支部海外研修旅行──オーストリア(ウィーン)6日間
港支部
磯永 聖次(東京都建築士事務所協会港支部、タキロン株式会社一級建築士事務所)
ホテル前で記念撮影。
 港支部の昨年度の研修旅行は熊本地震の被災地を訪問してさまざまな教訓を得た。今年度は、一昨年度のアンコールワットに続き、海外での研修として平成29(2017)年6月16日(金)〜21日(水)の6日間、オーストリア(ウィーン)を15名で訪問した。今回は基本的に自由行動で、各自がテーマをもって訪問先を決めた。私はホテルで同室のアキ・アーキテクトの清野竜志さんと一緒に、歴史的建築物と合わせて現代建築の視察も精力的に行った。


ウィーンのまちなみ。
コンパクトシティ:ウイーン
 ウィーンの魅力は、マリア・テレジア女帝時代のバロック建築と、その後のフランツ・ヨーゼフ皇帝時代の建築群である。これらの歴史的建築の多くはリングシュトラーセと呼ばれる環状道路で囲まれた旧市街地にあり、非常にコンパクトな美しい都市である。リングシュトラーセは、1周約5.3kmで、直径は約1.5kmしかなく、リング内にはほとんどの観光スポットが集中していて歩いて回ることができる。日本の皇居外周が約5kmなので、そのコンパクトさが分るだろう(山手線一周34.5km)。


シュテファン大聖堂の屋根。
ウィーンの歴史地区
 まず訪問したのは、ウィーンのシンボルであるゴシック様式の「シュテファン大聖堂」。最も古い部分は13世紀のもので、天に向かって聳える尖塔が印象的である。この聖堂を含むウィーンの歴史地区は、2001年にユネスコの世界遺産に登録された。屋根はさまざまな色の瓦でつくられており、オーストリア・ハンガリー帝国の双頭の鷲、ウィーン市とオーストリアの紋章が描かれている。
 シュテファン大聖堂の展望台は南塔と北塔の2カ所あるが、南塔には階段しかなく、350段の階段を登るため、早々に断念してエレベータのある北塔に5.5ユーロを支払って登った。ちなみに、階段のみの南塔に登る場合にも4.5ユーロが必要である。
 国立歌劇場近くのリングシュトラーセの内側に面する英雄広場には、対トルコ戦の英雄オイゲン公の騎馬像が勇ましく君臨し、その背後には弓形の新王宮が優雅に聳え立つ。ノイエ・ブルクは現在は民俗学博物館、エフェソス博物館として利用されている。 同じ場所のリンクシュトラーセの外側に面するマリア・テレジア広場の両翼には、同じ建築様式のウィーン自然史博物館と美術史美術館が対をなして建っている。
 カールスプラッツ広場周辺のウィーンツァイレ通りにはウィーンで最も有名なユーゲントシュティール様式のセセッシオン館があり、カールスプラッツ広場にはバロック様式のカールス教会が優雅に建っている。通りの反対側にはネオクラシック様式の楽友協会ホールと、年代の違う建築が素晴らしいコントラストを奏でている。


ガソメーターと集合住宅(コープ・ヒンメルブラウ)。
ガソメーター──新たな都市センター
 ウィーンのシンメリンクは、かつては重要な工業地帯として発展してきた。そのシンボルともいうべき4基のガスタンクが、建築家4チームの設計で、モダンな都市センターへと生まれ変わった。ジャン・ヌーヴェル、コープ・ヒンメルブラウ、マンフレート・ヴェードルン、ウィルヘルム・ホルツバウアーの建築家がそれぞれ1基のガスタンクの設計を担当し、歴史的な外観を保存しながら、ウィーンの新たな都市センターへと変貌させた。特にコープ・ヒンメルブラウの反り返った集合住宅は、古いガスタンクに寄り添って天空へ伸び上がり、一際、新旧の対比を明確にしている。
オペラ鑑賞4ユーロ
 カールスプラッツにあるウィーン国立歌劇場には、2日目の夕方にオペラ演奏を鑑賞するために訪問した。といっても、なんとたったの4ユーロの立見席のチケットが売られていた。さらにもっと安く入る方法もあり、バルコンやギャラリーという2階以上のところにはなるが、なんと3ユーロ。4ユーロの立見席は、パルテレという土間席のいちばんうしろだが、舞台までの距離が非常に近く、本当にこの値段でいいのか、と思えるくらいの場所だった。土間の最後尾の椅子席が265ユーロ(約3.5万円)するので、立見とはいえ、ほとんど同じ位置から鑑賞できることが信じられなかった。


