都市・街・建築──まちづくりと建築社会制度 第❿回
建築密度の規制(その3)──建築容積の移転②
河村 茂(都市建築研究会代表幹事、博士(工学))
④余剰容積の移転活用に向け地区ゾーニング化
 高度に整備された共通の都市基盤により支えられた一体性の高い土地の区域内においては、たとえ飛び地(隣接していない、また道路を越えた反対側にある敷地)であっても、敷地相互の間で容積を移し替えることができるようにすることで、地区全体として土地の有効・高度利用を図り、まちづくり目標の実現に寄与する手法。
 この手法を用いると、共同建築による一敷地化や協調建築による一団地化のメリットに加え、容積の送り手(移転元)と受け手(移転先)との関係において選択性や競争性が発生、より自由度の高い合理的な容積移転が行われる可能性がでてくる。2000年5月の都市計画法改正で導入された「特例容積率適用区域(その後、特例容積率適用地区に改称)制度」は、飛び地での容積移転を可能とするゾーニング手法である。
 特例容積率適用地区とは、一定の用途地域内にあって適正な配置・規模の公共施設を備えていることなどにより、飛び地での容積移転を含め都市計画で指定された容積率の限度からみて未利用となっている容積の活用を促進することを目的に、区域全体として土地の有効・高度利用を図るべく都市計画で、その区域が指定されたものをいう。都市計画で区域指定されると、容積計画上は区域全体が一体的にとらえられ、一定の条件をみたす建築計画を対象に、当該エリア内において未利用容積の有効活用が図られることになる。
 この制度の特徴は、今までの容積移転の制度が、連担する敷地間や道路を挟んで向かい合う敷地間での容積移転であったのに対し、容積の受け手と送り手との敷地相互が隣接しているいないを問わず、たとえ飛び地であっても、その対象となること、また同じ敷地であっても何回かに分け幾度でも容積の移転を可能としていることである。
 これは土地所有者等の発意と合意を尊重し、特定行政庁の指定に基づいて容積移転を柔軟に迅速に行おうとするものである。この制度が適用される区域要件は、次の通りである。
〈区域要件〉
①第一種および第二種中高層住居専用地域、第一種、第二種および準住居地域、近隣商業地域、商業地域、準工業地域、工業地域内であること。
②道路、公園、下水道等の公共施設が十分に整備された区域であること。
③区域全体として土地の高度利用を促すため、未利用容積率の活用を図る必要があること(未利用の容積率を他の敷地に移転してまで容積を活用することの意義が都市計画上求めらる。たとえば、歴史的建築物の保存や地区の景観形成、緑地等の保全、敷地面積の最低限度が定められた住宅密集地の住環境改善など)。
 また、この特例容積率適用地区内において実際に容積の移転を行うには、地権者の申し出に基づいて特定行政庁より特例容積率の限度の指定をうけなくてはならない。特定行政庁が特例容積率の限度の指定を行うにあたっては、次に定める事項が要件となる。
①制度適用の対象となる複数の敷地における特例容積率の限度の総量が、都市計画において定められた容積率の限度の総量以下であること。つまり関係敷地が全体として限度を超えていないこと。 ②各特例敷地の建物利用上の必要性、また周囲の状況等を考慮し市街地環境確保の観点から、特例容積率の限度が定められていること。 ③特例容積率が指定されることにより、用途地域で定められた容積率の限度に近い市街地が出現しそうな場合には、建築される建築物が交通上、安全上、防火上及び衛生上支障がないことはもとより、交通や供給処理の面などからも支障がないかどうか建築計画を事前にチェックし、問題を生じないよう必要な措置を講じておくことが求められる。

 以上、4つの容積移転のパターンをあげたが、①から②、②から③、③から④へとシフトするに従い、イメージ的には対象区域は広がっていく(①〜③は連載第9回/本誌3月号参照)。こうして容積移転の対象区域が広がっていけば、容積の移転手法を活用したプロジェクトの数も増えていこう。
