アンコール遺跡群を巡る旅
東京都建築士事務所協会港支部研修旅行
大谷 徳義(東京都建築士事務所協会港支部副支部長、綜合建築企画研究所)
アンコール遺跡群map
3度目のアンコール
  平成28(2016)年2月10日(水)〜2月14日(日)の5日間、東京都建築士事務所協会港支部は、カンボジアのシェムリアップ州の州都、シェムリアップを拠点にアンコール遺跡群の研修旅行を行いました。12事務所、17名の参加でした。
 港支部のカンボジア訪問は実は今回で3度目になります。港支部では、カンボジアの遺跡保存と現地指導を行っている上智大学に賛同し、毎年協賛金を寄付しており、アジアの石造建築物を自らの目で確認しようという趣旨から、これまでも、1992年と、2000年の2回、アンコール遺跡を巡る研修旅行を行ってきました。
 24年前(1992年)の第1回目の研修旅行の時は、首都プノンペンから手荷物だけを持って小型の飛行機でシェムリアップに降り立ちましたが、空港のイミグレーションは郵便局のカウンターという雰囲気でした。街にはUNTACのジープが走り回っていて、観光とはおよそかけ離れた雰囲気でした。
 それが近年、観光客が増えて、肝心の遺跡が傷み、遺跡保存と事故防止のための立ち入り禁止箇所の増加などで、ゆっくり遺跡を見学することが難しくなりりつつあります。それを憂慮して今のうちに見ておこうと今回の研修旅行となりました。
 旅行社は上智大学の石澤良昭先生から紹介されたユーラシア旅行社。添乗員はベテランの齋藤晃子さん。現地旅行社は第2回目の時に世話になったJHCアンコールツアーです。
ホテル「サライ リゾート & スパ」の客室。
プールのあるホテル「サライ リゾート & スパ」の中庭。
出発──移動の一日
 2月10日(水)、成田空港第1ターミナル北ウィングGゲート前集合。各自スーツケースを預けてVN311便、午前10時00分でハノイに向け出発。飛行時間5時間半でハノイ着午後1時50分。トランジットの後、VN841便にてシェムリアップに到着したのが現地時間午後6時20分。日本との時差は+2時間です。空港よりバスで、新しくて綺麗なホテル「サライ リゾート & スパ」へ午後7時30分着。初日は移動で終わりました。
 全室がプールのある中庭に面して配置されたホテルの部屋は約21m2。中庭側の窓ははめ殺しで、窓に接して小型のベッドくらいのソファがありました。バスルームの浴槽にあるのはハンドシャワーと固定シャワーで、給湯する水栓はなく、湯をためて体を伸ばす習慣はないようです。
 セフティボックスには貴重品は入れないようにと、添乗員の齋藤さんから強く指示されたことと、暗証番号のボタン脇のプラスチックが外れていたこともあって、私はセフティボックスを使用しませんでした。
 よく歩き、よく登り
 2月11日(木)、午前7時30分ホテルを出発。現地ガイドは若い美人のピーナさん、バスドライバーはチィネッタさん、昨晩の空港から帰国時の空港まで世話になりました。
 シェムリアップからアンコール・ワットへまっすぐ進む道路のほぼ中間にチケット売り場があります。ここで、有効3日のアンコール遺跡群に入る顔写真付きチケット(US$40)を手に入れた後、われわれを乗せた大型バスはアンコール・ワットの堀の前まで行き、ここから小型のバス(その都度行く先と金額の交渉をして)に乗り換えて、それぞれの遺跡に向かいます。
タ・プロム寺院。ガジュマルの木の根が遺跡を覆う。
タ・プロム寺院
まず空いているうちにということで、アンコール・ワットを横に見ながら「タ・プロム寺院」の見学に向かいました。この寺院は12世紀末にジャヤーヴァルマン7世によって仏教寺院として建立され、後にヒンズー寺院に改修されたと考えられているようです。ガジュマルの木の根によって遺跡そのものが包みこまれて、異様な雰囲気を醸し出しています。自然のままの状態での保存を目指していましたが、昨今、ガジュマルが老朽化して倒木の恐れがあり、それに伴って遺跡までも壊してしまうことから、危険な部分は伐採していく方向になったと聞きます。これも今のうちに見ておくべきもののひとつでしょう。
