Kure散歩|東京の橋めぐり㉞
太鼓橋と目黒新橋
紅林 章央(東京都道路整備保全公社)
❶「江戸自慢三十六景 目黒行人坂 富士」(紅林所蔵)。幕末の行人坂を描いている。左後方のアーチ状の構造物が目黒川に架かる「太鼓橋」。
行人坂
 かつての東急目蒲線は目黒線と名前を変え、始発駅だった東急目黒駅も現在ではメトロ南北線や都営三田線と接続する立派なターミナルビルになった。地下の駅から地上へ上がり目黒通りに出ると、すぐに左斜め方向への細い道がある。この道は目黒通りの旧道で、江戸時代から続く古道「行人坂(ぎょうにんざか)」である。「目黒雅叙園」(ホテル雅叙園東京)への急坂といえば思い当たる方も多いと思う。
 ❶は1864(文久4)年に、この辺りから西側を眺め描いた浮世絵である。タイトルは「江戸自慢三十六景 目黒行人坂 富士」、風景を二代歌川広重が、人物を歌川国貞が描いた合作の浮世絵である。目黒といえば、現在はオフィスやマンションが建ち並ぶ都心の一角だが、江戸時代は江戸市内ではなく江戸近郊の一箇村であった。現在目黒駅がある付近は、目黒川の崖線上のため西側の見晴らしがたいへんよく、富士山を眺める恰好の名所として知られ、また雅叙園付近はカエデが多く、晩秋の夕方には一帯が赤く染まって見えたことから夕日ケ丘と呼ばれていた。さらに崖線下には、江戸五色不動のひとつの「目黒不動尊」があり、多くの参拝者が訪れるなど、目黒は江戸から日帰りで手軽に行ける観光地として賑わった。
 「江戸自慢三十六景 目黒行人坂 富士」でも富士山が際立つ。右側に垣根が少し描かれているが、ここは「富士見茶屋」という有名店であった。描かれた女性は、江戸市内から籠でこの茶店を訪れ、富士山を眺め一服して帰るところであろうか。左後ろのふたりを見ると、行人坂が急坂であることがよくわかる。
 行人坂という趣ある名前の由来は、寛永の頃山形県の出羽三山のひとつの湯殿山の行者の大海法印(だいかいほういん)が、大日如来の堂を建立し大圓寺(だいえんじ)を開き、これにより周辺に行者が多く住んだためと伝えられている。
❷小石川後楽園内に架かる圓月橋。(2011年、紅林撮影)
❸「東京名所 目黒太鼓橋」(紅林所蔵)
❹『江戸名所図会』に描かれた「太鼓橋」。(紅林所蔵)
❺大圓寺に保存された「太鼓橋」の石材(矢印)。石造アーチ橋の太鼓橋は1920/大正9年の豪雨で流失。(2021年、紅林撮影)
❻「目黒川架橋供養勢至菩薩石造」。(2021年、紅林撮影)
❼1932(昭和7)年に鋼アーチ橋に架け替え中の「太鼓橋」。(東京都建設局所蔵)
❽1991(平成3)年に架け替えられた現在の「太鼓橋」。かつての面影を伝えるために側面に石が貼られている。(2021年、紅林撮影)
石造アーチ橋「太鼓橋」
 「江戸自慢三十六景 目黒行人坂 富士」(❶)には、行人坂から西へ向かって伸びる道があり、その途中にアーチ状の構造物が描かれている。これは目黒川に架けられた石造アーチ橋の「太鼓橋」である。
 江戸時代、石造アーチ橋の大半は九州にあり、江戸周辺にはわずか2橋しかなかった。1橋は17世紀中頃に水戸藩の上屋敷内に徳川光圀が命じ架けられた「圓月橋」(❷)で、明から亡命した学者の朱瞬水が設計し、名工駒橋嘉兵衛が施工したと伝わる。橋長は11.7mで、度重なる震災や戦災を生抜き小石川後楽園内に現存している。
 もう1橋がこの「太鼓橋」である。橋長15.3m、幅員3.6mで、珍しい橋ということで観光名所となり、多くの浮世絵に描かれた。
 ❸は三代歌川広重が描いた「東京名所 目黒太鼓橋」。背後の雪が積もった斜面が現在の雅叙園である。❹は天保5(1834)年に刊行された『江戸名所図会』に描かれた挿絵で、橋の両側に茶店があり、賑わう様子が伝わる。
 雅叙園の並びにある大圓寺には、「太鼓橋」のアーチリングで使用されていたと伝わる石材(❺)が残されている。アーチリングの石材でここまで極端な横長は珍しいが、『江戸名所図会』の挿絵(❹)も同じような形状で描かれている。
 橋の建設者については諸説ある。大圓寺にある「目黒川架橋供養勢至菩薩石造」(❻)には、宝永元(1704)年付けの目黒川架橋についての銘文が刻まれている。これによれば、「西運という僧が目黒不動尊と浅草観音に毎日参詣し、その道中で受けた寄進により川の両側に石壁を築いて雁歯橋を架けた」とある。西運とは、「八百屋お七」の恋人の吉三が、お七処刑後に出家した僧である。境内の案内板は、これに基づき「西運が石造アーチ橋を架けた」と記している。
 また1772(明和9)年に発刊された『再校 江戸砂子』では「享保の末 木喰(上人)某願主にてかけたり」とあり、1804~29年に発刊された『新編武蔵風土記稿』は、「延享年間(1744~48年)に廻国の僧九州にてこの形の橋を見たりとてその製作にならい作りしが、欄干いまだ成就せざりしを後人継いで造作し、宝暦14(1764)年より明和6(1770)年に至りて遂に落成す」と記している。