 しかし、注意しなくてはならないのは、それと反比例するかのようにして、当該敷地に建つ建築物と周辺環境との間において、受益と負担の一致性が薄れていく可能性があること。すなわち、大きな建築物を建てる敷地周辺だけに環境面でのしわ寄せが及ぶことが考えられる。
 そこで一団地の総合的設計制度や特定街区制度などの適用にあたっては、当該区域の規模や外周道路との接道条件また公開空地の確保や建築物の高さなどに関する基準を示し、一定の市街地環境水準を確保するべく誘導していく必要がある。
手法の運用状況
 以上の容積移転の考え方や手法は、これまで体系だって整備されてきたものではない。その時代その時代のニーズに応じ制度として整備され、行政対応として運用面での改善を加えることで対応してきたというのが実態である。しかしながら、これまでの運用実績をみると、そこには共通的に流れている容積移転の理念・思想が垣間見えることも事実である。そこで過去の行政運用の事例を辿り、容積移転にあたってとられた行政の考え方を、都市整備やまちづくりへの寄与という面から整理してみることにする。
 容積移転の手法は、市街地の再開発や複数敷地の一団地計画、また複数街区の都市計画などにあたって運用される場合が多いので、ここでは東京都が、これまで都市づくりの展開においてとってきた、容積移転に対する考え方を特定街区制度の運用に即して、目的別に整理し紹介する。
事例紹介❶ 余剰容積の地区内移転
写真❶ 保存・復原なった丸の内駅舎。筆者撮影
写真❷ 皇居に向かう儀仗馬車。
出典:ライブドアニュース
https://news.livedoor.com/article/detail/26767601/
写真❸ 東京駅とJPタワー(右)。筆者撮影
「東京駅丸の内駅舎」の保存・復原(特例容積率適用区域、写真❶〜❸)
 丸の内駅舎(旧東京停車場)初代(1914~45年)の建設は、日露戦争の戦勝国に相応しい「帝都のシンボル」として、その威信を首都の玄関に体現するべく、近代日本創成期の一大事業として取り組まれた。
 すなわち、丸の内駅舎は、明治から大正期にかけ市区改正事業の一環として計画・実施されたもので、当時の鉄道院総裁・後藤新平の掛け声の下、設計者には明治建築界の大御所・東京帝国大学教授の辰野金吾が指名された。
 そうしてできた「東京駅丸の内駅舎」(鉄骨煉瓦造、地上3階建、長さ約330m、ドーム形状の屋根)であるが、太平洋戦争中の1945年5月に空襲にあい、屋根などを焼失してしまう。その後の1947年に屋根は寄せ棟形状に修繕され、地上2階(一部3階)建の2代目駅舎(1947~2007年)として、以来60年間使われてきた。
駅舎建替の危機と保存運動の展開──愛着、人生に重ねる
 戦後の経済の隆盛を経て成長発展期を迎えると、赤煉瓦の東京駅は何度か取り壊しの危機に直面する。
 最初の危機は高度経済成長が始まった1958年に起こった。当時の国鉄総裁で「新幹線の父」と呼ばれた十河信二が、24階建ての近代ビルへの建て替え構想を発表した。しかし、これは十河の退任や資金面の問題もあり幻に終わる。
 次なる危機は1977年、当時の国鉄総裁・高木文雄と都知事・美濃部亮吉との会談をきっかけに起こる。この時も保存か改築かの論争が巻き起こり、国鉄は1981年に35階建て超高層ビルへの建て替え計画を発表するが、その後の民営化の議論に巻き込まれ、これも幻に終わる。
 そして最後の危機は、国鉄分割民営化の1987年に起こる。時あたかもバブル経済の始まりの年であり、この時は時代遅れの感が漂う丸の内のビル群建て替えを念頭に「東京駅周辺地区再開発連絡会議」が発足、これと連動するかのようにして東京駅の建替・高層化計画が浮上する。

【「赤レンガの東京駅を愛する市民の会」の結成】
 この動きをみて、この駅に強い愛着を持ち存続を願う女性たち有志が、JR東日本社長と東京駅長にバラの花束を添えて保存の要望書を提出する。また、関係省庁にも同様の要望書が届く。マスコミも東京駅問題に関心を示し、これを大きく取り上げたこともあり、全国から東京駅丸の内駅舎の保存に対し賛同の声が多く寄せられる。日本建築学会でもJR東日本に対し、保存の要望書を提出する。
