『コア東京』の装いが今月号から変わりました。それは、編集専門委員会の『コア東京』の誌面づくりを支える縁の下の力持ちである印刷・編集協力会社が、これまでのアルファクリエイトから建築メディア研究所に変わったからです。
しかし、先にお断りしておかなければならないのは、新しい協力会社の力を借りてもなお、肝心の記事の中身を新しいかたちにしてお見せできるまでには至っていないことです。なぜなら、記事づくりは私たち編集専門委員会各メンバー(編集委員)の仕事ですが、私たち自身がまだ変身途中で完全な脱皮を遂げていません。したがってその成果である記事の中身は、「『コア東京』はほんとうに変わったな」という印象を持っていただけるまでに至っていないのです。
先月号までの印刷・編集協力会社アルファクリエイトは、平成11年4月号から平成27年3月号まで、あしかけ17年、計192号の本誌発行に協力していただきました。通巻での発行割合は42.3%(=192号/463号)にも上ります。この間、アルファクリエイトは編集委員と一緒に、誌面の改善に尽力していただきました。私は今年の6月で編集担当理事に就いて満4年になりますが、その間にも「全頁カラー化」、「読みやすく洗練された誌面」などに寄与されています。それだけに、今回の交代劇の理由を、担当理事としてきちんと説明する責務があります。それが、これからの「新しい『コア東京』づくり」の方針を語ることになると考え、この稿を起こしました。
私は、『コア東京』が読まれなくなっている第一原因は、協会行事関連の記事が大半を占め、会員の仕事に役立つ情報があまりにも少ないことだと思っていました。
協会行事関連の記事は、その行事があった月から早くても2カ月後の掲載になりますから、「宴の後の気の抜けたビール」に似てニュース性も感動もないものになってしまいます。実際の記事の内容も、マイクを握った人の顔写真、酒を飲んで談笑する写真、集合写真、聴衆の後ろ姿ばかりが目立つ研修会の写真などで占められ、行事の様子を伝える文章も字数制限からアウトラインだけが書かれており、その良さを伝えるものが少ないのです。行事に参加しなかった会員は、ほかに読み応えのある記事があっても、それを読まずに本誌を閉じてしまうのではないかと危惧します。一編のつまらない記事が全体の評価を下げているのではないかとさえ思っていました。
発信する情報の中身に応じて、ふたつの情報媒体の特性を活かした発信の仕方をして、両媒体の魅力を高めようというアイデアです。
この問題について、情報委員会、編集専門委員会、ホームページ専門委員会の合同委員会を行い、約1年半かけて協議してきました。つまり、速報性が必要な情報は本部ホームページで、取材・調査等に時間をかけることで読み応えが生まれる記事は『コア東京』でというように棲み分ける。編集専門委員会とホームページ専門委員会が役割分担することで、共に会員にとって魅力ある情報発信ができないかという模索です。しかし、ホームページ専門委員会は、本部ホームページのシステムの構築や維持・更新を行うだけで、載せる記事の作成・編集の担い手にはならないという回答が返ってきたため、このアイデアの実現も一旦頓挫しかけました。
今まで通りの誌面情報媒体である『コア東京』のみの印刷・編集協力会社を選定する4社(アルファクリエイト、建築メディア研究所ほか2社)の見積を行い、最も安価な出値だったのが、建築メディア研究所でした。しかもそこに『コア東京Web(仮)』の編集協力費用を加えても、去年度の編集専門委員会予算と同額で進められることが判明し、今回の印刷・編集協力会社の交代が実行されることになりました。
『コア東京Web(仮)』のシステムの構築はこれからです。とりあえずできることからということで、誌面情報媒体の『コア東京』が新装オープンとなりました。
しかし、先にお断りしておかなければならないのは、新しい協力会社の力を借りてもなお、肝心の記事の中身を新しいかたちにしてお見せできるまでには至っていないことです。なぜなら、記事づくりは私たち編集専門委員会各メンバー(編集委員)の仕事ですが、私たち自身がまだ変身途中で完全な脱皮を遂げていません。したがってその成果である記事の中身は、「『コア東京』はほんとうに変わったな」という印象を持っていただけるまでに至っていないのです。
編集専門委員会メンバーがボランティアで編集、記事作成
いいわけになりますが、本誌の刊行は会費で賄われています。商業誌ではありませんから、誌面づくりの予算は限られ、その多くは編集委員のボランティアに負っています。それも本業である建築士事務所業務の合間を縫っての活動です。中身の変身には、筆力のある著者による記事が効果的ですが、原稿料の額がネックとなります。とにかく誌面の多くを、編集委員自らが取材・調査しつくり上げた記事と、会員の皆さんからの寄稿記事で構成しなければなりません。これまでも限られた予算と時間の中で、皆さんに喜んでいただけるよう各委員が少しずつ工夫を重ね改善してきました。「ローマは一日にしてならず」のことわざ通り、近道はないのです。
