールの化学合成も成功しているが、工程や収率の面から実用性には程遠い。今では組織培養などのバイテク技術を用いた製造も検討され、また、樹皮だけでなく再生可能な葉からの採取、幼木からの採取も検討されている。
タキソールのような薬用成分を含む草木は数多いし、民間薬として使われてきたものも多い。その有効成分を採り出して医薬品として実用化させるには長期間を要し、大きな障壁があることをタキソールの例は教えてくれている。しかしながら天然物は予想もしなかった構造をヒトに教えてくれ、さらにそれを出発物質としてより効き目の強い化合物の製造も可能にしてくれる。これも天の恵みだ。
谷田貝 光克(やたがい・みつよし)
香りの図書館館長、東京大学名誉教授、秋田県立大学名誉教授
栃木県宇都宮市生まれ/東北大学大学院理学研究科博士課程修了(理学博士)/米国バージニア州立大学化学科およびメイン州立大学化学科博士研究員、農林省林業試験場炭化研究室長、農水省森林総合研究所生物活性物質研究室長、森林化学科長、東京大学大学院農学生命科学研究科教授、秋田県立大学木材高度加工研究所所長を経て、2011(平成23)年4月より現職。専門は天然物有機化学
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