ティーチング・センター(バスアルヒテクトゥール)。
ウィーン経済経営大学ラーニング・センター(ザハ・ハディド)。
スチューデント・センター(阿部仁史)。
ウィーン経済経営大学のザハ・ハディド
 3日目は朝から、リンク通りの外側を訪問した。ウィーン経済経営大学の新キャンパス(2013年10月竣工)は、ウィーン中心部からほど近いドナウ運河とドナウ川に挟まれたプラターの森に隣接した敷地にある。設計者は国際コンペにより選ばれ、全体のマスタープランと、学科棟、ティーチング・センターが入る棟をバスアルヒテクトゥールが担当した。
 まさに、ここは世界の現代建築の見本市のような大学である。その中に日本の建築家の名前もあることに誇らしげな気持ちを抱きながら、キャンパス内を視察した。やはり、ザハ・ハディド設計のラーニング・センターには釘づけになった。流線形で躍動的なデザインには、ものすごい建築の生命力を感じた。新国立競技場の当初のザハ案が見たかったのは私だけではないだろう。今更ながら、日本にザハの作品がないことが悔やまれる。


DCタワー1(ドミニク・ペロー)。
ドナウ・シティの「DCタワー1」
 ドナウ川の雄大な流れを右手に見ながら北上し、ドナウ川の対岸に見えるオーストリアで最も高い超高層ビル「DCタワー1」を目指してドナウインゼル橋を歩いて渡りドナウシティに向かった。
 ドナウシティはウィーンの旧市街地を外れたビジネス地区として開発された地区で、オーストリアの建築家アドルフ・クリシャニッツとハインツ・ノイマンによってマスタープランがデザインされた。2002年にドナウシティの最後の開発地区として残っていたエリアでDCタワー1のコンペが実施され、最優秀案となったドミニク・ペローの案が選ばれた。ペローのデザインは、アイコニックなキャラクターとウィーンの歴史性が織りなす圧倒的な視認性を持っている。
 そこから、高さ252mのドナウタワーまで歩いた。ドナウタワーは遠くからもよく見え、ウィーンのシンボルのひとつとなっている。展望台からは、ウィーンの旧市街やウィーンの森、そして天候によっては、かなり遠くまで見事なパノラマを一望することができる。ドナウタワーは1964年、国際ガーデンショーに因んで建てられた。ショーの会場はドナウパークとなり、広い草原、ジョギングコース、子供用の遊び場、花壇などが今も人々に憩いの場を提供している。ドナウタワーからはバンジージャンプに挑戦することもできる。
シェーンブルン宮殿でディナーとコンサートを
 3日目の夕方からは、事前に日本で申し込んでいた「シェーンブルン宮殿ディナー&コンサート鑑賞ツアー」に5人で参加した。
 シェーンブルン宮殿は、ハプスブルク王朝の歴代君主が主に離宮として使用していた宮殿であり、庭園群と合わせて1996年に世界遺産に登録されている。宮殿内には、すべての部屋を合計すると1,441室もの部屋があり、両翼の端から端までは180mもある。正面右側翼には宮廷劇場もある。庭園も含めて非常に落ち着いた優雅な空間となっている。
 参加者5人は、専用の送迎車での現地到着後、宮殿内のレストランに案内され、フレンチのコース料理をいただいた。食事のお供にと、オーストリアの地ビール(オッタークリンガー)を注文したが、想像以上にまろやかな味わいだった。
 食事のあとは、宮殿内のオランジェリー(大ギャラリー)にてモーツァルトとシュトラウスの曲を中心にオペラとクラシックを楽しんだ。