アンコール・トムの象のテラス。
アンコール・トム。ライ王像のレプリカ。
アンコール・トム。パプオン(隠し子寺)。
アンコール・トム。バイヨン寺院の菩薩像。
アンコール・トム南大門。
アンコール・トム
「アンコール・トム」(王都、およそ3km四方)には東側の勝利の門からに入りました。「象のテラス」を横に見ながら少し北へ進み、水の女神たちのレリーフの歓迎を受けながら回廊を進みます。さらに象のテラスに上がり、ライ王像のレプリカ(本物はプノンペンの博物館にある)に対面。お線香を上げてカンボジアの発展を祈りました。
ライ王とは当時大いに活躍した王であったのが癩病に倒れたジャヤーヴァルマン7世のことで、民衆に優しく病院建設などにも積極的であったと理解していましたが、ガイドのピーナさんの説明では、ライ王とジャヤーヴァルマン7世は別人とのこと。一説ではライ王とは地獄の閻魔大王ともいわれているようです。
象のテラスの上を南へ少し歩いて、「ピミアナカス」(10世紀末にスーリヤヴァルマン1世が建立)の前を通り抜け、修復の進んだ「パプオン」(隠し子寺)へ。ぐるりと回り込んで正面に出ます。疲れもピークに近い状態でしたが全員登頂に挑みました。急な階段を登り詰めると、上から見る景色は周囲の森の緑と青い空が広がり、溜まっていた疲れもすっかり癒やされました。
次はいよいよ「バイヨン寺院」。ジャヤーヴァルマン7世が帰依していた観世音菩薩の50あまりの顔をそれぞれの塔の四面に配置しているのが特徴で、建築的にはアンコール・ワットとやや異なった建築様式が感じられます。
回廊に彫られたレリーフは、隣国との戦いの様子、農村の様子、水軍の戦い、動物や、植物などレリーフが精密に彫り込まれていて、興味深く見ることができました。
シェムリアップ市街に戻り、フランス時代につくられた「ラッフルズホテル」の近くのレストランFCC(レストランの名前)へ。食事は、串焼き、フルーツ、焼き肉とご飯。そしてビール。
昼食の後はアンコール・トムの南大門へ。先にアンコール・トムの内部を見学してしまったので、堀にかかる橋の両側に配された7つ頭のナーガ、その胴体を抱え綱引きをする神々と阿修羅の54体の巨像、さらに南大門の上部に構える仏面と象の彫刻を見学しました。続いてアンコール・ワットに向かいます。相変わらず観光客の多いのには驚かされます。
夕日に輝くアンコール・ワットの第3回廊。
アンコール・ワット。十字回廊の森本右近太夫の墨書。
アンコール・ワット
堀の手前でチケットチェックを受けて長い参道を通り、向かって右が入口。象の門より西参道へ。左右に経堂を見、蓮の花の咲く池を見ながら、アンコール・ワットの大塔門を通って十字回廊へ。ここから第3回廊に登ります。
第3回廊は人数制限が設けられていました。チケットを受け取って登り、降りてくるとそのチケットを返して次の人に渡すというもので、チケットの数以上は入れない仕組みとなっています。勾配を緩くした木階段が45度を超える石段に代わって設けられていて、第3回廊に登れるようになっています。さすがにここからの景色は素晴らしく、凛とした空気と静かに広がっている平野が心の中に染みこんできます。
第3回廊を一周してまた急な下り階段を下り、十字回廊の森本右近太夫の墨書を探しました。これはポルポト時代に消されかけたとされていますが、さらに誰かが擦ってしまうんでしょうか、年々薄くなってほとんど見えなくなってきていました。
いったん外へ出て、第1回廊の浅浮き彫りを見学。マハーバーラタ、クルクシュートラの戦場の場面、カウラヴァ軍とバーンダヴァ軍の戦いの様子、戦士・騎馬・剣・弓矢、白兵戦の精緻なレリーフ、戦士たちの息吹が聞こえてくるようなレリーフでした。