 こうした一連의動きをふまえ、東京駅構内の「東京ステーションホテル」で「赤レンガの東京駅を愛する市民の会」が発会。筆頭代表として、作家でのちに日本芸術院院長、文化庁長官を務めることになる三浦朱門と、歌う映画スターの草分け的存在である女優・高峰三枝子が選出される。
 市民の会では、早速、国会への請願に向け街頭での署名活動に入る。あわせて会の活動状況などを伝える『赤煉瓦ニュース』を刊行するとともに、国会に対し100,198名の署名の入った第1次の請願書を提出する。
 そうした中、JR東日本の社内においても保存と活用について検討する動きが出てくる。これをうけ、市民の会も、小樽運河の保存運動に学び、著名人を含めての見学会、座談会を催したり、パンフレット『赤レンガの東京駅』を発行するなどして、世論の盛り上げに力を注ぐ。また、その一方でJR東日本とも会合の場をもつようになる。
 その後、バブル経済が崩壊、日本社会は長い停滞の時代に入る。この1990年代を通じ市民の会は見学会や写生会、コンサートやトークセッション、また勉強会や天然スレートの故郷を訪れる旅行会やシンポジウムなど、多彩なイベントを順次開催していき、保存運動の広がりと活動の活性化を図っていく。
 そして20世紀も終わる1999年10月、ついに東京駅丸の内駅舎の保存・復原が東京都知事・石原慎太郎とJR東日本社長・松田昌士との間で合意する。
 この運動が、赤煉瓦の丸の内駅舎の保存のみならず、空襲で失ったドーム屋根の復原にまでつながったのは、この駅舎を愛する多くの人びとが、その「生きる証」として丸の内駅舎を自分の人生に重ね、心にしっかり記憶していたことが大きい。人びとの熱い思いがマスコミを動かし世間に訴えることで、保存どころか復原にまで高まっていった。
 時代もよかった。バブル経済の崩壊に伴い、誰の目にも近代社会が経済の成長拡大から文化成熟へと軸足を移し、量より質を求め生活者の視点から、ユーザーの意見を取り入れる世の中へと移行していったことが影響している。そうした流れの中で、東京に3つの建築物(東京駅、日本銀行、国会議事堂──議事堂は体力的に叶わずコンペの審査員として関わる)を残したいと考えた辰野の思いが伝わったのか、東京駅丸の内駅舎は2003年に文化庁より重要文化財の指定をうけ保存・復原へと歩む。
実現化方策──熱い市民の思いが企業や行政を動かし制度や仕組みを整え技術・工法を開発
【空中権の活用──地区まちづくりとの連携、特例容積率適用区域(容積移転)の適用】
 駅舎の保存・復原の合意を受け2002年からは、その実現化方策が検討される。
 ポイントは事業資金の調達である。約500億円とも見積もられる事業資金をいかに調達するかが課題となった。これに対し関係者が知恵を絞り「空中権」という概念を導入、駅舎の未利用の建築容積(駅舎は指定容積率900%の1/5ほどしか使っていなかった)を周辺の他の敷地に移し替えて利用する(すなわち他の開発事業者に売り渡す)スキームが考え出された。都心部を中心に都市再生に向け再開発ブームが起きる中、ビル建築需要の高い丸の内のまちでは、「もっと大きく、もっと高いビルを建てたい」というニーズが高まっていた。JR東日本は、そうしたデベロッパーの開発ニーズをふまえ、「保存・復原を前提に東京駅・丸の内駅舎の空中権(未利用容積)を周辺に売却できないものか」と模索した。
 しかし、500億もの資金に匹敵する容積となると、その引受け手は簡単には見つからない。当然、複数になるであろうし、その時期もまちまちとなろう。法制度上も隣接地ならともかく、離れた場所に時期を違えて容積移転する仕組みはなかった。
 そこで都や国など関係官公庁を含め、実現化方策を探ることになった。その結果、出てきたのが「特例容積率適用区域」(その後「地区」と改称)の制度創設である。この制度のポイントは、開発時期の異なる複数の事業者をイメージし、たとえ飛び地であっても、また何度でも容積を移転して利用できるようにした点にある。つまり容積移転が、「いつでもどこでも誰にでも」できるようにしたのが、この制度の肝である。
