1965年、シカゴ
連載:思い出のスケッチ #283
遠藤 勝勧(遠藤勝勧建築設計室)
 私の初めての海外旅行はアメリカでした。
 一九六五年の暮れにシカゴのマリーナシティの実測を菊竹清訓さんに命じられ、ひとりで出発しました。
 サンフランシスコに到着し、二川幸夫さんにいただいたカメラで多くの建築を撮影して帰り、スライドにまとめればよいと軽い気持ちでいましたが、大間違いでした。私の技量ではアメリカの建築は画面にうまく入らないことを思い知らされました。仕方なく小さな2mのコンベックスで身の回りのものを測り、スケッチを始めますと、いろいろなことが判り面白くなり、ハートフォード、ニューヨークと寄り道をしながら、建築を手当たり次第測り、スケッチにまとめていきました。
 ニューヨークではチェイスマンハッタン銀行本店ロビーを実測中、警備員に銃を向けられ撃ち殺される一歩手前まで行き、ペンシルバニア大学リチャーズメディカルセンターを日曜日に訪れ、閉まっていた玄関ドアをこじ開けて中に入ろうとして捕らえられ、当時同大学院生だった香山壽夫氏が飛んできて命を助けてもらったりと、普通の人ができない経験をしながらシカゴに着きました。
 菊竹さんは私たち所員を試すのが大好きで、マリーナシティ見学のアポイントメントは私がシカゴに着いてから自分で行うよう言われていました。「秘書は日本の女性ですから大丈夫ですよ」と。ホテルについて早速ゴールドバーグ氏の事務所に電話をしましたが、私の中学生英語では伝わらず、たいへんな思いをしました。
 ようやく日本人の方が出て「こちらから電話連絡しますから、それまで待っていてください」と言われ、食事やトイレの間に電話のある机から離れる怖さを何日か体験しました。その時宿泊したホテルの客室がこのスケッチです。
遠藤 勝勧(えんどう・しょうかん)
1934年東京生まれ/1954年早稲田大学工業高等学校卒業/1955~94年菊竹清訓建築設計事務所にてホテル、オフィスビル、商業施設、美術館等教育施設、個人住宅等の設計に携わる/1995年遠藤勝勧建築設計室を設立 主宰として現在に至る
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