 雁歯橋とは山梨県の「猿橋」のような肘木橋(木造カンチレバー橋)を指すと思われること、また当時石造アーチ橋は概ね長崎に限定されており、建設には技術的ノウハウが必要であったことなどから、『新編武蔵風土記稿』の記述の信憑性が高いように思われる。
 この石橋は、1920(大正9)年9月1日の豪雨で流失し、翌年には木橋に、1932(昭和7)年には鋼アーチ橋(❼)に、1991(平成3)年には現在の鋼桁橋(橋長27.2m)に架け替えられた。この橋は桁の側面に、かつての石造アーチを模して切石が張られている(❽)。
「権之助坂」と「新橋」
 現在、行人坂は縦断勾配が15%ときついが、江戸時代も急勾配であったことから、現在の目黒通りが通る箇所に新道が開削された。新道にも坂があり、当初は「新坂」と呼ばれていたが、いつからか「権之助坂」と呼ばれるようになった。この変わった名前は、中目黒の名主「菅沼権之助」に由来するもので、この坂を開削したからとか、村人のために年貢米の取り立てを緩めてもらおうとの申し出が罪に問われ、刑に処せられる際に最後に自分の家をこの坂の上から眺めたからなどの諸説がある。
 この新道が目黒川を渡る箇所にも橋が架設され、新坂を下った箇所に架かるので「新橋」と名付けられた。架設時期は不明だが、すでに延宝年間(1673~81年)の絵図には記されている。もっとも、江戸時代の主要街道は行人坂で、新道が現在のように主ルートとなるのは明治に目黒駅が開業し、さらには昭和の初めに都市計画で目黒通りが整備されてからである。
❾1933(昭和8)年に架設された現在の「目黒新橋」。(2021年、紅林撮影)
❿「目黒新橋」橋梁一般図(竣工図)(東京都建設局所蔵)
⓫目黒川改修、「目黒新橋」架け替え工事。中央に見えるふたつの石積みが旧橋台。(東京都建設局所蔵)
⓬「目黒新橋」架け替え工事中。1期施工として下流側を構築し、2期施工として上流側アーチを構築中。鉛直材(内側)の上部がアーチ状でないことがわかる。(東京都建設局所蔵)
⓭竣工時の親柱。竣工時の橋名は「目黒新橋」ではなく「新橋」であったことがわかる。(東京都建設局所蔵)
河川改修で架け替えられた「目黒新橋」
 目黒川は、古くから大雨時に氾濫を繰り返す暴れ川であった。1920(大正9)年に「太鼓橋」を押し流した水害を機に、治水と舟運能力を高めるために、1923(大正12)年から東京府により本格的な河川改修が行われた。これにより幅が狭く曲がりくねっていた流路は、約3倍(「目黒新橋」付近で幅7m→25m)に拡げられ、現在のように直線に近い形に改修された。
 さらに昭和の初めには、東京都市計画に基づく環状道路(現在の山手通りと明治通りの一部)と、これらと関東大震災の復興で東京市内に整備された道路を放射状に繋ぐ道路整備が、いずれも東京府の手で進められた。目黒通りもこれにより4車線に拡幅され、前述した河川改修と合わせて「目黒新橋」の架け替えも行われた。
 現在の「目黒新橋」は、1933(昭和8)年に架設された橋長25.7m、幅員21.9mの鉄筋コンクリートアーチ橋(❾)である。❿の橋梁一般図を見ると、都心側は台地で地盤が強固なことから橋台は直接基礎で、西側は低地のため多少地盤が悪いため橋台基礎に松杭が用いられている。
 ⓫は旧橋撤去中の様子で、中央に見えるふたつの石積みが旧橋台である。いかに改修前の目黒川が狭かったかがわかる。木造の桁橋は、架け替えにあたって上流側に架けられた仮橋である。新橋の工事は上流側、下流側の2分割で行われ、先に下流側を施工して仮橋から交通を切り替えてから、上流側の施工が行われた。
 ⓬は上流側の施工中の写真であるが、「目黒新橋」のデザイン上の特徴は、❾のように桁を支える鉛直材の上部がアーチ状に加工され小アーチが連続している点にあるが、この写真を見ると、内側の鉛直材の上部はアーチ状ではなく直角。つまりアーチ形状は構造体ではなく、外側のデザインであることがわかる。
 ⓭は竣工時の親柱の写真である。デザインはアールデコでサイズも大きい。この親柱は改変されずに現存している。
目黒川沿いは、桜の開花期にはピンク色に染まり、桜と橋の美しい競演が繰り広げられる。その中でも沿川唯一のアーチ橋の目黒新橋の美しさはピカ一である。ぜひ桜の時期に訪れていただきたい。
紅林 章央(くればやし・あきお)
(公財)東京都道路整備保全公社多摩橋梁担当課長、室長、元東京都建設局橋梁構造専門課長
1959年 東京都八王子生まれ/1985年 名古屋工業大学卒業後、入都/奥多摩大橋、多摩大橋をはじめ、多くの橋や新交通「ゆりかもめ」、中央環状品川線などの建設に携わる/平成29(2017)年度に『橋を透して見た風景』(都政新報社刊)で、令和6(2024)年度に『東京の美しいドボク鑑賞術』で土木学会出版文化賞を受賞。近著に『浮世絵を彩った橋』(2025年4月、建設図書刊)