 ただこの制度は一般的なものではないので、東京都は、当面その活用目的を歴史的建造物の保存・復元や良好なまちなみ・景観の形成などに限るとともに、対象地区も土地の高度利用に耐えるよう都市基盤がしっかりした地区で、地区計画などでまちづくりが一体的に行われる区域に限定した。正に、この丸の内という場所のもつ固有性を反映した条件設定がなされた。
 駅舎の保存・復原事業は、「大手町・丸の内・有楽町地区まちづくり協議会」との連携事業、また開発事業者(地権者)との協働事業に仕立て上げられていった。
 そうして2002年, 都は東京駅周辺の約120ヘクタールの区域を、都市計画「特例容積率適用区域」に指定し、空中権売買を認めることになった。
 丸の内駅舎は、特例容積率適用区域の指定を受け未利用容積の送り元となり、これまで床面積にして「東京ビル」に対し約21,500㎡、「八重洲開発(グラントウキョウ)」に約79,500㎡、「新丸の内ビル」に約36,600㎡、「丸の内パークビル」に約15,500㎡、そして「JPタワー」に約25,600㎡を、それぞれ移転している。合計すると移転した容積対象の床面積は178,700㎡に達する。
 こうして実際、周辺開発計画との間で容積移転、空中権の売買が進み、2007年から駅舎の保存・復原工事も始まる。そして2012年10月に、ようやく東京駅丸の内駅舎の再生(鉄骨煉瓦造、鉄骨鉄筋コンクリート造、地上3階、ドーム形状屋根、免震構造)がなり、東京駅は100年前の姿そのままに、辰野金吾が手がけた往年の駅舎の風情が蘇る。
 なお、JR東日本では税(譲渡所得税など)の問題もあることから、容積移転に当たっては、その要役地において借地権を設定しビル経営の事業にも参画している。承役地である丸の内駅舎の敷地面積は25,800㎡で、保存・復原建築物の延べ面積は約43,400㎡、地上3階(一部4階)地下2階で、主な用途は駅施設のほか、ホテル、ギャラリーとして利用されている。そして2017年12月、10年間ほどかかった駅前広場の整備や、東京駅丸の内駅舎から広場を経て皇居へと続く、行幸通りとの一体的な景観の整備が完了、これに伴い各国外交官の認証にあたっては、ここから馬車仕立て等で皇居へと向かうことになった。

【法制度の改正──法令の適用除外】
 歴史的建築物の修復保存や復原にあたっては、この他にも、法制度面からの障壁があった。それは歴史的建築物の修復保存や復原に対しても、建築基準法が適用になり、安全・防災関係の規定などに適合する必要があり、これらがバリアとなって、これまでなかなか修復保存や復原が進んでこなかった。
 そこで重要文化財の指定を受けるとともに、建物地下に免震構造を組み込むなどして安全性を別途確保したうえで、建築基準法に規定する構造・避難関係規定などを適用除外とすることになった。

【保存・復原のための技術と工法】
 駅舎は公共性の高い建物ということで、今回の保存・復原工事は、外観を創建時の姿に再現するだけでなく、未来の駅への継承も視野に入れ、機能の安定化を図る必要があるとして、既存部分に伝わる地震力を軽減しようと、鉄骨煉瓦造の既存建物の下に地下躯体を新設し建物全体を免震構造化し、巨大地震に備えている。
 また、復原にあたっては、壁の煉瓦タイルの焼成と屋根のスレートや銅板の施工も課題となった。タイルは指定された色が出るかどうか不安視され、懸命な挑戦が行われた。というのは創建時のタイルは5つの会社が分担してつくっていたため、原料や焼成温度など製造条件が異なり、色にばらつきがあったことから、このばらつきをいかに再現できるかが課題となった。
 大手のタイル工場では焼成温度が高かったり少量での試験焼成に適さないため、小口の窯を持つ工場に依頼、土も本物を求め顔料の調合や窯内でのタイルの置き場所など、生産条件を試行錯誤しながらきめ細かく温度設定した上で、約50万枚のタイルを一挙に焼成した。
