木の成分、その知られざる働き ⑥
薬になる木
谷田貝 光克(東京大学名誉教授)
図❶ 数千年も前から民間薬として利用されてきたコタラヒム。
図❷ 糖尿病予防用に伐採されたコタラヒム。
伝承的に使われてきた薬用樹木をより有効に
 昔からその地域に生育する植物の薬としての働きが言い伝えられ、使われてきた生薬は世界各地に数多く見られます。インドの東に浮かぶ小さな島スリランカはインドと共に世界三大伝統医学にも数えられるアーユルヴェーダが盛んな国です。アーユルヴェーダは植物精油や薬草を用いて自然治癒力を引き出す伝統医療ですが、それだけに古くから経験的に利用されてきた薬木・薬草がスリランカには数多くあります。なかでも煎じて糖尿病の予防薬として数千年も前から用いられてきたニシキギ科の灌木コタラヒムは、現地では最も重要な樹木のひとつです。(図❶、❷)
 近年、その活性成分の構造が突き止められ、それが糖質を糖に分解するα-グルコシダーゼの働きを阻害し血糖値の上昇を抑制するというメカニズムまで明らかにされています。そればかりではありません。この有効成分を含んだエキスはサプリメントとしても利用されるようになりました。それまでは煎じて服用していたものがカプセルなどにして取り扱いが容易になったのです。今では糖尿病、メタボリックシンドローム予防に使用されています。
 タイ国に自生するトウダイグサ科のプラウノイという木のエキスは古くから皮膚の傷口を直す民間薬として用いられてきました。その後、このエキスには抗潰瘍作用があることが研究の結果わかり、胃潰瘍の薬として利用されています。
 伝承的に長い年月を経て利用されてきたものにはよい点が必ずあるはずで、それを引き続き利用していくことは大切なことです。しかし、それをまま使用するのではなく、伝承的なものに科学のメスを入れて有効成分を明らかにし、それをもとにしてより活性の強い成分を導き出すことや、より使いやすい方法を見出し次世代に引き継いでいくことが大切であることをこれらの例は教えてくれています。
図❸ スギ林内に密生するクロモジ。
左:図❹ 樹皮のついたクロモジの楊枝。右:図❺ クロモジの楊枝の数々。
木から薬理作用のある物質の発掘
 病気の中でも最も恐れられているのがガンです。その患者数は年々少しずつ増えていますが、結核が効能の高い薬の開発によって不治の病と恐れられていた時代が遠い昔のこととなったように、最近の医療技術の進歩で、ガンの脅威が薄れる日もそれほど遠いことではないでしょう。
 木や草にはガン細胞の繁殖を抑えるような物質を含むものもあります。植物からの抗ガン物質の探索は米国を中心に数十年前から活発に行なわれてきていて、抗ガン剤として使用されているものも見出されています。その例のひとつがタイヘイヨウイチイの樹皮から見出されたタキソールです。米国オレゴン州の林に生えているタイヘイヨウイチイの樹皮に抗腫瘍活性が見出されたのは1960年代半ばでした。それからその活性成分のタキソールが分離され、構造が決定されて、動物実験、ヒトの臨床試験を経て抗ガン剤として認められて使用され出したのは1900年代になってからです。樹皮に活性が見出されてから薬になるまでになんと30年を要しているのです。植物に薬理活性のある成分が見出されても、構造決定、そして動物試験、臨床試験などに長い年月を必要としますので容易ではありません。タキソールのように長い年月を要するものだけではなく、比較的容易に薬になるものもありますが、タキソールは長期間を要した例です。長い年月だけではありません。開発に要する費用は莫大なものになります。しかし、そんなに開発の難しい天然物からの医薬品開発にもよいことがあるのです。それは草木から採り出した活性物質が、人が想像もできない構造を持っていることが多いことです。特にタキソールのような複雑な構造を持つものは頭で考えられるようなものではありません。そのような構造を草木が教えてくれていることになります。そしてその構造を基にして、さらに活性の強い化合物をつくり出すこともできるのです。