グラーツ駅前のロータリー。
グラーツへ
 4日目は、朝からウィーンを離れてオーストリアの第2の都市グラーツへ。
 グラーツはシュタイアーマルク州の州都で、人口は25万人ほど。1999年に街の中心部がグラーツ市歴史地区として世界遺産に登録された(2010年には拡大登録)。2003年には、EUが指定する欧州文化首都として、1年間にわたり集中的に各種の文化行事も展開された。
 グラーツへは、ウィーン中央駅からOBB(オーストリア連邦鉄道)のレイルジェットに乗って、2時間35分で到着。まず驚いたのは、プラットフォーム上屋が最新の現代建築であることだ。ウィーン中央駅のそれが直線を基調とした多面体であるのとは対照的に、ザハを彷彿とさせる流線形を多用した斬新なデザインである。駅前ロータリーにも、テクスチュアを変えた非常に美しい流線形の屋根がかかっていた。


ムーアインゼル(ヴィト・アコンチ)。
ムーアインゼル
 ムーアインゼルは、グラーツが2003年欧州文化都市を記念して建設したムール川を渡る歩道橋の役割の人工島。ニューヨークの芸術家ヴィト・アコンチの設計で、両岸から桟橋でつながる軽快な建築。
クンストハウス( ピーター・クックほか)。
巨大ナマコ? クンストハウス
 カラフルな路面電車に乗り込み、いちばんのお目当ての、「クンストハウス」へ向かった。クンストハウスは、ドイツ語で、常設の展示やコレクションを持たない現代アートの展示を重視する美術館である。クリエーターたちは、フレンドリーエイリアンと呼んでいるようだが、私にはエイリアンというより、まるでナマコだ! オーストリア伝統の切妻屋根に赤いテラコッタの屋根が一面に広がる中に突如として現れる。まるで生き物のように奇抜な建築の美術館に唖然としながら上空からもシャッターを押し続けた。
 グラーツも、ウィーンと同じように非常にコンパクトな都市であり、1日あれば主要な部分を回ることができた。また、生活の足として路面電車がうまく機能しており、旧市街地では車は必要なく(実際に車の走行は少ない)、理想的なコンパクトシティが既に形成されている。
CLT
 オーストリアは、ヨーロッパの中心に位置し、東西、南北と実に7か国と国境を接している。ヨーロッパ諸国の交差点という立地から古くから新しい文化発祥の地として発展を遂げてきた。現代においても、新しい現代建築がブームを迎えている。日本でも法律が整備され普及し始めたCLTは、1995年頃からオーストリアを中心として発展したものであり、現在では、イギリス、スイス、イタリアなどヨーロッパ各国でさまざまな建築に利用されている。

 今回、初めてオーストリア(ウィーン、グラーツ)を訪問して、オーストリアのまちなみ(景観)に対する普遍的な価値観を感じることができた。  まちなみは、長い時間をかけてつくられ、それぞれの人びとの記憶として宿る。ウィーン、グラーツともに、まちづくりに対して丁寧に時間をかけている。日本のまちづくりにおいても参考になることが多い研修となった。
磯永 聖次(いそなが・せいじ)
東京都建築士事務所協会港支部、タキロン株式会社一級建築士事務所 管理建築士
1985年 国立徳山工業高等専門学校建築専攻卒業後、東京理科大学建築学科編入/1988年 川鉄エンジニアリング株式会社入社/1998年 財団法人建築行政情報センター/2007年 同行政部(日本建築行政会議)/2010年 同 建築行政研究所 上席研究員/2014年 タキロン株式会社
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