木の成分、その知られざる働き──⑦
山の幸 特用林産物
谷田貝 光克(東京大学名誉教授)
表❶ 特用林産物(国の通達で分類されていたもの)
特用林産物とは
 森林は家を建てるのに必要な柱や板となる木材を提供するだけでなく、水資源貯留、浸食防止、水質浄化、保健・レクリエーション、二酸化炭素吸収による温暖化防止など、いくつかの公益的機能をもっています。これらの多面的な機能を持つ森林の環境資源としての機能の評価額は年間70兆円ともいわれています。それだけではありません。山菜は食卓を賑わし、薬用植物は病気の治療・予防に役立ち、染料植物は草木染めとなり自然のおだやかな彩りを添えるなど、私たちの生活を豊かにしてくれます。このような森林から生産される産物で、木材を除いたすべてのものを特用林産物といいます。言葉を変えれば森林から生産される非木材産物です。 特用林産物には、きのこ類、特用樹類、山菜、薬用植物類、樹実類、樹脂・精油類、竹類、薪炭類、森林動物類があります。表❶に示されている品目を見てもいかに山の恵みが多岐にわたり、私たちの生活に彩りを添えて、豊かにしてくれてきたかがわかります。
図❶ マツヤニ採取
図❷ 虫が閉じ込められた琥珀
抽出成分としての特用林産物①──マツヤニ
 マツの幹を傷つけ滲出する粘ちょう性の樹液がマツヤニで、これを数日間放置しておくと白い固体になりますが、これは揮発性のテレピン油が揮発して不揮発性のロジンが残るためです。マツヤニはわが国でも戦前には採取していましたが、現在は輸入に頼っています。テレピン油はペイント溶剤、粘着テープなどの原料、香料原料などに用いられます。ロジンは、紙のインクにじみ止め用、印刷インク、接着剤、塗料などに用いられます。天然物のロジンは炭素20個から成るジテルペン類で構成されていて、分子量がほぼ一定なので化学的・物理的に扱いやすく、化学合成品が多く出回る中でも絶えることなく使われている天然物のひとつです。野球のピッチャーが投球の時に使うロジンバッグ、バイオリン奏者が使う弦、抗潰瘍などの医薬品合成の原料にも使われます。
 マツヤニが数千年も前に幹から落ちて地中で加圧されてできたのが装飾品として珍重される琥珀ですが、マツヤニに体を取られてそのまま化石化した虫入り琥珀もよく見られます。琥珀に閉じ込められた蚊の血液から恐竜のDNAを取り出し恐竜を生き返らせるという、小説・映画「ジュラシックパーク」は、なんでもDNAで解決してしまうような時代になった現代に似あったSFです。こんな時代が現実になったら怖いですね。
 ところで蚊がどんな色を好んで寄ってきて産卵するかという実験報告があります。それによると琥珀色なのです。数千年も前から蚊の好みは変わっていないと考えるのは考えすぎかもしれません。
 わが国では第二次大戦中に航空機燃料を補う目的で、松の根を乾留して松根油製造を全国各地で行なっています。これは伐根をして300℃程度まで加熱して得られる揮発成分を冷却液化したもので、この液化物には熱分解による大量の木酢液やタールと共に松の揮発性成分であるテルペン類が含まれています。これを蒸留して得られるテルペン含量の高い部分を航空機燃料として使用することを目的としましたが、実際には利用されずに終戦を迎えてしまいました。樹木の精油・樹脂分は通常、先端から根元に行くにしたがって含量が高くなりますので、根株を掘り起こして松根油を採取したのは理に合っています。実際に現在でも海外では松の根株の蒸留によってテレピン油、ロジンを採取しているところがあります。300℃まで加熱する乾留では揮発分が揮発しやすく、またマツ材の熱分解物も混じってくるので、精油・樹脂分だけを採りだすのならば100℃の蒸気をマツ材にあてる蒸留法の方が効率がよいのですが、少しでも多くの成分を採りだそうということで乾留が用いられたのでしょう。
図❸ ウルシの木
図❹ 漆掻き
抽出成分としての特用林産物②──漆