 和菓子に添えられて上品な味を引き立てる爪楊枝のクロモジですが、その香り成分に白血病予防作用があることも最近の研究からわかっています。(図❸、❹、❺)
 クロモジはクスノキ科の灌木でスギ林などの林間に自生しますが、クロモジの生えているスギの林を散策するとリラックスすることがストレスホルモンの測定で明らかにされています。このことはクロモジ精油の香りを嗅いでも確認されています。リラックス時に作用する副交感神経の働きが活発になるのです。クロモジは昔からその煎汁が脚気や急性胃腸炎、皮膚病、神経痛用の薬用として用いられてきました。新たな研究手法による新たな活性の発掘といえるでしょう。
 多くの木に含まれる成分α-ピネンは揮発性が高いので森林大気中では最も多く揮散している成分ですが、木の柱や板からも揮散しますので木質内装の部屋でも木の香りの中では最も多く揮散している香り成分です。そのα-ピネンが腫瘍の増殖を抑えるということも報告されています。ごく微量のα-ピネンが揮散している大気中で飼育したマウスにメラノーマ(悪性黒色腫)を接種すると、α-ピネンに暴露されていなかったマウスよりも優位にメラノーマの増殖が抑えられることが確かめられています。
 スギはわが国の樹木で最も蓄積量の多い樹木ですが、戦後植林したスギが成長し花粉を飛ばすようになって、スギ花粉症に悩む人が多いのが現状です。春先の花粉の飛ぶ時期になるととかく嫌われ者になるスギですが、実はスギ葉の香りには胃潰瘍を抑えるような働きがあるのです。胃潰瘍は胃液の過剰の分泌によって胃粘膜が損傷することによって起こりますが、マウスの実験ではスギ葉精油の投与によって胃液の分泌が大幅に減少し胃潰瘍の抑制につながることが分かっています。また、胃潰瘍の原因となるヘリコバクターピロリ菌の繁殖を抑制することもわかっています。
 伐採され柱などの用材として利用されるスギの樹皮には確固たる用途がないのが現状ですが、この樹皮には悪性腫瘍の肉腫に対する抗腫瘍性が他の樹木の樹皮よりも高いことがわかっています。樹皮に多く含まれるフェノール成分が活性のもとになっています。また、スギ材に見られる黒心材成分には白血病細胞の増殖を抑制する作用も見出されています。いずれもマウスを使った実験ですが、スギに秘められた働きといえるでしょう。
まだまだ未知の世界の植物の生理活性
 地球上にはおよそ1,300万から1,400万種の生き物がいるといわれています。なかにはそれよりもさらに多い数千万種という人もいます。その中で植物はおよそ30万種、そしてその3分の2は熱帯、亜熱帯に分布しています。温帯地域の植物の研究は数千年も前から行なわれていますが、熱帯、亜熱帯の植物成分の研究が本格的に始められたのはせいぜい100年前からのことです。このことは研究が緒に就いたばかりともいえることです。そして私たちの身近な植物からもこれまでとは違った角度から最新の科学を駆使することによって、新たな生理活性が見出されているのが現状です。まだまだ未知の世界の広がっている植物の世界なのです。
谷田貝 光克(やたがい・みつよし)
香りの図書館館長、東京大学名誉教授、秋田県立大学名誉教授
栃木県宇都宮市生まれ/東北大学大学院理学研究科博士課程修了(理学博士)/米国バージニア州立大学化学科およびメイン州立大学化学科博士研究員、農林省林業試験場炭化研究室長、農水省森林総合研究所生物活性物質研究室長、森林化学科長、東京大学大学院農学生命科学研究科教授、秋田県立大学木材高度加工研究所所長を経て、2011(平成23)年4月より現職。専門は天然物有機化学。
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