 ドーム屋根の黒いスレートと銅板の施工には、伝統技術をもつ職人を全国から60人ほど集め、技術主任を配し手本を示し指導しながら施工していった。工事監理にあたっても、ベルギーに留学し保存の知識・経験をもった設計者を他社から移籍させ、これにあたらせた。
観光スポット化
 その甲斐あって2012年10月1日、東京駅丸の内駅舎は5年半に及ぶ工事を終え、開業時(1914年)の姿に復原、その全容を市民の前に現した。これに伴い、その姿を一目見ようと観光客が押し寄せ東京駅は内外ともに人で溢れるようになった。東京駅は駅単独に存在するのではなく、行幸通りから望むアイストップの位置にあり、まちの顔また都市東京の玄関として、ここに降り立った人びとなどに、まちや都市の風格を感じさせる重要な役割を担っている。
 丸の内駅舎の保存・復原は、近代化遺産を活用した現代まちづくりのシンボルとして、明治・大正時代の雰囲気を醸し出し、風格ある都心・丸の内のランドマークとなっている。
事例紹介❷ 目的別の容積移転
写真❹ 御殿山ガーデン。日本庭園の修復保存。
出典:御殿山庭園【訪問編】–まだ知らぬ、日本を訪ねて
https://zuito.hatenablog.com/entry/2021/11/01/210611
写真❺ 御殿山ガーデン。ランドスケープデザインされた現代的な滝と池。
筆者撮影
図① 御殿山ガーデン配置図
出典:御殿山トラストタワー周辺案内図
https://kojodan.jp/castle/1205/photo/211975.html
写真❻ 御殿山ガーデン。
出典:御殿山トラストシティ
https://www.trustcity-g.com/en/about/office
自然的環境としての庭園の修復整備の事例──「御殿山ガーデン」(写真❹〜❻、図①)
 本計画は、特定街区と一団地の総合的設計の手法を活用した、法人と個人との共同による複数建築物協調配置型のプロジェクトである。本計画は環境設計の考え方を取り入れ、複数の建築物と現存する庭園とを一体的に配置構成することで、約1haにも及ぶ回遊式の日本庭園の修復保存を図っており、一団地計画としては特筆すべきプロジェクトとなっている。
 本地区は、品川駅の南側に位置し山手線内側にあり、区域面積は約3.3haで特定街区により容積率は300%と指定されている。江戸時代は将軍別邸、近代に入ると元横濱正金銀行頭取・原六郎邸などとなった。現在の用途地域は第二種住居地域で、容積率は200%である。建築物としては高さの限度が106mの事務所ビルのほか、ホテル、共同住宅(約200戸)、教会等が建ち並んでいる。街区内の緑とオープンスペースの計画は見事で、日本庭園のほかにもランドスケープデザインが施された、水しぶきのあがる現代的な滝を備えた池がある。また、環境共生をめざし設計された遊歩道など、都市環境デザインの面からも一見の価値のあるプロジェクトである。
写真❼ 聖路加ガーデン(白線区域の下半分ほど)全景。
出典:明石町地冷センター
https://eee.tokyo-gas.co.jp/case/smart_energy/case11/index.html
写真❽ 聖路加国際病院群。
出典:Ameba記憶のキロク 聖路加国際病院
https://ameblo.jp/askher8/entry-12601568301.html
都市環境の整備保全の事例──「聖路加国際病院」(写真❼、❽)
 本計画は、特定街区(複数街区)の手法を活用し、建築空間を一体的に構成することで容積配分を合理化、街区の北側に立地する小学校や幼稚園の日照・採光などに配慮し近隣環境の維持を図るとともに、その結果、未利用となった容積を隅田川沿いの街区に移し集約活用することで、都市のランドマークづくりをめざしたプロジェクトである。