帰路につきながら、西日を浴びたワットが水面に映っている池の前で集合写真! 夕食はクメール宮廷料理。ホテル午後8時50分着。よく歩き、よく登った1日でした。
朝日に浮かぶアンコール・ワットの塔。(撮影:乗富 久哉)
アンコール・ワット。第1回廊のレリーフ「天国と地獄」。
朝日に浮かぶアンコール・ワット
2月12日(金)。モーニングコール午前4時30分。ホテル出発午前5時30分、外は真っ暗。朝日に浮かぶアンコール・ワットを求めて、暗い街の中を通り抜け、アンコール・ワットの参道のかなり手前でバスを降りましたが、大勢の観光客が手に手に懐中電灯を持ってアンコール・ワット敷地内の良い場所を求めて押し寄せていました。われわれも池の手前の経堂の当たりに場所を決め、日の出を待つこと30分。やっと薄靄がピンク色に色づき、塔の後ろから太陽が姿を現しました。
またその幻想的な景色が水面に映るシーンを求めて大勢が池の前に集中。一段落したところで、昨日見残している第1回廊のレリーフを見学。天国と地獄(壁面を3段に分け、上段は王・良い兵士など、中段は閻魔大王が天国と地獄への振り分け、下段が地獄といった構成)、乳海攪拌(海というミキサー、軸受けに亀、軸を回す綱は大蛇、それを引き合う神々と阿修羅、粉々に粉砕される魚など……産物として出来るのが不老不死のアムリタです)などのレリーフも実に緻密な表現で、写真やビデオ以上の迫力でした。見学の後ホテルへ戻り朝食です。
ベンメリア遺跡。近年、観光地化してきた。
ベンメリア遺跡
午前9時40分、北東40kmの「ベンメリア遺跡」へ向け再出発。
ガイドのピーナさんの説明では「ベン」は黄色、「メリア」は花、5〜6月に咲く花の意味で、元の名前が長すぎるのでこの名前となったそうです(未確認)。さらに宮崎駿監督の「天空の城ラピュタ」のモデルになったとの説明もありましたが、遺跡の詳細が紹介されたのは映画公開よりも後で、私が6年前に訪れたときは遺跡の周辺にまだ地雷のサインが残っていたことから、これもどうでしょうか?
このベンメリア遺跡はアンコール・ワットよりも20年ほど前に建設が始まったようで、寺院の中心部は三重の回廊によって構成され、東西180m南北150mと、アンコールワットに比べてもひと回り小さいが、配置や形状など極めて似通っています。
ベンメリア遺跡の見学の後、建築に使われた砂岩の採掘現場と称するところへ行きました。しかしここは小さな小川の跡としか見えず、規模と様子が一致していないように思えました。
地雷博物館。入口。
地雷博物館
この博物館は元ポルポトの兵士として戦ったアキラさんが贖罪の気持ちから、被害に遭った子供たちの救済のために始めた地雷撤去事業に伴ってできた極めて小さな博物館です。数年前にはシェムリアップからアンコール・ワットへの裏道につくられていたものですが、街の発展に伴って北の方へ引っ越させられた博物館です。ポルポト時代に秩序なく埋設された地雷や砲弾などが展示されています。この博物館の趣旨に賛同して、研修参加者の多くがここでドネーションをし、同時に戦争のむごさ、非情を学べたことと思います。
バンテアイ・スレイの東洋のモナリザ「デヴァターの像」。
アプサラダンスショー。
バンテアイ・スレイ
960年代に建てられたもので、硬く彫刻に向いている赤色砂岩でヒンズー神話の緻密な彫刻が掘られています。1914年に発見されて海外に大きな反響を呼び、アンドレ・マルローが彫像を盗み出そうとして拘留の憂き目に遭ったのもこの美しい彫像のあるバンテアイ・スレイです。
今回私たちは、ユーラシア旅行社の骨折りで、普段は10m以上離れた柵越しにしか見られない東洋のモナリザ「デヴァターの像」を、特別に柵の内側に入り、近しく接することができました。
