思い出のスケッチ #310
FLATIRON BUILDING
森川 浩弌郎(東京都建築士事務所協会港支部/株式会社エンドウ・アソシエイツ元所員)
 マンハッタンの都市計画は南北に走るアべニューと東西に走るストリートで碁盤の目のように設計されましたが、マンハッタンの農場を結ぶ旧道ブルーミングデール・ロード(現ブロードウェイ)は残されました。その結果二三丁目の五番街と斜めに走るブロードウェイが交叉する所に三角形の敷地ができましたが、その敷地の形にあわせた三角形の二二階建、高さ八二メートルのビルが建設されました。アイロンの形をしているのでフラットアイアンビルと呼ばれていますが、元の名はフーラービルです。マジソンスクエアーパークに隣接するニューヨークの象徴となる建物のひとつであり、ランドマークに指定され、ポストカードになったり、アルフレッド・ステイーグリッツやエドワード・スタイケンの写真でも有名です。ダニエル・バーナムの設計によるルネッサンス様式のデザインで鉄骨フレーム構造。外装はライムストーンとテラコッタの美しい装飾が施されています。この建物は着工後わずか一年で一九〇二年六月に完成し、もう既に一〇〇年以上を経過してニューヨクで最も古い摩天楼ともいわれています。
 五番街とブロードウェイを抜ける風が二三丁目の角で合流して強いビル風が発生するのでポリスがスカートがめくれるのを期待して集まる男たちを追い払っていたというエピソードもありますが、実際に近所の建物のガラスが割れる等の風害もあったようです。
 特異な形をしているので見る場所、アングルによって建物の表情が異なるのでスケッチをする場所を決めるのに苦労しましたが、この絵はマジソンスクエアーパーク側から見ています。
森川 浩弌郎(もりかわ・こういちろう)
1960年 大阪市立都島工業高等学校卒業/1960年 大阪で圓堂建築設計事務所に入所/1962年 圓堂建築設計事務所東京に移転にともない東京に移転/1966 - 1968年 圓堂建築設計事務所勤務中、中村順平先生に師事する/1991 - 1997年 YENDO ASSOCIATES INC.ニューヨーク事務所に勤務/現在、米国コネチカット州に在住