 本街区は東京メトロ日比谷線築地駅の東側に位置しており、区域面積は全体で約3.9haである。この「明石町特定街区」は各街区面積がそれぞれ約1.3haの3つの街区により構成されており、複数街区の指定を受けている。この特定街区は全体で590%(用途地域では400%指定)の容積率計画になっているが、各街区単位にみると看護大学校のある街区は容積率180%で高さの限度は53m、病院のある街区は容積率420%で高さの限度は53m、オフィスとレジデンスのある街区は容積率1,170%で高さの限度は213mという計画内容になっている。
 このように看護大学校と病院のある街区は用途地域として住居地域・容積率400%の指定に対し、敷地北側の小学校や幼稚園など公共施設の環境保全に留意しダウンゾーニングを行い、比較的低めの容積率設定がなされている。
 また、いちばん東側の隅田川沿いに配置された事務所棟は東に水面が存する立地をいかし、通常ならば大学校や病院敷地部分で利用される容積をこちらの街区へと移転させることで、地上51階と38階の2本の超高層ビルの建設が可能となった。 本計画ではこのほか「トイクラー記念館」と教会棟の復元・保存を行うとともに、街区を貫く形で遊歩道としての歩行者空間の整備を行っている。
 なお、特定街区(複数街区)制度を活用し容積移転を行うことで、北側の環境に配慮した例としては、この他に南大井六丁目(いすゞ)特定街区計画がある。
図② オペラシティ鳥観図
出典:施設案内|東京オペラシティ
https://www.tokyooperacity.co.jp/shop/page.jsp?id=2
写真❾ オペラシティ全景。
出典:しんじゅくノート
https://shinjuku.mypl.net//shop/00000307304/
文化施設の建設・維持管理の事例──「東京オペラシティ」(図②、写真❾)
 本計画は、隣接する複数の敷地所有者が協力し、敷地を統合して区域面積約4.4haの大街区にすることで、「第二国立劇場」を中心に一体性の強い、複合型の共同建築物の建設を可能としたプロジェクトである。また、この時、あわせて特定街区の制度を適用、統合された街区内に公開空地を創出することで、容積率の割増をうけている。本街区は、京王線初台駅に臨んでおり、建物は第二国立劇場と、高さの限度を240mとする事務所・店舗等により構成されている。容積率の限度は605%、高さの限度は240mである。劇場所有分の敷地の未利用容積を民間地権者に譲渡することで劇場の建設費用等を調達している。なお、この地域の用途地域指定は商業地域で、容積率は400%、600%、700%の地域に跨っており、加重平均で443.5%である。
写真❿ 丸ノ内マイプラザ(手前が明治生命館)。
出典:ウィキペディア「丸の内マイプラザ」
https://ja.wikipedia.org/wiki/丸の内マイプラザ
歴史的文化的環境の継承の事例──「丸の内マイプラザ」(写真❿)
 本計画は、首都東京の風格ある景観を代表するお堀端の街並みを維持するとともに、重要文化財指定建築物である「明治生命館」を保存するため、この敷地部分にかかる容積を同一街区内の隣接する敷地へと移転し、これら複数の建築物を協調的に計画設計することにより歴史的建築物の保存継承を図ったプロジェクトである。
 本街区は都心丸の内地区に位置しており区域面積は約1.1ha、容積率は用途地域に基づくものが1,000%であるが、重要歴史的建造物特別型の特定街区の指定により1,500%となっている。なお、この歴史的建築物に隣接する新しい事務所ビル(地上30階、地下4階)の高さは150mを限度としている。
 これと同じタイプの特定街区としては、日本橋室町二丁目計画として重要文化財指定建築物「三井本館」の全館保存をめざした事務所ビル(地上41階/地下4階)の建設プロジェクトと、「丸の内一丁目計画」として登録有形文化財「日本工業倶楽部会館」の保存・再現をめざした事務所ビル(地上30階/地下4階)の建設プロジェクトなどがある。