 チャイナといえば中国の陶磁器、そしてジャパンといえば日本の漆器です。それほどに日本の漆器は名が知れ渡りました。江戸時代に漆器や蒔絵などが欧州に輸出され珍重されたのがその名の始まりといわれています。漆や漆器自体は東南アジアの他の国にもありましたが、当時の日本の技術が優れていたことをうかがい知ることができます。その漆器をつくるのに欠かせないのが漆です。
 漆の木は中国、インド付近が原産ですが、わが国では縄文時代の遺跡から漆の漆器が出土したことからも、かなり古い時代に渡来していました。戦国時代には武具に多く使われていました。漆の木の幹に傷をつけて滲出する樹液が生漆で、乾固したものが乾漆です。その主成分はウルシオール同族体で、60〜65%を占めています。漆かぶれを起こす原因物質でもあります。漆液に含まれる酵素ラッカーゼがウルシオールを重合させて高分子の網目状構造を形成して固化して塗膜となります。乾漆は仏像の製造にも使われ、また、駆虫、鎮咳剤としても用いられていました。かぶれを起こす漆が薬用にも使われていたことは興味深いことです。漆の芽を山菜のタラの芽と間違い採取して食べてとんでもない苦しみを味わったという話もありますので春先の新芽の時期は注意です。
図❺ 上:ハゼの実。下:搾り取った生蝋(左)と天日に晒した白蝋(右)(日特振ホームページから)
抽出成分としての特用林産物③──木ロウ
 木ロウはハゼの果実を抽出して得られます。蝋が高級脂肪酸と高級アルコールが結合したものであるのに対して、木ロウは高級脂肪酸とグリセリンとが結合した化学構造的には油脂に属するものです。木ロウは、天然油脂の中では最も融点が高く、常温で固体なので蝋と呼ばれているのです。
 木ロウが本格的に生産されるようになったのは江戸時代にろうそく、鬢付け、膏薬、臈纈染めなどに使われ出してからのことです。今では和蝋燭、色鉛筆、クレヨンなどの文具類、人の肌になじみやすく粘靭性があるので相撲力士の鬢付け、口紅、ポマードなどの化粧品に使われています。和蝋燭は煙が出ないこと、においがないことから上等なロウソクとして親しまれています。圧搾により緑色の生蝋を採り、数か月かけて陽に晒し白蝋がつくられますが、溶剤ヘキサンを使った溶媒抽出による方法も行われています。ハゼノキは草木染にも使用され、芯の煎汁で黄色、樹皮の煎汁に媒染の灰汁で黄褐色、葉の煎汁に石灰を用いれば萌黄色に染まります。
 特用林産物で成分を利用するものにはこれらのほかに薬用植物、タンニン、それに最近、和の香木として注目を浴びている樹木精油などがあります。そして特用用林産物の中で群を抜いて産出額の多いのは食用きのこ類ですが、きのこが木の成分を食べて育っていると考えれば林業への特用林産物の成分の貢献度は決して低いものではありません。昭和50(1975)年には林業産出額の90%近くを占めていた木材産出が現在50%にまで落ち込み、逆に特用林産物のシェアが増加し平成27(2015)年には林業産出額のおよそ50%を占めています。
図❻ 特用林産物で最も高い産出額の食用きのこ栽培
見直される特用林産物
 特用林産物の中には、大量に安価に生産される石油等の化石資源からの合成品に置き換えられ姿を消していったものも少なくありません。しかしながら自然志向、健康志向の世の動きの中で天然物のよさが再認識され注目されているのが現状です。健康で快適な、そして環境にやさしい持続的な生活を目指すLOHAS(Lifestyles of Health and Sustainability)の時代です。環境にやさしい天然の産物を見直す時代がやってきました。
谷田貝 光克(やたがい・みつよし)
香りの図書館館長、東京大学名誉教授、秋田県立大学名誉教授
栃木県宇都宮市生まれ/東北大学大学院理学研究科博士課程修了(理学博士)/米国バージニア州立大学化学科およびメイン州立大学化学科博士研究員、農林省林業試験場炭化研究室長、農水省森林総合研究所生物活性物質研究室長、森林化学科長、東京大学大学院農学生命科学研究科教授、秋田県立大学木材高度加工研究所所長を経て、2011(平成23)年4月より現職。専門は天然物有機化学。
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