4年ぶりとなる研修旅行は、香川県の建築を見ながら親睦を深めようと、6月16日から2泊3日、15名が参加した。
その後、谷口吉生設計の「香川県立東山魁夷せとうち美術館」(2004年)を訪れた。瀬戸大橋記念公園内に建つシンプルでこぢんまりとした美術館で、東山魁夷の作品「道」を思わせる長いアプローチを通り美術館へ入る。そして中の展示を見終えるところにカフェがあり、その席から見る瀬戸内海と瀬戸大橋の景色が、これもまた大きな作品のようであった。
ここで各自コーヒーを飲んだり、テラスで一服したりして過ごした後、同じ谷口吉生設計の「猪熊弦一郎美術館」(1991年)へ向かった。自然の中に建つせとうち美術館とは対照的に、駅前に大きなオープンスペースを持つ美術館であるが、いずれもシンプルで自然光を巧みに使った設計になっている。美術館の設計もさることながら、たまたま開催していた中園孔二の企画展もたいへん興味深いものだった。夥しい数のドローイングや作品の数々に圧倒されたが、高松で若くして既に亡くなっていたことを知り更に衝撃を受けた。
そして、今回最後に訪れた建物は、山本忠司設計の「瀬戸内海歴史民俗資料館」(1973年)である。瀬戸内海を俯瞰できる小高い山の上の建物は、地形を活かしながら内部と外部を出入りし自然と関わりながら回遊する展示室となっており、50年経った今でも斬新な設計である。山本は、香川県庁の建築課職員として香川県庁舎の建築にも携わり、昨日見学したイサム・ノグチの武家屋敷を移築した自邸の設計や庭園美術館設立にも尽力している。ヘルシンキオリンピック(昭和27/1952年)に三段跳びの選手としても出場し、フィンランドで北欧モダニズムの影響を受け帰国したとも言われている異色の建築家であった。
今回の研修では、四国の中でも香川県だけを精力的に回った。この地は戦後復興から多くの建築家や芸術家の思いが今でも色濃く残る場所である。そのような作品を身近に触れる事が出来る香川には、アートの文化が根付いており、これは将来に渡り受け継がれて行くものだと感じた。建築を志す人だけでなく多くの人に訪れてほしい場所である。
丹下健三:香川県庁舎
初日は、丹下健三設計の「香川県庁舎東館」(1958年)を訪れた。丹下健三を当時の知事に紹介した猪熊弦一郎の壁画、剣持勇の家具デザインを含め、昨年国の重要文化財に指定されている。また、免震構造での耐震改修を経て、竣工以来、今なお使用されている。開放的なピロティや水平連続窓、屋上庭園などル・コルビュジエが提唱した近代建築の5原則を忠実に取り入れつつ、日本の伝統的な柱梁のデザインを取り込んだ美しい建物は日本のモダニズム建築の傑作といわれる。また、構造事務所の多い台東支部は、デザインだけでなく免震構造のエキスパンションの位置や納め方まで興味津々であった。
イサム・ノグチと谷口吉生の美術館
2日目に訪れた「イサム・ノグチ庭園美術館」(1999年開館)は、その名の通り屋外のアトリエが美術館になっていて、実際に昭和44(1969)年頃からアトリエにしていた。石壁のサークル内は、周囲の景色と遮断したアトリエ空間となっていて、製作途中の作品がいたるところに展示してあった。大きな蔵の中には黒御影でつくられた「エナジーヴォイド」や真夜中の太陽といった大きな作品が展示してあり、石の作品に宿るエネルギーで、自然や宇宙が感じられる不思議な空間であった。また、武家屋敷を移築した自邸や裏山の庭園も見ることができた。裏山は彫刻庭園となっていて、築山の頂きには2mくらいの卵型の巨石が鎮座し、その中にイサム・ノグチの遺灰の一部が納められているとのことだった。今でもイサム・ノグチが眺めているであろうその頂きからは、好んで使用した庵治石の石切場がある五剣山と屋島、その間にある瀬戸内海が遠くに望める。そしてこの場所を紹介したのも猪熊弦一郎であった。その後、谷口吉生設計の「香川県立東山魁夷せとうち美術館」(2004年)を訪れた。瀬戸大橋記念公園内に建つシンプルでこぢんまりとした美術館で、東山魁夷の作品「道」を思わせる長いアプローチを通り美術館へ入る。そして中の展示を見終えるところにカフェがあり、その席から見る瀬戸内海と瀬戸大橋の景色が、これもまた大きな作品のようであった。
ここで各自コーヒーを飲んだり、テラスで一服したりして過ごした後、同じ谷口吉生設計の「猪熊弦一郎美術館」(1991年)へ向かった。自然の中に建つせとうち美術館とは対照的に、駅前に大きなオープンスペースを持つ美術館であるが、いずれもシンプルで自然光を巧みに使った設計になっている。美術館の設計もさることながら、たまたま開催していた中園孔二の企画展もたいへん興味深いものだった。夥しい数のドローイングや作品の数々に圧倒されたが、高松で若くして既に亡くなっていたことを知り更に衝撃を受けた。
金刀比羅神社と瀬戸内海民俗資料館
最終日の午前中は、琴平周辺を観光。私たちグループは早朝6:00にホテルから勢い勇んで出発し奥社を目指したが、本宮までの785段を登ったところで、奥社へ向う道の看板を見て打ちひしがれた。なんとイノシシ出没のため9:00まで封鎖と書いてあった。やむなく奥社を諦めホテルに戻りのんびり温泉で汗を流していたが、せっかく来たのだからと思い直し、私は改めて8:30の出発グループに合流した。再び汗だくになりながら本宮をお参りし、一部メンバーと共に1,368段の奥社を目指し、念願の天狗の御守を手にした。また、予定になかったためじっくりと見学できなかったが、本宮横に建つ鈴木了設計の「緑黛殿」(2004年)も興味深い建物であった。船の神様を祀る金刀比羅神社だからなのか、造船技術を使用したようなコールテン鋼を多用し、これがまた自然によく溶け込んでいた。そして、今回最後に訪れた建物は、山本忠司設計の「瀬戸内海歴史民俗資料館」(1973年)である。瀬戸内海を俯瞰できる小高い山の上の建物は、地形を活かしながら内部と外部を出入りし自然と関わりながら回遊する展示室となっており、50年経った今でも斬新な設計である。山本は、香川県庁の建築課職員として香川県庁舎の建築にも携わり、昨日見学したイサム・ノグチの武家屋敷を移築した自邸の設計や庭園美術館設立にも尽力している。ヘルシンキオリンピック(昭和27/1952年)に三段跳びの選手としても出場し、フィンランドで北欧モダニズムの影響を受け帰国したとも言われている異色の建築家であった。
今回の研修では、四国の中でも香川県だけを精力的に回った。この地は戦後復興から多くの建築家や芸術家の思いが今でも色濃く残る場所である。そのような作品を身近に触れる事が出来る香川には、アートの文化が根付いており、これは将来に渡り受け継がれて行くものだと感じた。建築を志す人だけでなく多くの人に訪れてほしい場所である。
松久保 秀昭(まつくぼ・ひであき)
東京都建築士事務所協会台東支部副支部長、株式会社エフ・デザイン
1967年生まれ/武蔵野美術大学建築学科卒業
1967年生まれ/武蔵野美術大学建築学科卒業
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