 また、似たようなプロジェクトとしては、外観ファサード意匠の保存・継承と堀端に面し30m程度で軒高の整ったまちなみの維持をめざした、第一生命と農林中央金庫の共同ビル建設プロジェクト、そして再開発(再開発等促進区にかかる)地区計画制度の活用により、日枝神社の歴史的伝統的な環境の継承をめざした事務所ビル等の建設プロジェクトなどがある。
写真⓫ 皇居側から東京駅側に向け漸次高層化するまちなみ。筆者撮影
図③ パレスホテルと永楽ビル等の配置
出典:(一社)日本ビルヂング経営センター「ビル経営管理講座」
図④ 容積移転のイメージ
出典:(一社)日本ビルヂング経営センター「ビル経営管理講座」
景観形成の事例──「パレスホテル」、「丸の内永楽ビル」など(写真⓫、図③、④)
 当該地は先の用途地域の見直しにより、指定容積率が1,000%から1,300%に変更された。そこで大丸有地区に適用されている「特例容積率適用地区」の制度を活用し、高さ制限により実現できない容積を、建て替え時期を同じくする「丸の内永楽ビル」の敷地に 移転し、皇居周辺の眺望景観の形成と土地の有効高度利用を両立させることになった。
 具体には、「パレスホテル」のビル建て替えにあたり、ホテル棟と事務所棟の2棟が計画され、当敷地においては約16,700㎡(敷地面積約10,400㎡に対し約160%ほど)が未利用となることから、これを丸の内永楽ビルの敷地に移転し有効利用した。これによりパレスホテルの容積率は1,149% となる。
 一方、丸の内永楽ビルにおいては、同一街区内に隣接して「工業倶楽部会館・三菱UFJ信託銀行本店ビル」(延べ面積約109,830㎡、地下4階地上30階、高さ148m、主要用途が倶楽部、事務所、店舗)の敷地(約8,100㎡)が特定街区(容積率1,234%)に指定されている。
 隣接する敷地においてビルの一体的な共同建て替え計画が起こったのを契機に、丸の内仲通りの賑わいある歩行者空間の拡大に留意し、土地の有効利用を図る観点から特定街区の区域を丸の内永楽ビルに拡大、工業倶楽部会館・三菱UFJ信託銀行本店ビルの敷地の未利用容積を隣地へと移転させ有効活用することになった。
 この都市計画変更に絡み、工業倶楽部会館・三菱UFJ信託銀行本店ビルの敷地にかかる特定街区の指定容積率が当初の1,234%から1,235%に変更になったことを受け、この割増された1%分を東京駅から地下鉄5路線が集結する大手町駅へとつなぐ地下通路の整備にあてることになった。また、残る1,300%と1,235%との差の65%分(床面積にして5,265㎡)は、丸の内永楽ビルに移転し、これを含めて新ビルを建設した。これにより丸の内永楽ビルの敷地は、パレスホテルからの16,700㎡(当建築敷地に直すと、約208%分)と、工業倶楽部会館・三菱UFJ信託銀行本店ビルからの5,265㎡(同、約65%分)、合計して21,965㎡(同、約273%分)の容積移転を受け入れることになった、丸の内永楽ビルの敷地は特定街区指定により自らも割増を受けており、全体で1,593%となる。
[参考文献]
日端康雄・容積率研究会『都市再生を目指して 建築空間の容積移転とその活用』清文社、2002年
深海隆恒『不動産事業のスキームとファイナンス』清文社、2004年
深海隆恒『不動産事業のスキームとファイナンス(2)激動!不動産』清文社、2009年
(一社)日本ビルヂングセンター『ビル経営管理講座テキスト 2 企画・立案下巻』
「固有性まちづくり」 (一財)日本不動産研究所
https://www.reinet.or.jp/?page_id=12141
河村 茂(かわむら・しげる)
都市建築研究会代表幹事、博士(工学)
1949年東京都生まれ/1972年 日本大学理工学部建築学科卒業/都・区・都市公団(土地利用、再開発、開発企画、建築指導など)、東京芸術大学非常勤講師(建築社会制度)、(一財)日本建築設備・昇降機センター常務理事など/単著『日本の首都江戸・東京 都市づくり物語』、『建築からのまちづくり』、共著『日本近代建築法制の100年』など/国土交通大臣表彰など
カテゴリー:建築法規 / 行政