この日の夕食はアプサラダンスを見ながらのビュッフェ。会場には700人も入っているので、食事がゆっくりできる雰囲気は全くありませんでした。しかしダンスは子供のころから鍛えた反らせた手の指、足の指。片足で体幹をしっかりと保ち、ゆっくりとした動き。なかなか力強いダンスでした。ホテルに戻ったのは午後8時50分。
プリアカンの一部。珍しい2階建ての石造。
プリアカン
2月13日(土)、午前7時50分ホテル出発。いつものようにアンコール・ワット入口近くのバスターミナルで小型バスに乗り換え、アンコール・トムの北に位置する「プリアカン」へ。
この地はチャンパ(ベトナム中部)との戦場跡地で、戦勝記念と父ダラニンドラバルマン2世を弔うためにジャヤーヴァルマン7世が12世紀末から13世紀にかけて建立したものです。
東西800m、南北700m。中心部は東西200m、南北175m。田の字型の内回廊と9基の塔を持つ平面型の寺院です。中央祠堂の北東には丸柱の列柱の2階建ての石造建築、そして菩薩像、シバ神、ヴィシュヌ神、天女のレリーフなど多種の像が見られました。
バンテアイ・クデイ
初日に訪れたタ・プロム寺院の南西、貯水池「スラ・スラン」に対峙した位置にあります。建築様式はタ・プロム寺院やプリアカンと同じ田の字型ですが、材料の石材に時代の違う石材を転用した跡が発見されました。また数回にわたる増改築がなされていたようです。
シアヌーク・イオン博物館
「シアヌーク・イオン博物館」は出発前に上智大学の石澤先生からぜひ寄って欲しいと推薦された博物館です。ポルポト時代に多くの仏像が破壊され土中に埋められたりしましたが、上智大の方々がバンテアイ・クデイでこれを発見し、ここにその仏像を整理して展示しています。
上智大学アジア人材養成研究センター
昼食後シェムリアップの街中にある研究センターを訪れ、遺跡修復工事所長の三輪悟先生から遺跡の採掘の様子や経緯など1時間に渡る講義をいただき、石材に関する質疑などにも応じていただいて研修旅行の目的の大きな成果となりました。
この後、カンボジアでの産物のひとつであるシルクを見たいということで、シルク工場の見学も行いました。ここはシルクはもとより、木彫、石彫などの制作を行う工房のようなところで、シルクの産物の販売も行っていて、多くのメンバーがお土産にしたようです。シェムリアップのオールドマーケットでは、生活に必要な物すべてが手に入ります。食品、衣料、宝石類、土産品、何でもそろいます。24年前よりはだいぶ綺麗になっていましたが、基本的には変わっていませんでした。ここをぐるりと見学してホテルへ戻り、帰国に向けて一休み。シェムリアップからホーチミン経由で帰国しました。
港支部のカンボジア研修は3回目でしたが、今回の研修で特に学んだことは、1. 歴史は研究が進むにつれていろいろな見解が出てくること。2. 宗教:ヒンズー教、大乗仏教、小乗仏教について。3. 組積造、ボールトと迫り出しアーチ、木造からの発想について。4. 材料:ラテライト、砂岩(グレー、赤色)。5. 近代カンボジアの歴史、ポルポト、ベトナム戦争、PKO、地雷、復興。などなどでした。
アンコール・ワットと今回参加した港支部の会員。(撮影:ユーラシア旅行社)
参加者:
株式会社エヌイーオー空間計画研究室/株式会社緒方建築事務所/笠井設計株式会社/株式会社ジャパン・ドラフティング/株式会社セドー建築事務所/株式会社綜合建築企画研究所/タキロン株式会社一級建築士事務所/株式会社ツカモト/株式会社ティーオーエス計画工房/株式会社中山克己建築設計事務所/有限会社乗富久哉建築設計事務所/株式会社ユニバァサル設計 計12事務所、17名の参加でした。
特記なき写真撮影は筆者。
大谷徳義(おおたに・のりよし)
一級建築士事務所 株式会社綜合建築企画研究所代表、東京都建築士事務所協会港支部副支部長
1941年 生まれ/1963年 東海大学工学部卒業後、山田守建築事務所/1973年 東海大学建設課勤務、東海大学病院設計監理に従事/1975年 株式会社綜合建築企画研究所設立