これまでの誌面改善の取り組み
本誌4月号は、1979年(昭和54年)1月号の創刊号から通巻で463号になります。今月号を手掛けた建築メディア研究所は、建築雑誌『新建築』の編集長であった大森晃彦さんが主宰する会社です。大森さんは去年の4月から編集専門委員会に編集アドバイザーとして出席し、その永年の編集で培った経験と知識に基づく貴重な意見をいただいてきました。それが今回の起用につながります。会員に役立ち、読みたくなる会報誌へ
私は、編集担当理事の就任当初から、編集専門委員会でことあるごとに「『コア東京』が面白くない! 」と叫んでいました。それは、アンケートを依頼しても、データの役に立たないほど回答数が少なく、『コア東京』が会員に読まれていないのが明らかだったこと。なにより私自身が読みたくなる記事があまりにも少なかったからです。担当理事の立場でなければ、多分読まないだろうと思える記事の割合が非常に多かったのです。まずこの状態を何とかしたいというのが、就任した時の大きな思いでした。
私は、『コア東京』が読まれなくなっている第一原因は、協会行事関連の記事が大半を占め、会員の仕事に役立つ情報があまりにも少ないことだと思っていました。
協会行事関連の記事は、その行事があった月から早くても2カ月後の掲載になりますから、「宴の後の気の抜けたビール」に似てニュース性も感動もないものになってしまいます。実際の記事の内容も、マイクを握った人の顔写真、酒を飲んで談笑する写真、集合写真、聴衆の後ろ姿ばかりが目立つ研修会の写真などで占められ、行事の様子を伝える文章も字数制限からアウトラインだけが書かれており、その良さを伝えるものが少ないのです。行事に参加しなかった会員は、ほかに読み応えのある記事があっても、それを読まずに本誌を閉じてしまうのではないかと危惧します。一編のつまらない記事が全体の評価を下げているのではないかとさえ思っていました。
本部ホームページとの役割分担は?
この状況を打破するためには、行事関連記事の『コア東京』への掲載は「記録」の範囲で最小限にとどめ、誌面数によって情報量が限定されることのない東京都建築士事務所協会「本部ホームページ」に載せる。そして余裕の生まれた誌面を、何カ月もかけた取材や調査に基づくホットなテーマの特集記事や、筆力のある寄稿者の手になる連載記事など、選りすぐりの質の高い記事に充てた方がいいと考えました。
発信する情報の中身に応じて、ふたつの情報媒体の特性を活かした発信の仕方をして、両媒体の魅力を高めようというアイデアです。
この問題について、情報委員会、編集専門委員会、ホームページ専門委員会の合同委員会を行い、約1年半かけて協議してきました。つまり、速報性が必要な情報は本部ホームページで、取材・調査等に時間をかけることで読み応えが生まれる記事は『コア東京』でというように棲み分ける。編集専門委員会とホームページ専門委員会が役割分担することで、共に会員にとって魅力ある情報発信ができないかという模索です。しかし、ホームページ専門委員会は、本部ホームページのシステムの構築や維持・更新を行うだけで、載せる記事の作成・編集の担い手にはならないという回答が返ってきたため、このアイデアの実現も一旦頓挫しかけました。
コア東京Web構想始動
ここで出てきたのが『コア東京』Web版構想です。編集専門委員会が誌面情報媒体の『コア東京』で作成・編集した情報を、電子情報媒体である『コア東京Web(仮)』からも発信することとし、編集専門委員会が両媒体に載せる記事の作成・編集の担い手になるというアイデアです。その実現には、編集専門委員会を陰で支えてくれる印刷・編集協力会社が、誌面ベースの『コア東京』と電子版『コア東京Web(仮)』の両方に編集協力できることが必要です。そこで登場したのが、 今月号の『コア東京』の新装オープンを手がけてくれた建築メディア研究所です。
今まで通りの誌面情報媒体である『コア東京』のみの印刷・編集協力会社を選定する4社(アルファクリエイト、建築メディア研究所ほか2社)の見積を行い、最も安価な出値だったのが、建築メディア研究所でした。しかもそこに『コア東京Web(仮)』の編集協力費用を加えても、去年度の編集専門委員会予算と同額で進められることが判明し、今回の印刷・編集協力会社の交代が実行されることになりました。
『コア東京Web(仮)』のシステムの構築はこれからです。とりあえずできることからということで、誌面情報媒体の『コア東京』が新装オープンとなりました。
加藤 峯男(かとう・みねお)
1946 年 愛知県豊田市生まれ/ 1969 年名古屋大学工学部建築学科卒業、同年圓堂建築設計事務所入所/ 1991 年 同所パートナーに就任/ 2002 年 株式会社エンドウ・アソシエイツ取締役に就任/ 2003年 株式会社エンドウ・アソシエイツ代表取締役に就任/ 2011 年 一般社団法人東京都建築士事務所協会理事に就任
記事カテゴリー:東京都建築士事務所協会関連
タグ:コア東京